松永正訓の小児医療~常識のウソ
医療・健康・介護のコラム
小児がんは不治の病?
小児がんへの理解や支援を呼びかけるシンボルマーク「ゴールドリボン」 かなり昔の話ですが、私の大先輩の外科医がこんなことを言いました。 「大人の外科っていうのは、毎日毎日、がんの手術をする。胃を切ったり、大腸を切ったり。外科医としての達成感を得られることもあるけど、結局手術した患者さんは再発して病院に戻ってきてしまう。極端なことを言えば、手術した数だけ人の死がある。その点、小児外科はいいよね」 …
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過去の認識と未来への選択だけが変えられる
寺田次郎 六甲学院放射線科不名誉享受
この前も、自分の前でクラクションを鳴らす不審な車のナンバープレートを見ると1893と書いてありました。 後ろの3文字とか芸細かいです。 ちなみに...
この前も、自分の前でクラクションを鳴らす不審な車のナンバープレートを見ると1893と書いてありました。
後ろの3文字とか芸細かいです。
ちなみに、1893年創設のサッカークラブも多いです。
戦前の特高警察や戦後のレッドパージもそんなもんやったのかな、と想像します。
だからいまだに嫁さんももらえん。(某名言)
普通には笑えない事実は笑い話に変えるのが人生の正解です。
余計なことを書いた話のついでに、難題をどう受け容れるか?
まだまだ未熟な患児の両親の教育も大事です。
おそらく、長期生存の可能性もある人にはナチスの話や優生保護法(修正されて母体保護法)の話、ひいては言論統制などの話も必要かもしれません。
社会保障の話が個人の幸福に大なり小なり直結します。
この世で本当に自由なのは頭の中だけと思い知らされます。
しかし、行動の不自由が思考の自由を産みます。
健康診断で子供の異常の疑いを早期発見しながら、やっていることは似ていると思いました。
しかし、より良い生存の可能性のために日本の健診システムやその後の診断治療はあります。
そういう違いなどを抜きに、いきなり病気や障害の各論にフォーカスするから、治る治らないの二元論に思考を奪われてしまいます。
要するに、疾患の各論だけでなく、総論や人生哲学、本人の生きがいや健常者(何も欠陥のない人はいない)との交差点を意識するのが大事だと思います。
多くの人には難病や難題はすぐに受け容れられない事実を考えると、そういう状況にある患者か否かは分水嶺です。
過去の出来事は変えられず、変えられるのは過去の認識と未来への選択です。
とか書きながら、憂鬱です。
けど、そういうことさえ知らない医師や患者のためになれば結果オーライですね。
もっとも、正解よりも、悶々とした時間が、共感能力を産むのかもしれませんけど。
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四苦八苦 人生の複雑性と多様な幸福感
寺田次郎 関西医大放射線科不名誉享受
家庭や職場関係がめちゃくちゃじゃなければ結婚していた人って誰? SNSに謎のメッセージが来ました。 答えるメリットもない閉鎖系質問に、「人生の動...
家庭や職場関係がめちゃくちゃじゃなければ結婚していた人って誰?
SNSに謎のメッセージが来ました。
答えるメリットもない閉鎖系質問に、「人生の動線で何割かの身近な人はあり得たが、前提条件を変えることも、人生をやり直すこともできない・・・(後略)」という開放系の回答を考えましたが、小児がんにしても、他の難病や難題にしても、自分と相手や集団の人格形成の複雑な相互作用やそのことによる価値観や幸福感の多様性を知らないとより良い運用はできません。
偏差値秀才を含む多くの凡人は、日々の積み重ねや節目の進級や進学の試験の結果や就職の選択で、進路、出会いや成育環境も変わります。
数限りない可能性があるからこそ、悟りや諦め、感謝などが必要で、また選択バイアス(自己肯定プログラム)があります。
集団の幸福を考えるには、それらの良し悪しも含めて考える必要があります。
仏教の四苦八苦を考えれば、分かります。
生きていることは、死ぬことによって失われる良い経験や快感を得る可能性を手にしただけで、その分だけ悩みが増えるのが普通です。
さて、最近もよく行くコンビニに「恋人や家族を襲ってやる」という内容の漫画や雑誌が陳列棚の前にこれ見よがしに置いてあります。
この、動線に「たまたま偶然」というのは警察捜査にかからない暴力団や地域利権の揉み消し集団のほのめかし威嚇行為らしいですが(悪徳弁護士監修が多い)、この数年で慣れました。
医療訴訟の本質と相似ですが、学びや悟りを得るのも、多くの人との理解や行動原理のギャップと引き換えで、そこに利害も絡みます。
バルサルタン捏造論文問題などにも連なる反社会的勢力が弱まり、僕などに対する威嚇する余力が下がらないと結婚できないわけですが、それも僕が結婚の対価に幸福を求めているのが理由です。
癌と結婚は関係なさそうで長く付き合うものという括りで相似です
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難病の治療がもたらす不理解という社会問題
寺田次郎 六甲学院放射線科不名誉享受
関西は「死ね」という言葉へのハードルが低いです。 関東などとは文化も違いますが、ボキャブラリーが貧困な場合を除き、理解度や共感意識の低い場合と、...
関西は「死ね」という言葉へのハードルが低いです。
関東などとは文化も違いますが、ボキャブラリーが貧困な場合を除き、理解度や共感意識の低い場合と、逆に高い場合(TPOや適応ルールを意図して使える者)があります。
物理的な距離や心理的な距離のある他人に対する適切な言葉選びの問題だからです。
抗癌剤ハゲの子を馬鹿にする子供は、癌のことも抗癌剤のことも社会のことも知らないから、笑いものにするわけです。
ハゲ=スキンヘッドは病気か、趣味か、地域によっては特定の業界人の象徴でうかつにツッコむと危険なのですが、子供には経験不足以外の罪はありません。
(自分もやらかした記憶があります。)
説明されても、身近で似たようなケースがないのであれば、簡単に理解することができないこともあり得ます。
からかいだって、好奇心や関心の表れなので、無視するよりはましかもしれません。
「普通の子になる」ということは、その欠点や個性を飲み込んだ処世術を身に着けるということで、病院や家庭でのように「未知の敵と戦った英雄になる」ことではないのです。
そういう意味でも、少々の小競り合いはあったほうがいいです。
表面からの問題追放に走ると、無関心や陰湿になって行くのが人間社会の実際です。
むしろ、「抗癌剤ハゲを馬鹿にした者は男子は丸坊主、女子はおかっぱ」などのローカルルールを定めるほうがいいかもしれません。
人と人が分かりあうことや適切な距離感を置くことは、血縁があってさえ難しいもので、不治の病とは病よりも人間の存在そのものです。
高齢化社会がその具現化あるように、小児がんだけでなく、これからも多くの薬や治療が後遺症患者を産むでしょう。
以前だったら早く死んでいた命が救われるということがもたらす命題です。
治せない人間の本質を治そうとするよりも、付き合い方を考えていくことが大事ではないかと思います。
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