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麻央さんが果たせなかった夢「いつか黒木奈々さんと…」
ジャーナリスト・斉藤勝久
がんとの闘いの日々をブログで発信し続けた小林麻央さんが、34歳の若さで亡くなりました。生への叫び、家族への愛、回復の喜びと死の予感――、などが正直につづられたブログは大きな反響を呼びました。
私も麻央さんのブログが昨年9月1日に始まって以来、愛読していた一人です。読み続けているうちに、麻央さんがご自分と極めて似た経歴、闘病体験を持つ、ある方に親近感を持っていたことに気付きました。2年前(2015年9月)に胃がんのため、32歳で亡くなったフリーアナウンサー、黒木奈々さんです。
麻央さんはブログ開始から1か月後の2016年9月30日、「いつか」というタイトルでこう書いていました。
今日は、
報道番組のキャスターをされていた
黒木奈々さんのことを
想っていました。
同じ事務所で、
同じ1982年生まれ
同じ上智大学出身
そして同じ時期に癌で闘っていました。
元気になったら
いつかお会いして、
お話したいなと
思っていました。
でも、
黒木奈々さんは亡くなられて、
その、いつか、は叶えられませんでした。
ご本人にも何も
伝えられませんでした。
今も、時々、黒木奈々さんを
想います。 (後略)
黒木さんは2014年3月、31歳でNHK BS1の国際報道番組のメインキャスターになりましたが、そのわずか4か月後に胃がんと診断されました。同年9月にはがんを公表し、胃の全摘手術を受けた後、激痛や抗がん剤の副作用に耐え、翌15年3月に週1日の限定ながら番組への本格復帰も果たしました。その体験を詳しく記した著書が話題になりましたが、病状が再び悪化し、この年の9月に多くのファンに惜しまれながら亡くなりました。
私は黒木さんの亡くなる2か月前に、読売新聞夕刊の連載闘病記「一病息災」の取材で、1時間半余の インタビュー を行いました。
麻央さんと黒木さん――。30歳代前半の若いがん闘病者となったお二人が対面することはありませんでしたが、極めて似た体験を重ね、同じような思いを残していったことに私は驚かされました。
医師から、開腹手術と胃の全摘を告げられた黒木さんは、「一晩泣き続けた後、今は仕事より、病気と闘うことを考えよう。未来のことは、未来の私にまかせればいい。今を生きてさえいれば、なんとかなると思いました」と語っていました。その思いが著書『未来のことは未来の私にまかせよう』(文芸春秋)となっています。
一方、麻央さんは昨年の暮れ、体調が悪化して入院した後、16年12月20日のブログ「体力回復に向けて」でこう書いていました。
入院中。
本当は自宅にいたかったので、
気力で復活させようとしてきたのですが、
「今は、がんばる時ではないよ。
医療の力を借りて、回復させよう。」
と主治医の先生に言われ、
ここ最近の踏ん張りを
一度、休止することにしました。
入院しようと何度か言われても
「負けてたまるかー」と
謎のひとり勝負を続け、
そして今になり、あっけなく入院。 (後略)
幼い我が子や愛する夫と離れるのはつらかったでしょう。いつ帰れるかわからないまま入院となり、年を越すことになりました。
やがて苦しい体験を経た、麻央さんと黒木さんは全く同じ目標を持つようになりました。
黒木さんは筆者とのインタビューで、「人に伝える仕事をしているので、病気にならないとわからないことを多くの方に伝えていきたい。それが若くして病んだ自分の存在意義だと思っています」と言っていました。
麻央さんの場合も、「元気になったら、彼女は自分が歩んできた乳がんやそれに伴う病について、多くの人の救いになれるような存在になりたいと、一生懸命、闘病していました。それでブログも始めたのです」と、夫の市川海老蔵さんが6月23日の記者会見で語っています。
さらに闘病の苦労やつらさについても同じ感想を述べています。
次々と襲ってくる病魔について黒木さんは「頑張っても頑張っても、次から次に大きい壁が来て、疲れました」と友人にメールしていました。麻央さんも同じように、「越えてもまた壁で疲れます」ということを漏らしていたそうです。
お二人とも在宅療養のために退院し、ご自宅に戻りました。もちろん、あきらめた結果ではなく、最後まで生き続けようという執念に燃えてのことでした。黒木さんはもう一度、自分がキャスターをしていた番組への復帰を目指し、麻央さんは幼い我が子2人のために闘っていたと思います。
最期の時を迎え、黒木さんも麻央さんも家族、肉親への感謝の気持ちと深い愛情を、それぞれの短い言葉に込めました。
闘病中、ずっと一緒に過ごしてくれたご両親に「お父さん、お母さん、大好きだよ」とメッセージを 遺 した黒木さん。そして麻央さんは息を引き取る瞬間、海老蔵さんに一言「愛してる」と言ったそうです。
あちらで初めて対面した麻央さんと黒木さんは、何を話しているのでしょうか。
→医療大全「乳がん」
https://yomidr.yomiuri.co.jp/iryo-taizen/archive-taizen/OYTED551/

斉藤 勝久(さいとう・かつひさ)
読売新聞東京本社社会部などを経て、1994年に半年ほど、医療部の前身の「健康・医療問題取材班」に参加。60歳で定年退職の後、シニア記者として2013年から医療部に在籍。「一病息災」のほか、健康・医療情報の連載「元気なう」、読者投稿「わたしの医見」などを担当。16年6月、シニア定年で医療部を卒業。翌7月からフリーで執筆活動中。
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