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松永正訓の小児医療~常識のウソ

コラム

モーチョーは簡単な病気?

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 私が初めて見た虫垂炎の患者さんは、病気がこじれにこじれて収拾がつかなくなり、私が研修をしていた大学病院に転送されてきた女の子でした。9歳のその子は、大きな瞳に涙をうっすらと浮かべ、軽く眉根を寄せて顔に影を作っていました。鼻には経鼻胃管と呼ばれる管が挿入されており、緑色の腸液が管の中を通って逆流し、袋の中にたっぷりとたまっていました。

 担架からベッドに少女を移し、病衣をはだけると、下腹部には座布団くらいの大きさのガーゼが乗っています。これを取り除くとその下には、普通の大きさのガーゼが何十枚と肌を覆っています。これらを1枚ずつ除去していくと、傷の全貌が明らかになりました。

 右の下腹部にタテにおよそ7センチの傷。そして (へそ) から真下に向かって10センチくらいの傷。二つの傷は化膿していてパックリと口を開いており、(うみ)にまみれた皮下組織が見えています。そして腹部の右側に2本、左側に1本、黒い色をしたゴム製の管が煙突のように突き出ており、ゴム管の先からは膿がジクジクと流れていました。

 この女の子に一体何が起きたのでしょうか? 私は紹介先の病院からの手紙を読んですべてを理解しました。

 少女は腹痛のために某病院に入院し、虫垂炎の診断のもと全身麻酔で手術を受けました。開腹してみると虫垂はすでに破れており( 穿孔(せんこう) )、お (なか) の中に便を交えた腹水が広がっていました(汎発性腹膜炎)。外科医は虫垂を切除し、右の腹部に黒ゴムを2本入れて(ドレーン)、腹水を体外に誘導しました。

 ところが、術後の経過は悪化の一途を 辿(たど) ります。連日発熱し、強い腹痛が起こりました。お腹の中に膿が残っている(遺残 膿瘍(のうよう) )と判断し、2度目の手術を行い今度は臍の下に真っすぐな手術創を置きました。腹腔内を洗浄し、右の腹部に3本目の黒ゴムドレーンを留置したのです。しかし、この手術も功を奏しませんでした。手術後に二つの傷が化膿して口を開け(皮下膿瘍)、少女は腸液を 嘔吐(おうと) しました(術後腸閉塞)。この状態で、彼女は私たちの病院へ搬送されてきたのです。

モーチョーとは何か?

モーチョーは簡単な病気?

盲腸と虫垂の関係 イラスト・松永夕露

 さて、虫垂炎をなぜモーチョーと言うのでしょうか? 図を見てください。人間の右下腹部には小腸と大腸の境目があります。大腸の始まりは盲端(行き止まり)になっていて、ここを盲腸と呼びます。そして、盲腸から紐のように伸びているのが虫垂です。虫垂炎とは、この細い管に炎症が起きる病気です。

 日本外科学会は明治32年に設立されました。その頃の学会では、虫垂炎のことを盲腸炎と呼んでいました。何しろ明治時代ですから虫垂炎の早期発見などは不可能で、開腹してみると虫垂と盲腸は団子状の膿でひとかたまりになっていました。外科医はこの状況を見て炎症の原因を盲腸にあると考え、盲腸炎という診断名を付けたのです。

 盲腸炎という呼称はやがて一般の人たちにも知られるようになり、盲腸炎は簡単にモーチョーと呼ばれるようになりました。虫垂炎という名称が外科医の間で正式に使われるようになったのは、戦後のことです。

虫垂炎はすぐに手術の時代

 戦前の虫垂炎は、大変恐ろしい病気でした。冒頭の少女の例のように、腹膜炎を併発すると死に至る病でした。このため、戦後になって炎症の主体が虫垂と分かると、早期手術が医学界では主流の考え方になりました。つまり子どもでも大人でも、右の下腹部が痛ければ、ただちに入院して虫垂切除の手術を受ける時代に入ったのです。

 現在からは隔世の感がありますが、昭和30~40年代の外科の開業医の先生は、自分のクリニックに手術室と入院ベッドを持ち、ものすごい数の虫垂切除をこなしていました。私より30歳年上の外科医の先生が回顧して言うには、一日に何件もの虫垂切除をしたそうです。それも患者さんのお腹に垂直にメスを刺し、そのわずか1センチくらいの傷から虫垂をつまみ出して切り取ったそうです。

