文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

ケアノート

コラム

[岩佐まりさん]母の認知症、20代で直面

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

介護・仕事・恋愛 しっかり

 ケーブルテレビのリポーターなどとして活動するフリーアナウンサーの岩佐まりさん(33)は、「若年性アルツハイマー型認知症」と診断された母、桂子さん(69)と4年前から同居し、世話をしています。若くして始まった親の介護ですが、「介護も仕事もプライベートも充実させたい」と明るく話します。

55歳で異変

[岩佐まりさん]母の認知症、20代で直面

「母とは子どもの時からの仲良しです。『アルツハイマー』と診断された頃には、母の介護は自分がすると心に決めていました」(東京都内で)

 異変に気付いた時、母は55歳でした。私は20歳。大阪の実家を離れて川崎市にいましたが、ある日、母に頼んでいたモーニングコールがかかってこなかったことがありました。尋ねるとこう言うのです。「約束なんてしてないよ」

 記憶が消えてしまったと感じました。それ以前から心配するようなことはありました。寂しさもあって母とは毎日のように電話していましたが、頭痛やめまいを訴えたり、同じ話を繰り返したりするようになっていました。

 渋る母を説得し、大学病院で診察を受けさせました。結果は「問題なし」でした。それでも、鍋を火にかけたことを忘れて焦がしたり、グリルに魚を入れたまま腐らせてしまったりと、母の行動は一向に改善しません。日常生活にも支障が出るようになりました。

 しばらくして、私は大阪府内のもの忘れ外来のある病院を探し、受診させました。検査は自分の名前が言えるかのテストや、脳の画像を撮影するなど1時間ほど。診断結果は「アルツハイマー型軽度認知障害」でした。

 母はまだ58歳。病院を出る母の目から涙がこぼれるのを見て、私も泣きました。手を握って、「大丈夫だよ」と声をかけるのが精いっぱいでした。

  桂子さんの症状は進行し、その後、「アルツハイマー型認知症」と診断された。実家で同居する父親は仕事の傍ら、それまで桂子さんが担っていた家事を一手に引き受けることになり、負担がピークに達していた。

父だけでは限界

 母は処方された薬を飲んだかどうかを忘れてしまい、過剰摂取からか頭痛を訴えるようになりました。父は元々、家事や介護とは縁遠い「昭和の父」です。それでも家事を頑張りましたが、母の薬まで管理する余裕はありません。2009年、私は一度母を自宅に呼んだのですが、寂しかったのか、母は半年で大阪に帰っていきました。

 実家に電話して様子を探ると、母の記憶はますます 錯綜さくそう し、怒りっぽくなっていくのがわかりました。父の愚痴も増えてきました。

 12年の夏、久しぶりに実家に帰った時、衝撃を受けました。母の体がガリガリにやせ細っているのです。父が用意した食事を部屋にこもって食べていたのですが、食べていることを途中で忘れてしまい、放置するとのことでした。お風呂にも入っていない様子でした。

  岩佐さんは、「父一人では無理だ」と確信し、桂子さんを改めて自宅に迎えることに。要介護認定を受け、日中はデイサービスを利用できる態勢も整えた。13年4月、母子2人の生活が本格的に始まった。

 母と同居を始めて10日目のこと。帰宅すると母の姿が見えません。母はデイサービスから午後6時に帰宅します。定時で仕事を終えても私が帰宅するのはその1時間後。それまでは母一人です。「事故にでも遭っていないか……」。交番やケアマネジャーさん、デイサービスの職員など、思いつく限り連絡し、捜し回りました。

 3時間ほどして、ようやく見つかったとの連絡が入りました。戻ってきた母の私に対する第一声は「どこ行ってたのよ。捜してたのよ」。

 ホッとすると同時に、全身の力が抜けました。母は翌月にも、デイサービスの施設を抜け出します。「毎月こんなことが起きるの?」と途方に暮れたのを覚えています。

 食事を作っても「おいしくない」と言われたり、入浴の手伝いをしても荒っぽい言葉で拒否されたりの毎日。遊ぶ時間も減るし、同世代で疎遠になった友人もいます。

どうせなら楽しく

 その代わり新しい出会いもありました。介護の話題をきっかけに意気投合し、年上世代の飲み友達ができました。

 何かを犠牲にして介護をしても、される側はうれしくないと思うんですね。どうせなら楽しく介護したい。母が嫌がらずにお風呂に入るためにはどうしたらいいか、謎解きをするような感覚です。うまくいった時は達成感もあります。仕事も恋愛も結婚もバランス良く、「ちゃんとやっているよ」と母に言えるようにしたいです。

 

  昨年秋、桂子さんが自宅で転び、 大腿だいたい 骨を骨折。車いす生活を強いられることになった。

 4月に車いすの人を介助するヘルパー資格を取りました。負けず嫌いなので、「プロの人ができることは、私がしてあげたい」と思うのです。

 一日でも長く母と暮らしていけたらというのが今の願いです。私こそが誰よりも母のことを理解してあげられる、言葉にできない思いを感じ取ってあげられる――。そんな存在でありたいと思っています。(聞き手・大郷秀爾)

  いわさ・まり  フリーアナウンサー。1983年、大阪府生まれ。高校卒業後、東京で舞台女優を目指す。現在はケーブルテレビのキャスターやリポーター、インターネット番組の司会などとして活動する。介護の様子などをつづったブログが話題を呼び、2015年に著書「若年性アルツハイマーの母と生きる」を出版。

  ◎取材を終えて  独身の子が親を介護することを「シングル介護」と呼ぶことがある。「老々介護」の問題がよく指摘されるが、こちらも大きな問題だ。母親が認知症と診断された時、岩佐さんは20代前半。同年代の頃の自分はこの頃、何をしていただろう。仕事に慣れ始めたばかりの苦労もあったのではないか。岩佐さんは「母と一緒にいられることが幸せ」とあくまで前向きだった。介護を巡り、若者が置かれた現実も今後見ていきたい。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

kea_117

ケアノートの一覧を見る

最新記事