木之下徹の認知症とともにより良く生きる
介護・シニア
苦しみから抜け出すために…「患者本人の寄り合い」で第一歩を
私は、無責任にも、よく「調子どうですか」と言ってしまいます。
桜木佐代子さん(仮名、66歳)は、こう答えました。「調子よくないです」。
さすがに軽率に「調子どうですか」と発したことを悔いて、もう少し慎重になって言葉を紡ぎました。
私 「……そうですかぁ。どのように調子、悪いと感じるのですか」
佐代子さん 「言葉が出てこないのです」
佐代子さんの脳の磁気共鳴画像(MRI)の画像を見ると、左側の側頭葉とその内側が細っています。記憶にかかわる海馬やその周辺が明らかに痩せていたのです。認知機能の状態を知る神経心理検査(質問形式)の結果とつきあわせると、確かに物事を言葉で説明するのが苦手、とありました。
佐代子さん 「本日、職場には、退職することを伝えてきました」
私 「……」
佐代子さん 「もうこれ以上、仕事することができないのです」
私 「……」
「仕事は続けた方がいいですよ」とか「ここまでやってこられたのだから、仕事の内容を変えれば、うまくできるはずです」などと軽々しく言えません。何もできない自分自身にいら立ちを覚えます。
こんな行き詰まった状態は珍しくありません。そういう時、ふと頭をよぎる言葉があります。
――リハビリテーション。
ここでは、人生や生活を取り戻す、という意味です。認知症とのかかわりが深い私は、「新しい暮らしを創る」という感覚で捉えています。
仕事人間で優秀だった佐代子さんが、仕事との決別を目前にしているのだから、沈んでいて当然です。
こんな時、われわれ医療者は、何をすればよいでしょう。対面型の診療だけでは不十分です。そうかと言って、「仕事のやり方を変えれば、この人は働き続けられます」と、職場に口を出すわけにもいきません。
私が認知症と診断したために会社から解雇された別の人は、法律の専門家に相談したと聞きました。
限られた選択ですが、私のクリニックは、「くらしの研究会」という寄り合いを、月に一度開催しています。認知症や軽度認知障害などと診断された人々を対象にし、当クリニックのスタッフが司会進行を担当します。同伴したご家族は参加しません。別の場所で待ってもらったりします。
全国を見渡せば、認知症の人とその家族のために様々な場が用意されています。しかし、本人を中心とした種類のものはまだ少ないと感じています。私が2年前に当院の開設と同時に「くらしの研究会」を始めたのは、当事者同士と介護家族では、抱える悩みが違うだろうと思ったからでした。
佐代子さんの場合も、本人にとっては仕事を継続できない苦悩ですし、家族にとっては佐代子さんの苦しんでいる姿を見る、忍びなさでしょう。本人が苦しさから抜けられなければ、家族が解放されることはないと思います。
佐代子さんにはまだ、「くらしの研究会」に来ていただいていません。お誘いしたのですが、なかなか気乗りしないご様子。しかし、参加してもらえれば佐代子さんの「退職話」は、参加者にとって大いに共感できる話題になるでしょう。一方で、そこにいる皆が同じような事態にどう対処してきたかは、佐代子さんにとって先輩からの貴重なアドバイスになると思います。
「家族介護者の集い」「本人たちの集い」「認知症の本人と介護家族の集い」――。それぞれに価値があるけれど、同じものではない。
今、佐代子さんが「新しい暮らし」を創るために必要な取り組みはどれなのか。まずは「本人たちの集い」が、その第一歩になると私は思っています。
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