宋美玄のママライフ実況中継
医療・健康・介護のコラム
笑えない表現 煙たがられても批判続ける
今月20日で息子は1歳6か月になりました。まだほとんどしゃべれませんが、イヌを見かけると「わわ、わわ」と言います。「わわ」は、他の時にも発していますが、少なくともイヌを「わわ」と表現するので、息子はしゃべっている、と考えることにしました。
「炎上」から考える「表現」
先週末、東京大学で興味深いシンポジウムが開かれたので、参加してきました。「第1回メディアと表現について考えるシンポジウム 『これってなんで炎上したの?』『このネタ、笑っていいの?』」(東京大学大学院情報学環 林香里研究室主催)です。友人の小島慶子さん、白河桃子さんやハフィントンポストの竹下隆一郎編集長が登壇しました。
鹿児島県志布志市が、養殖うなぎをスクール水着姿の少女に擬人化してふるさと納税をPRしようとした動画や、女性が主な顧客であるはずの資生堂が流した「25歳になったら女の子じゃない」というCMが、炎上したのをご存じの方もいると思います。どちらも話題性を追求したのでしょうけど、冗談ではすまないレベルのどぎつさや、誤解を生みかねない表現が物議を醸しました。
シンポジウムでは、こうした表現の何が許されないか、どういう点に気をつけるべきか、などについて掘り下げられていました。前回取り上げたオムツCMが炎上した時もそうでしたが、批判が巻き起こると、その批判への対抗意見としての批判や、「私は平気」、あるいは「平気でした」という、内容を肯定する当事者の意見が出てきます。そうした反応自体は自然で健全なことだと思いますが、制作者側は、表現の中に潜む問題点にもっと注意を払うべきでしょう。
長年の啓発で意識に変化
こういう問題が起きるたびに、子供の頃(30年以上前)に見たドリフターズのコントを思い出します。刑務所の中で受刑者たちが自分の犯した罪を告白し合う場面でした。「殺人」や「強盗」のシリアスさに対して、「痴漢」と言った相手に、周囲がズッコケる、というゆるさがポイントになっていました。痴漢は「笑える犯罪」だったのです。
今、同じコントがテレビで許されることはないでしょう。それは、長い年月を経て、痴漢が卑劣な犯罪だと認識されたからです。その認識も、自然にではなく、啓発あってのことでした。問題意識の低い人から多少煙たがられたとしても、女性を軽く見たり、女性だから男性だからと性別で役割を決めつけたり、性的少数者への偏見を助長したりするようなものについては、ちゃんと批判することが必要だと感じました。
「メディアと表現について考えるシンポ――」の今後の展開に期待します。私自身も、発信するものに問題がないか気をつけつつ、違和感のあった内容には触れていくべきだと思いました。
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CM等の表現で、道徳的にどうかと思うものや、明らか(であると普通の感覚では捉えられる)な差別を観ると、いつの頃からか、これは炎上狙いで、わざと話...
CM等の表現で、道徳的にどうかと思うものや、明らか(であると普通の感覚では捉えられる)な差別を観ると、いつの頃からか、これは炎上狙いで、わざと話題にされるようにしてるんだな、と考え、無視するようになりました。
しかし、心の柔らかい子供が観るかと思うと、無視するだけではダメだと最近では思います。おかしいものはおかしいと声を上げなければ。
昔に比べれば、多少声をあげやすくなったのかな、とは思いますが、確かにドリフのコントのような内容はテレビからはほとんど消えました。
しかし実生活では、会社で褒め言葉としてでもただの上司や同僚という関係の人に、「足の線が綺麗だ」とか言われると虫唾が走るのに、セクハラだと言うことが出来ません。
スマートなかわし方は無いかな、と思い、そのたび昔のフランス映画で観た「容姿をあれこれ言われても、笑ってかわすのがイイ女だ」の言葉を思い出します。
女性は男性の容姿に対して、面と向かって評価することは少ないと思いますが、その逆はとても多いと思います。
デブだのハゲだの言いませんが、胸が大きい小さい、髪がどうだ、と相手の目の前で言っても大丈夫だと思ってる男性は多いなあと思います。
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メディアの変化と常識の変化とビジネス
寺田次郎 六甲学院放射線科不名誉享受
小島慶子さんの関連記事を見て理解できました。 メディアの双方向化により、広告は意識誘導するものから評価するものにシフトしており、フラストレーショ...
小島慶子さんの関連記事を見て理解できました。
メディアの双方向化により、広告は意識誘導するものから評価するものにシフトしており、フラストレーションを抱えた人により、本来、不干渉で良い価値観が、ぶつかっただけです。
文字数の少ないツイッターの普及もあって、理屈よりもタイミングや言葉尻で感情的な衝突が起こります。
25歳は15歳から見ればお姉さんだし、50歳からすれば女の子です。
44歳は25歳からすればおばさんで、70歳からすれば女の子でしょう。
相手に異性を求めるか、仕事や役割を求めるかでも変わりますし、杓子定規の運用も現実的ではありません。
クリスマスとか、ビジネスも絡んだ表現もあり、どこに基準や常識を持ってくるかのせめぎあいです。
恋愛や結婚・出産は消費活動を刺激しますから。
(双方に都合のいい表現や経済開発が必要と言う意味では北方領土交渉みたいなものかもしれません。)
人間の中には優れたものや年長者を頼る感情と恐怖心や反発心が混在しています。
年とともに、そのへんの整理や使い分けが必要です。
病的なものはともかく、「成熟した女性を愛せない未熟な男性(マイルドな表現)」が多いのは、生殖能力の性質の差異のほか猜疑心と恐怖心の本能に根差したものです。
自信がない人間や厄介ごとが嫌いな人間はその傾向は強いでしょう。
言葉遊びを楽しめる頭と心の余裕の有無が、熟女とおばさんの分水嶺で、若い時期にその予兆は認めます。
そういう選り好みしているうちに、男の子もおっさんになって行くんですが、抗議のような対症療法よりも、より良い解決方法は何なのか、熟女会議の方が正しい気もします。
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ダブルスタンダード
タマネギ
こういう表現の問題については、特に男性側が女性を対象とする表現に女性の批判が集まりがちですが、逆に男性を対象とするものについては寛容ではないかと...
こういう表現の問題については、特に男性側が女性を対象とする表現に女性の批判が集まりがちですが、逆に男性を対象とするものについては寛容ではないかと思います。
例えば男性の容姿を取り上げたCMで暗に「デブ、ハゲ」を揶揄するものは沢山あります。男性は自らが対象になっても余り問題にしないし、自虐的にかそういう立場を笑いに変えてしまうことすらあります。
これは男性は表現する側でも表現される側でもおしなべて鈍感、そういう意味で批判されるべきですが、女性は自分に向けられた表現には敏感に反応されるのに対し、男性が晒されるときには無関心どころか一緒になって笑いに参加していないでしょうか。
女性はともすると他人に厳しく自己に甘い、ダブルスタンダードがあるような気がしてなりません。
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