心療眼科医・若倉雅登のひとりごと
医療・健康・介護のコラム
医者が困る「全治どのくらいでしょう?」…忖度して答えて、後で大変なことに
医者にとっては、医学上も治療上もまったく重要性はなく、カルテに書くこともまずない用語が、社会では大手を振って通用していることがあります。
たとえば、ケガなどで救急車で運ばれてきた患者さんをみたあと、救急隊員はよく医師に「全治どのくらいでしょう」と尋ねます。
医学の世界ではそういう尺度で測定することはなく、意味もありません。特に 頭頸 部や顔面の打撲や外傷では、はじめはほとんど症状がなくても、後になってから、目や頭を含む身体の痛みや 腫脹 、さらには視覚異常、記憶障害、行動異常などさまざまな脳の機能障害が出てくることがあります。
ですから、ごく軽症で十分予測がつく場合を除けば、医学的にはその時点では「まだわかりません」というのが、最も科学的な答えと思われます。
私も、「わかりませんね」と答えたことが何度もありますが、すると、救急隊員は困った表情になり、大まかでいいのですと言います。
そもそも「全治」とは何か。「全治しない」ということもありうるではないかなどと、いろいろ考えているうちも、隊員は私の答えを待っています。
仕方なく、数週間しないとわかりませんね、などと言うと、「では全治1か月ということでいいですか」と聞いてきます。
こちらも別にこだわる数字ではないし、懸命に仕事をしている隊員は公務員であり、規則上何か記入しないといけないのだろうとそれこそ 忖度 して、いいですよというふうに答えることになります。
ところが意外や意外、こういう数字が損害賠償や慰謝料などの紛争において、重要な数字になったりします。全治1か月という診断なのに、何年も医者にかかっているのはおかしい、などという話になったりするのです。
最近もう一つびっくりしたのは、障害年金の診断書に必ず書かなければいけない、「傷害が治った(症状が固定して治療の効果が期待できなくなった状態を含む)かどうか」という項目のことです。「傷病が治っている」場合はその日付を、「治っていない」場合には症状がよくなる見込みがあるかないかを記載することになっています。
治癒とか固定とかを決めるのは、特殊な場合を除くと、大変難しいものです。むしろ、進行性のもの、症状が安定しないもの、今後行方がどうなるか不明確なもののほうが圧倒的に多いからです。また、根治療法がなく、自然回復を期待するしかないものもとても多いのです。それゆえ、治った、治っていない、固定した、固定しないをにわかに判定するのは非科学的態度といえ、臨床ではそのような判定はせずに、経緯を観察することになります。
ところが、医師が判定したくないのに、求められたから仕方なく「治癒固定」という判定を記述してしまったために、本来、障害年金を支給されるべき事例が、却下されてしまった事例に遭遇しました。
その詳しい話は、次回することにしましょう。(若倉雅登 井上眼科病院名誉院長)
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