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小泉記者のボストン便り

コラム

公衆衛生 「できること」と「すべきこと」

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 昨年10月に始まったこの連載も今回が最終回です。最後にハーバード大学公衆衛生大学院のミッシェル・ウィリアムズ学長と、私の指導教授だった同大学院のカワチ・イチロー教授へのインタビューをお届けします。ウィリアムズ学長には「公衆衛生の研究が社会に果たす役割」を、カワチ教授には「健康な社会を作るための仕組みづくり」を聞きました。

国家の安全や経済発展にもつながる公衆衛生

 ハーバード大学公衆衛生大学院学長 ミッシェル・ウィリアムズ氏

公衆衛生 「できること」と「すべきこと」

ミッシェル・ウィリアムズ学長

 私はジャマイカで生まれ、幼い頃に家族と米国に移住しました。ニューヨークのクイーンズ地区で、貧困に近い環境で育ったため、公的教育などの社会的な基盤の大切さを実感してきました。家族の中では、私が初めて大学教育を受ける機会に恵まれました。

 当初は発生遺伝学を専門に選びました。勉強はとても充実していましたが、「大学で学んだことが、社会問題の解決にどう役立つのか」を、家族に説明するのは容易ではありません。そんな時に出会ったのが、「公衆衛生」でした。すべての人々が健康な生活を送れる社会を目指す分野です。生命科学や人口学など様々な分野の専門家が協力して、健康格差や感染症、母子保健といった問題にリアルタイムで取り組んでいることを知り、現在、学長を務めているこの大学院への進学を決めました。

 私たちは普段、公衆衛生の大切さを忘れがちです。

 米国ミシガン州の一部では、2014年、老朽化した水道管から高濃度の鉛が溶け出し、住民に健康被害をもたらしました。そうなって初めて、人々は安全な水がどれほど大切かを思い起こしたのです。公衆衛生は、医療やヘルスケアを提供するだけでなく、このように国家の安全や経済発展などにも関連しているのです。

 公衆衛生上の新たな危機や問題に対応するには、問題を深く広くとらえ、素早く、着実に動くことが求められます。大学院では、そうした能力のある次世代のリーダーを育てています。基礎的な研究を支援しながら、新しい知見を実際の社会に反映し、人々の生活を変えられるような研究にも力を入れていきたいと考えています。

理性と感情の両面から、健康を啓発

 ハーバード大学公衆衛生大学院 イチロー・カワチ教授

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イチロー・カワチ教授

 肥満や喫煙などの健康問題は、「意志が弱いから、人は行動を変えられない」というように、個人的な問題と考えられがちです。もちろん個人の責任はありますが、意志があっても、仕事での過重なストレスなどがある限り、生活習慣を変えることは難しい。社会的な環境にも目を向ける必要があります。

 塩分や油分が高い食事や生活習慣病と病気のリスクとの関係や、病気の予防の大切さを訴えておきさえすれば、人々は健康的な行動をとるだろうと思われがちです。しかし、理性が感情に勝てないことは多々あります。ポテトチップスやタバコのように「健康によくないと分かっているのにやめられない」という経験は、誰にでもあると思います。

 行動経済学には、「人の行動は必ずしも論理的でない」という考え方があります。人の意思決定の過程には、「直感に近い判断や感情的な判断」と「理にかなった合理的な判断」が共存していると考えられています。公衆衛生の側からは、これまで後者の理性に働きかけるものがほとんどでした。しかし、前者のように感情的な判断に訴えかけて、売り上げを伸ばす民間企業の手法にも注目する必要があるでしょう。

 子供は、人気アニメのキャラクターの袋に入っているトマトを、よりおいしく感じるとの実験結果があります。また、ポテトチップスのパッケージを模した袋に入った小さなニンジンが、大幅に売り上げを伸ばしました。

 一人ひとりが行動を変えやすくするためには、個人の意志に加え、制度や法律の整備も重要です。日本では、受動喫煙対策を強化する法改正についての議論が続いていますが、私もその行方を注視しています。 日本では受動喫煙が原因で約1万5000人が毎年亡くなっている と推計されています。

 米国を始め、世界では多くの国で飲食店の全面禁煙が当たり前になっています。健康で長生きできる国として日本は世界から注目を集めているのに、このような遅れが放置されているのは本当に残念です。飲食店の全面禁煙を実現する法律を作ることは、世界に誇れる国であるために重要なことではないかと思います。

終わりに

 公衆衛生大学院で1年間過ごした私の留学生活も、6月末で終わりです。トランプ政権の誕生で、国の根幹ともいえる移民や医療制度の在り方などを巡ってアメリカ社会が大きく揺れる様子を間近に見られたのは、大きな収穫でした。 カワチ教授の研究室にお世話になり、世界各地の研究者や医師らの友人ができたことや、彼らと様々な議論ができたことは一生の財産になりました。この留学を支えてくださったすべての方々に感謝します。留学での経験を今後の仕事に少しでも生かすことができるようにしたいと思います。ご愛読くださり、どうもありがとうございました。

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koizumi

小泉 朋子(こいずみ・ともこ)
2003年読売新聞東京本社入社。金沢支局、編成部を経て、2009年から社会部。10年から厚労省担当となり、生活保護受給者の増加の背景を探る「連載・生活保護」や認知症の人を取り巻く状況を取り上げた「認知症」などの連載を担当。13年から司法クラブで東京地・高裁、最高裁を取材し、「認知症と賠償 最高裁判決へ」「隔離の後に ハンセン病の20年」の連載など担当。2016年7月からハーバード大学公衆衛生大学院に研究員として留学中。

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