yomiDr.編集室より
医療・健康・介護のコラム
生きた証し残したい
最後の言葉を聞きに金沢へ
今年6月、北陸新幹線に乗り、金沢の「元ちゃんハウス」を訪ねました。その前月に胃がんで亡くなった医師・西村元一さんの妻の詠子さんにインタビューするためです。
西村さんが、最も重い「ステージ4」のがんと診断されてから2年2か月。いずれは訪れると覚悟していた58歳の死ではありましたが、ヨミドクターでは今年初めに西村さんのコラムが始まったところで、もう少し続けてもらえるものと考えていました。亡くなる前に届いたメールを読み返してみると、西村さん自身もそのつもりでいたようです。「書き残したことがあるのでは」という思いが湧き、詠子さんにお話を伺って、連載を締めくくる記事にしたいと考えたのです。
「元ちゃんハウス」は、西村さんが仲間とともにつくったがん患者と家族、医療関係者の交流施設です。昨年12月のオープン以来、初めて見る「元ちゃんハウス」は、兼六園と金沢大学医学類のキャンパスに挟まれた閑静な地域にありました。
地元企業の社屋だった4階建ての小さなビルですが、たくさんの人からの寄付を生かして、患者が心安らかに過ごせるように改装されています。ぬくもりのある家具や調度品が、居心地のよい空間をつくっていました。
西村さんの中学・高校の同級生たちから贈られたという一枚板のテーブルにつくと、詠子さんが華やかな九谷焼のティーカップでお茶を振る舞ってくれました。
よい看取りが癒やしに
実は私は、生前の西村さんにお会いしたことがありません。西村さんの連載は先輩記者の担当だったのですが、業務の都合で、4月にヨミドクター編集室に異動になったばかりの私が一時的に代役を務めることになったのです。西村さんとのおつきあいは、4~5月に掲載された2本の原稿を巡るやりとりが中心で、連絡は電話とメールのみでした。
一度も対面する機会がなかった西村さんについて、詠子さんは、家庭での様子をはじめ、日々の姿を率直に語ってくれました。「自分が生きた証しを残したい」という思いで、執筆や講演、そして「元ちゃんハウス」の開設・運営のために走り続け、命を燃やし尽くすようにして旅立ったこと。そして、詠子さんがそんな西村さんを精いっぱい支えてきたことも。
時折、しんみりとした表情を浮かべることもありましたが、すぐに朗らかな笑顔に戻りました。
「元ちゃんハウス」があって、そこの仲間と家族に囲まれた西村さんの穏やかな終末。「いい最期だったのでは」と、過ぎ去った時間を振りかえりました。その思いが、詠子さんを癒やし、前を向いて歩く力になっているようにも感じられました。「 看取 り」は、死にゆく人だけでなく、残される人のためのものでもあると改めて思いました。
「初めまして」を楽しみに
どんなに仲のよい夫妻であっても、人格はそれぞれ別です。詠子さんのお話は、西村さんがこれまでに述べてきたこととは少し違う視点から語られています。私には、詠子さんを通して異なる角度から光を当てることで、西村さんの人物がより立体的に見えてきたようにも感じられました。ヨミドクターの読者のみなさんにも、ぜひ西村さんのインタビュー記事と合わせて読んでいただきたいです。
詠子さんのインタビューをまとめるにあたって、西村さんの著作や、新聞、雑誌の関連記事を手に入る限り集めて読み込みました。西村さんのことを知るほどに、面会がかなわなかったことを惜しむ気持ちが強くなりました。
どれくらい先になるかは分かりませんが、西村さんに会えるのでは……と思うと、「あの世」と呼ばれる場所に行くのが、何だか少し楽しみです。その時に、「初めてお目にかかります」と胸を張ってあいさつできるよう、私もこれからの人生で何を残せるかと考えています。(ヨミドクター副編集長 飯田祐子)
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