 時代が今と大きく違うので、そういった手術を批判することは慎む必要がありますが、そんな簡単に摘出できる虫垂にはほとんど炎症など起きていなかったことが推測されます。いずれにしても、当時の日本人は個人の開業医で簡単に虫垂を切除されていたため、世間には「モーチョーは簡単な手術」という通説が広まったのでしょう。

子どもの虫垂炎は恐ろしい

 では、冒頭で紹介した少女はなぜここまで虫垂炎がこじれたのでしょうか? 子どもの虫垂は大人と比べて壁が薄いために進行が極めて速いことがまず挙げられます。医師が判断に迷って一晩様子を見てしまうと、翌日には虫垂が穿孔してしまうこともあるのです。

 そして人間の体内には胃袋から垂れ下がった大網と呼ばれる脂肪の膜があり、たとえば虫垂が破れて便汁が流れ出すと、大網が虫垂を取り囲んで腹膜炎を抑えにかかります。ところが、小児では大網の発達が不十分なため、いったん腹膜炎になるとお腹中に炎症が広がる汎発性腹膜炎になってしまうのです。

 多くの保護者は「モーチョーは簡単な病気」と考えていますから、「お子さんは腹膜炎になっていますので、入院は数週間かかります」などと説明すると、強い不満を口にする方もいます。ましてや術後に、皮下膿瘍で傷が開いたり、遺残膿瘍でお腹の中に膿が残ったり、腸閉塞で腸が癒着したりすると、患者家族と医師の関係が悪くなったりします。早期発見をしてくれなかった小児科医に対して「誤診だ!」と感情的になる人もいます。

 ではやはり、虫垂炎は早期治療の方針にしてどんどん手術をすればいいのでしょうか?

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松永 正訓(まつなが・ただし)

 1961年、東京都生まれ。1987年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰(1991年)など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。

 『運命の子 トリソミー  短命という定めの男の子を授かった家族の物語』にて2013年、第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『子どもの危険な病気のサインがわかる本』(講談社)など。

 ブログは http://wallaby-clinic.asablo.jp/blog/

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2件 のコメント

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医療の相対性と画像診断の進歩の取り扱い

寺田次郎 関西医大放射線科不名誉享受

診断も治療もレベルは相対的に判断されますし、時代のトレンドの影響も受けます。 超音波の進歩もさることながら、CTやMRIの高速化、高精度化は特に...

診断も治療もレベルは相対的に判断されますし、時代のトレンドの影響も受けます。
超音波の進歩もさることながら、CTやMRIの高速化、高精度化は特に都心部での診断の常識を変えています。
(CTのない時代には絶対に訴えられなかった疾患でも、訴訟になりうるのは医療の進歩が諸刃の刃であることを示しています。)

勿論、機械だけでは医療は行えないので、診断格差やCTの低被爆化の格差をどうやってある程度の幅に収めていくのかは地方における医療と政治の大きなテーマになってくると思います。
機械は同一でも、稼働率やコスト構造などが同じではないので、それは医療の世界だけでコントロールできません。

さて、小児における頻度などの問題で、急性虫垂炎がテーマなのでしょうが、急性腹症というカテゴリーの中には様々な疾患が存在し、各科医や地域の医療連携でどうやって共同して診断治療するかはなかなか悩ましい問題です。

全ての疾患の診断治療に精通したゴッドハンドや「神の眼」だけで医療は構成されているわけではないことを患者サイドでも理解がなされないと、正当ではない医療裁判が乱立し、医療崩壊の一因になります。
逆に、医師サイドも過剰な期待に対してNOを突きつけてもいいとは思います。

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経験者

雀の親子

記事を読んで50年前の記憶が昨日のことのように甦ってきました。 小学校1年の頃、下腹部の痛みで近くの診療所の診察を受けたところ、虫垂炎の恐れがあ...

記事を読んで50年前の記憶が昨日のことのように甦ってきました。
小学校1年の頃、下腹部の痛みで近くの診療所の診察を受けたところ、虫垂炎の恐れがあるが散らしてみましょうと。しかし痛みは収まらず不幸にも連休に遭遇し、さらに悪化して市民病院にかつぎ込まれた時には「こりゃいかん、すぐに手術を」との判断で手術室へ。しかし既に記事のケースのような状況で腹膜炎を併発して後日再手術を受け、結局退院まで1ヶ月を要しました。腹部の5センチの手術痕がその時の苦痛の証しです。
後遺症として腸の癒着が残り、今でも力むと軽度のイレウスに悩まされます。加えて入院生活のトラウマで、お粥が食べられません。皆様もたかが虫垂炎と侮ることなかれ。

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