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僕、認知症です~丹野智文43歳のノート

医療・健康・介護のコラム

「僕、認知症です~丹野智文43歳のノート」 27日スタート

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 39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断された丹野智文さんのコラム「僕、認知症です~丹野智文43歳のノート」が、6月27日に始まります。

 丹野さんは当時、仙台市の自動車販売会社で働くトップセールスマンでした。認知症に関する知識はほとんどなく、ネットを検索すると、「2年で寝たきりになる」「10年で死亡する」など、絶望的な言葉が並んでいました。

 それから4年。丹野さんは、今も住み慣れた仙台の街で家族と暮らし、同じ会社で働いています。症状は少しずつ進んでいますが、様々な工夫と周りの支えで、自分らしい日々を送っています。

 「認知症になったら、何も分からなくなるのかと思っていたけど、それは間違いだった。認知症はただ恐ろしいだけの病気ではない」

 同じ認知症の仲間をはじめ、たくさんの出会いがありました。認知症の当事者として各地で講演する機会にも恵まれて、世界が広がったといいます。

 コラムでは、丹野さんが、認知症とともに歩んできた道のりを振り返り、自分の生き方や周囲の人々、そして認知症を巡る医療や社会への思いを語ります。(原則、毎月第2、第4火曜日に更新します)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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