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医療部発

医療・健康・介護のコラム

災害時の避難に発想転換を

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災害時の避難に発想転換を

熊本地震で訪れた避難所は、6年前の東日本大震災の時の避難所と何も変わっていなかった(2016年4月19日、熊本県西原村で)

 熊本地震から1年が過ぎました。昨年4月16日の本震翌日から熊本に入り、約1週間、避難所の様子や医療救護班の活動を取材しました。そして熊本地震を中心として、この1年で浮かび上がった災害医療の課題について、4月11~18日付「 医療ルネサンス 災害医療 新たな課題 」で紹介しました。

 地震では助かった人が、その後の持病悪化などで亡くなる震災関連死の調査や分析、関連死を防ぐ取り組みについても、4月12日付と14日付の朝刊で取り上げました。熊本地震では発生から1年の段階で、建物倒壊などによる直接死が50人なのに対し、関連死は3倍以上の170人(大分県の3人を含む)に上ります。

 「また同じことが繰り返されてしまった」。それが6年前の東日本大震災でも、発生から1か月後の関連死の独自調査をした立場からの実感です。当時の関連死調査の感想は、私を含めた読売新聞記者77人による震災の現場ルポ「 記者は何を見たのか 3・11東日本大震災 」(中公文庫)でも取り上げました。行政、医療・福祉関係者が従来と変わらない災害対応を踏襲した結果、持病を抱える高齢者らを過去と同じように危険にさらし、結果として死に至ってしまったと言っても過言ではないと思っています。

 震災時、仙台にある東北総局に在籍していた私は、直後から仙台や石巻などの避難所を取材して回りました。避難所の様子は、入社3年目の冬だった1995年1月、阪神大震災の取材に行った神戸市の状況とまったく同じで、床に雑魚寝、仮設トイレは不衛生、食事は配給の菓子パンという状況でした。しかし6年前の私は、「避難所なんてこんなもんだろう」としか思いませんでした。

 私自身は災害に遭って避難所で生活した経験はありません。ただ震災から1か月は都市ガスが止まってまともに風呂に入れない上、肉や野菜はほとんど食べられない生活が続きました。こんなことを長期間続けたら病気になってしまうと感じました。避難所生活は数日なら仕方ないでしょうが、何か月も続けてはならないはずです。弱者ならなおさらです。あの震災では避難所で半年以上暮らした人が大勢いました。

 典型的な震災関連死は、高血圧や糖尿病などの持病を抱えた高齢者が、過酷な避難生活の結果、持病を悪化させて息絶えるという構図です。熊本地震もまったく同じでした。せめて体の弱い人、高齢者、妊婦などには災害時にもゆっくり休める場所が必要です。高齢者施設などを利用した福祉避難所がその役目を担うはずですが、数は十分でなく、一般の被災者が殺到することを懸念し、どこに福祉避難所があるかを公表していない自治体も少なくありません。弱者が過酷な被災地に長期間とどまって健康に良いことは一つもありません。発想の転換が必要です。

 「被災地から外に出られる人には、積極的に脱出してもらうことが、健康を守る上では最も効果的で安上がりな方法」と、避難所・避難生活学会代表理事の榛沢(はんざわ)和彦医師(新潟大学講師)は言います。被災地から離れた場所の快適なホテルや温泉で、のんびり過ごしてもらうのです。家の後片づけなど、用事がある時には自宅に戻ることも自由です。私は全面的に賛成です。

 14日付朝刊3面の記事でも紹介しましたが、熊本地震の後、最も被害の大きかった 益城ましき 町では、人でごった返す避難所の過密対策と、被災者の心身の健康回復を目指し、天草市の温泉地に無料で一時的に滞在してもらう「リフレッシュ避難」が熊本県主導で行われました。当初は「自分だけ地元を離れたくない」と高齢者の多くが渋っていたそうですが、顔見知り同士で参加することで寂しさもなくなり、心身が休まって、結果として「行って良かった」という声が多かったといいます。周辺5市町村を含め、延べ約1700人が利用しました。

 東日本大震災の時も、宮城県がこの取り組みを行い、被災者利用の提携を結んだ県内外のホテルや温泉地などに約6000人が無料で一時避難しました。当時、一時避難した石巻市の人からは「最初は自分だけ温泉に行っていいのかって思ったけど、風呂には入れるし、ご飯はおいしいし、天国みだいだっちゃ」との感想を聞きました。

 弱者には環境の良いところで過ごしてもらい、仕事などで被災地にいなければならない人にはいてもらっても良いのです。これでどれだけ被災者の健康を守れるか、効果を測ることは困難ですが、温泉地への避難が健康に悪いのは、食べ過ぎ、飲み過ぎぐらいしか考えにくいのではないでしょうか。被災地周辺のホテルなどにとっても、観光客が減る中、被災者は行政の支援で宿泊するため、商売の面でも一息つくことができます。

 1月中旬には、最低気温マイナス19.5度の北海道北見市の体育館に1泊する専門家向けの演習を体験取材しました。冬用の分厚い寝袋に、床からの冷たさを避ける段ボールベッドでも、足先は冷えるし、いびきはうるさいしで、繊細な(?)私はほとんど眠れませんでした。最高血圧は普段より40前後も上がりました。1泊だから何とか耐えられましたが、正直、これ以上は無理だと思いました。気温が10度程度でも、十分な毛布や寝袋がなければ床に雑魚寝で熟睡はできません。そもそも冬用の寝袋を持っているようなサバイバル力にたけた人は、避難所なんかに来ないでしょう。

 専門家が理想とするのが、日本と同じ地震大国のイタリアです。ヨーロッパでは被災地には行政が緊急用テントを運び込み、被災者は仮設ベッドで眠り、コンテナで運ばれたシャワーや仮設トイレを使います。キッチンカーが出て、温かい食事も食べられます。大災害の時は、被災者は離れたリゾート地などに脱出し、行政が宿泊先と1日3食を無償で提供します。そこでしばらく過ごし、専門家が町を再建するのを待ちます。現地を調査した人たちは口々に「日本が災害先進国だと思うことが恥ずかしくなる」と言います。

 イタリア式とまではいかなくても、宮城県や益城町でやってきたことは、今後の災害で他の地域でもできるはずです。それをもっと広げるべきだと考えます。

 避難所の設備や災害用品を豪華にするのと、被災地の外で既存のホテルや旅館を利用するのとでは、行政の手間や仕事量、被災者の健康を考えたらどちらが優れているでしょうか。過酷な被災地の避難所に雑魚寝するのと、被災地から脱出してゆっくり心身を休めるのと、被災者の家族だとしたら、どちらを選んでほしいでしょうか。熊本地震を経験した今、発想を変えるべきです。いつかどこかで起こる大災害に向け、発想の転換は行政にも、国民全体にも必要です。

石塚 人生(いしづか・ひとせ)

1999年から医療情報部で約7年間、小児医療、神経難病などを担当した。東日本大震災発生時は東北総局で、石巻支局長を経て2015年6月から医療部。

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医療部発12最終300-300

読売新聞東京本社編集局 医療部

1997年に、医療分野を専門に取材する部署としてスタート。2013年4月に部の名称が「医療情報部」から「医療部」に変りました。長期連載「医療ルネサンス」の反響などについて、医療部の記者が交替で執筆します。

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