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ケアノート

コラム

[杉田かおるさん]仕事を減らし母介護

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過去振り返り豊かな時間

 女優の杉田かおるさんは、肺の病気で障害等級が最も重い1級となった母親(83)を自宅で介護しています。杉田さんが7歳でデビューして以来、ずっと芸能生活を支えてくれた大切な存在です。介護のために仕事を減らし、テレビ番組に登場する機会もめっきり減りましたが、とても「豊かな時間」を過ごしていると話します。

[杉田かおるさん]仕事を減らし母介護

「介護は修業の時間。私は子どもの頃から働いているから、修業のために生まれてきたと思っているんです」(神奈川県藤沢市で)=奥西義和撮影

 4年前の夏のある日、母の具合が急に悪くなりました。顔色は良くないし、足がむくんで靴も入らない。本人は「大丈夫」と言い張りますが、脈も細くなっています。無理やり車で病院に連れて行きました。

 母は当時から神奈川県内の自宅で私たち夫婦と同居していました。20年前にも重症の肺気腫で一度倒れました。ずっと悪いままだったのですが、それが一気に重症化したのです。

 入院して集中治療室に3日ほど入り、母は事なきを得ました。1日遅れていたら命の危険もあったそうです。

自宅療養を選択

  杉田さんの母親は、杉田さんが「天才子役」ともてはやされていた頃から、身内として芸能生活を支えた人だ。病院側からは臓器移植の提案さえ出たが、高齢の体への負担も考え、薬を使って自宅で療養することになった。

 両親は私がドラマデビューをした1年前に離婚しました。それからは、私は母と妹との3人暮らしでした。だから、母の身寄りは私と妹だけ。母の介護には妹も手を貸してくれました。

 母は薬が効いている間は食事もできます。ただ、重い荷物は持てません。トイレまで歩いただけで、血中の酸素の割合が下がるほどなのです。無理に動こうとしてもいけないし、風邪をひかせてもいけません。

 お風呂に入れるのも大変です。介添えするときは、指先に付ける専用の機器で肺の酸素の飽和度を測ります。呼吸が苦しそうになったら湯船から上げなければなりません。唇の色を見ながら、常にドキドキしながらの入浴です。

 妹がいてくれたので、そんな大変な介護と芸能界の仕事も、何とか両立できていました。それが2年前、妹が結婚し、アメリカで暮らすようになりました。母の面倒は私が一人で見ることになったのです。

 これはとてもハードワークでした。仕事にも介護にも両方に根を詰めすぎた結果、私自身が貧血になるなどして何度も倒れました。

「自分が潰れる」

  「このままだと自分が潰れてしまう」と危機感を抱いた杉田さんは昨年から、大好きな女優の仕事を減らす決意をした。母親との時間を優先する生活に切り替えたのだ。

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近所の美容室を母親と訪れた杉田さん。「髪を整えてあげれば気分も上がります」

 子どもの頃から演技をすることが好きでした。どちらかというと趣味に近いので、長時間の撮影でも全く嫌になりませんでした。その女優の仕事を制限するのは精神的につらいことです。芸能界に「杉田かおる」は私一人しかいません。でも、娘として母の面倒をみられる人間も、今は私しかいないのです。

 仕事関係の方々には申し訳ない思いです。仕事を離れなければならない寂しさもあります。親しい人たちからは、「今に本当に仕事がなくなるよ」とも言われました。でも、母をみとることは、ほかの誰にもできませんから。

 認知症ではないので、その分、病気や死に対する恐怖だとか、過去のトラウマとの闘いはあるようです。普段からアロマオイルをたいたり、ハーブティーを入れたりして、心が穏やかになるように心がけています。

 また、食事には伝統野菜を取り入れたり、シャンプーや歯磨き粉など体に直接触れるものは化学製品を避けたりしています。母には90歳になっても100歳になっても、寿命が来るまでは心地よく、安心して過ごしてもらいたいと考えているんです。

  杉田さんの母親は若い頃からおおらかな性格だ。子役として杉田さんが稼いできたお金もみんなにごちそうするなどしてすぐ使ってしまうこともあったという。そんな母親に対しては、今までなら複雑な思いもあった。

 私はこれまでは「私が稼いでいる」という意識が強かったんです。でも、それはエゴだったなあと、介護をしていて改めて気づきました。

 今、母が体調を崩すと、とても心配になるのです。昔、私が徹夜で仕事をして家に帰ったら、母が起きて待っていてくれたことが何度もありました。心配してくれていたんだな、と、今ならあの時の母の気持ちが分かります。

 家族が私の活動を支えてくれていたんです。こうやって、50年近く一緒に仕事してきたんです。

 介護で母と向き合うことで、私自身も自分の人生を振り返り、いろんなことを思い返すことができています。「過去の整理」という豊かな時間を味わっているのだと思っています。(聞き手・志磨力)

  すぎた・かおる  1964年、東京都生まれ。7歳の時にドラマ「パパと呼ばないで」でデビュー。ドラマ「3年B組金八先生」では妊娠する中学生を演じて大きな話題に。映画やドラマで活躍するほか、近年ではバラエティーにも出演。「この私が変われた理由」など著書多数。

  ◎取材を終えて  芸能界は人気商売。仕事は常にあるわけではない。介護のためにその仕事を自ら減らしたという杉田さん。勇気の要る行為だっただろう。ただ、本人はあっけらかん。「お友達も減っちゃって」と笑っていた。毒舌で好戦的――。テレビのバラエティー番組で見せる印象はどこにもない。穏やかな口調で母への思いを語る姿は、むしろ柔和な性格を思わせた。母との時間を優先した今の生活にとても満足しているのだろう。

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