元ちゃんハウスより~がんと生きる医師・西村元一の手紙
医療・健康・介護のコラム
西村詠子さんに聞く(上)自らも「元ちゃんハウス」に支えられ
胃がんを患う消化器外科医として、自らの闘病をヨミドクターのコラムでつづってきた西村元一さんが、5月31日に58歳で亡くなった。がん患者と医療関係者らが交流する「元ちゃんハウス」を金沢市内に開くために奔走した西村さんは、昨年末のオープン以来の様子もコラムで報告してきた。2年2か月にわたる病気との闘いを通じて、西村さんは何を思い、伝えようとしたのか。間近で支えてきた妻の詠子さん(58)に聞いた。(ヨミドクター 飯田祐子)
いきなり「ステージ4」の患者に
――金沢赤十字病院副院長で、大腸がんの診療・研究で知られていた西村さんが、胃がんだと分かったのは2015年3月。病巣は胃の入り口から食道にかけて広がり、肝臓やリンパ節など広範囲に転移。「治療しなければ、余命半年」との診断だった。
普通なら「なんだか調子悪いな」と感じたり、検診で引っかかったりして、精密検査の結果を待つ間の不安を経験してから、がんを告知されるものです。でも主人の場合は、勤務中に下血して、すぐ胃カメラで調べたら大きな病変があった。それまで元気に働いていた人が、ある日突然、最も重い「ステージ4」のがん患者になったんです。
以前から、よく「しゃあない」という言葉を口にしていましたが、あの時も同じように言っていましたね。分かったときには、もう進みすぎていて、そう言うほかなかったのかもしれません。
主人の胃がんが見つかる前の2013年、私もぼうこうにがんがあることが分かりました。それはごく早期だったのですが、その時に肺に進行がんを疑わせる影が見つかったのです。それで私も死を覚悟しました。結局、肺の影はがんではなく炎症だったのですが、この時「肺がんは検診で発見できるのだから、それで死んだら後悔が大きいな」と思ったのです。
だから主人に「ちゃんと検査してよ」と頼んだのですが、「調べて、何か見つかったらどうするの」と、冗談めかして答えるだけでした。患者さんのためなら大抵のことはいとわないのですが、自分のことは二の次という人でしたから。進行の早いがんだったので、あの時に発見されたとしても根治できたか分かりませんが、「もし検査を受けてくれていたら、今頃どうなっていたかな」と、ふと考えてしまいます。
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