麻木久仁子の明日は明日の風が吹く
医療・健康・介護のコラム
「怒られると思って…」痛み隠していた母、心臓の大動脈弁が石灰化
今年78歳になる母はおかげさまですこぶる元気。六十の手習いで始めた大好きな社交ダンスを週に2、3回。歌を歌うと肺活量が維持できて健康に良いと聞きボーカル教室にも通っています。そのほかにもお友達とのお食事会やら、お不動さんにお参りやらと、なんだかんだと年中出かけています。どちらかというと仕事の時以外は家にじっとしているのが好きな、出不精の私からすれば、どちらが年寄りなのだかわからないほどです。我が家は駅まで少々距離があるので、「車で送ろうか?」と声をかけることもありますが、「歩く、歩く!歩くのが一番!」と、送らせてくれません。そんなふうに元気でいてくれるのは、私たちきょうだいにとって本当にありがたいことです。
病気知らずで、健康自慢だったが…
が、そんな母も、実は5年前に大病を患いました。病気知らずで、健康自慢の母が、ある日突然、胸の痛みに襲われたのです。当時一人暮らしだった母は、しばらくはそのことを子どもたちに隠していました。本人 曰 く「だって怒られると思って……」。
母が60代も後半になったころでしたか、これからは体に十分気をつけるようにと、子どもたちで口が酸っぱくなるほど言い聞かせ、きちんと毎年人間ドックを受けてくれるようにと約束させていました。それで、何年かは約束通り受けていたようですが、なんと「ここ数年は受けてなかった」と言うのです。
「なんで!?」と、驚く子どもたちに向かって母が言うには、「だって、何度受けてもいつも健康でまるで問題ないし、なんだかもったいなくなってきて……」。
いやはや。だから、健康だからこその健診なんだってば! 病気になってからじゃ遅いからこその人間ドックなんだってば!
こうなると、「出産の時くらいしか病院に足を踏み入れたことがない」という健康自慢も、考えものです。ましてや70を過ぎているというのに。――ということで、小さくなった母は、ひとしきり子どもたちの小言を受けることになったのでした。
胸の痛みはそれほど激しくはなかったようですが、病院で診てもらおうと思うくらいにはつらかったらしく、すぐに精密検査となりました。すると大変な事態が判明したのです。
母の心臓の大動脈弁は、すっかり石灰化し、カチカチになっているというのです。子どもたち3人も病院に呼ばれ、母と一緒に主治医の先生の説明を聞くことになりました。先生のお話では、とにかくすぐに手術をしたほうが良い、もはや弁の役割を果たしておらず、いつ大発作が起きてもおかしくないほどの状態で、人工弁と置き換える手術をするほかはない、との見立てでした。
胸骨を縦に割り、心臓を切り開き、カチカチになった弁を切り取って豚の弁に置き換える、大動脈弁置換手術です。何かもう、想像を絶する話で、とにかくとんでもないことになったと、家族みなショックでした。ただ、先生は時間をかけて手術の内容やリスクなどをとても丁寧に説明してくださり、いずれにせよそれしかないのであれば、先生にお任せしよう、と4人でうなずきあったのです。
手術よりもリハビリが心配?
が、ちょっと意外なお話がそのあとにありました。先生は本当に丁寧に説明してくださったのですが、実は、話の後半は手術のことではなく、リハビリの話でした。
「手術して新しい弁がつけば、また心臓は元気に動きますよ。けれどもそのまま寝付いてしまうと、せっかく心臓が治っても、とてももったいないことになります。胸骨を割るほどの手術なので、術後は痛みもありますし、しばらくは上半身も思うように動きません。でもそれでリハビリを怠ると、寝付いてしまったり、家から出なくなったりしてしまうことになります。がんばってリハビリすれば、また元の生活に戻れますから。リハビリ療法士の方が付きますから、言うことをよく聞いて、動いて、食べてくださいね。約束してください。約束ですよ!」
先生は手術より術後のことのほうが心配なようで、何度も何度も母に念を押していました。ということは、きっと手術は大丈夫なのだろう、けれどリハビリってどんなことをするのだろう……。
ありがたいことに母の手術は無事に終わりました。手術室から出てきた母を見た時には、妹、弟とともに手をとって涙ぐんでしまいました。「よくがんばったねえ。よかったねえ」。主治医の先生が神様のように見えたものです。ところが、先生はまたも「手術は順調に終わりました。もう大丈夫ですよ。さあ、リハビリですね!」。
胸骨を縦割りして心臓を切り開き、動脈の弁を置き換えたその大手術からたった3日目でした。母のリハビリを受け持ってくれる療法士さんが病室にやってきて、こう言ったのです。「さあ、歩きましょうか」。驚きました!たった3日で歩くのですか?
「そうです。立って、歩きます。でも今日は数歩ですよ」。
母が本当に頑張らなくてはならないのは、そこからだったのです。
まずは数歩から始まって、次の日は十数歩、そして数メートル、数十メートル。階段を3段、5段、10段――。毎日毎日、少しずつ距離や負荷を増やします。肺の訓練もありました。何かか細い管にピンポン球みたいなものが入っている装置にヒーフー息を吹き込んで、肺活量を鍛えるのです。食事もしっかり食べなくてはなりません。
病気といえばとにかく安静に。じーっとしているものだとばかり思っていました。
が、治療が終われば、私たちはまた日常に戻っていきます。せっかく治してもらったのですから、その恩恵を十分に享受するためにも、とにかく、リハビリ!――なのでしょう。
ダンスが好きで、また踊りたい!という希望を持っていた母は、よくがんばったと思います。日頃から体を動かすのが好きな母でも、リハビリは辛く、時々不機嫌になっていました。そんな母を若い療法士さんがなだめたりすかしたりしながら、穏やかに励ましてくださったことには、感銘を受けました。昔なら命を落としたかもしれないような病でも治せるようになってきたからこそ、少しでも日常を取り戻してほしいという先生方の熱意、そして現在の医療現場の常識を知ったのでした。退院後もこつこつ体を動かして、今、母は何事もなかったかのように、また踊っています。私よりよっぽど元気です。でも、欠かさずワーファリンを飲み、毎朝血圧を図り、食事に気をつけ、定期的に診察を受けています。どうやら「健康自慢病」はすっかり治ったようです。
そんな母の姿を見るたびに、日常をどこまで、そしていかにして取り戻すことができるのか――というところまで見据えた医療の大切さをかみしめています。(麻木久仁子)
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うちの母も80才の時に大動脈解離で人工血管にする手術を受けました。全く元気だったのですが年末に吐いて病院に行ったらノロと言われました。その後も心電図の検査をしても異常はみつからず、4月にやっとわかり即手術でした。8時間かかる大手術でした。今は元気にしています。
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