元ちゃんハウスより~がんと生きる医師・西村元一の手紙
闘病記
揺れる心 人との交流が支え
一昨年3月に病気が見つかり、気がつけば2年を過ぎていました。その間に抗がん剤治療、手術、放射線治療、さらに免疫治療まで、できそうな治療はだいたい行いました。後悔がないといえば 嘘 になりますが、当初の病状から考えると、こうして今も命があるということは、治療の選択は決して悪くなかったのではないかと自分に言い聞かせています。
一昨年の冬から夏にかけての9か月余りは、治療によって、ある程度、病気のコントロールができていました。体調が良い時は、「もしかしたら、このまま 上手 くコントロールし続けられるかも」と、甘いことを考えることさえありました。この時は、先行きのこともあまり気にならず、色々な活動を精力的に行っていました。
しかし、がんの進行により、症状は確実に悪化していきます。抗がん剤・放射線治療の副作用による味覚障害、手足のしびれや脊椎の変形が原因の様々な症状が加わって、確実にQOL(生活の質)が落ち、できることが限られてきています。使える抗がん剤もどんどん減ってきています。
病状の悪化に伴い、精神的なプレッシャーも高まります。先行きの不安が現実的なものになってきて、様々な症状や不自由な状況がこのまま続くのかと思うと、それだけでも気分が 滅入 ります。
ふと思う「いつまで生きられる?」
今までも2回ほど、しばらく気分が落ち込んだことがありました。最初は、病気の告知を受け、治療が始まったばかりで、先行きがどうなるか分からなかった時。そして2回目は、手術後間もなく、再び病状が悪化してしまった時です。
気分的に落ち込むと、周囲にあまり関心がなくなり、人と話をすることさえも面倒になります。テレビや本などの娯楽に対する興味が薄れ、音楽を流して寝ている時間が増えます。
以前の2回と明らかに異なっているのは、時々ふと「いつまで生きられるのだろうか?」「使える薬がなくなって、『緩和ケア』を提案されたら、気持ちの整理がつけられるか?」という思いが脳裏をかすめ、日中、急に恐怖に襲われたり、夜中に突然目が覚めてしまったりすることが増えてきたことです。睡眠剤や精神安定剤のお世話になる場合もあります。
目標や喜びを見出すことの難しさ
このような段階になって、やっと分かってきたことがあります。以前、自分の患者さんなどに対しては、「気分が落ち込んだ時には身近なことでいいので、何か目標を持ちましょう」とか「日々の生活の中で、小さなことでいいので喜びを見出しましょう」と言ってきました。自分が患者になってからも実践してきたつもりです。
現在も、この考えは基本的には変わりません。しかし、一日の行動が限られるようになると、「目標を持つ」「喜びを見出す」ことが、結構難しいということも分かってきました。
北陸では、冬の間はたいてい天候が悪いので、外に出ることも少なくなります。「春になったら……」と思っていましたが、いざ春を迎えると、思っていたよりも何もできず、うれしく思えない自分がいて、 唖然 としています。
利用者になって分かったこと
自分にとってラッキーだったのは、仲間と一緒に作った『元ちゃんハウス』があることです。最初は、医療者の立場から、患者さんや家族のためという思いがあって始めたのですが、やってみると、スタッフのやり 甲斐 にもなっていることが分かりました。
最近は、患者さんと話していて共感することが多く、どちらがピアサポートを受けているか分からない時さえあります。そして時間がある時は、元ちゃんハウスに行き、患者さんやスタッフと話をするということが目標の一つとなりました。
いつも一緒に行ってくれる家内は、時々笑いながら「自分のために作ったんじゃない?」なんて言います。利用者として、これだけ有用性を実感しているのですから、他の患者さんのためになっていることは、間違いありません。
昨年初めに基金を創設した時は、自分が生きている間に完成するかどうかも分かりませんでしたが、たくさんの皆さんの支援のおかげで、昨年12月1日に現実のものとなりました。自分自身で、その効果を検証できたということは、本当に、本当に幸運だったと思う、今日この頃です。
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