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小泉記者のボストン便り

コラム

貧困の連鎖は断ち切れるか 科学に基づくボストン発の挑戦

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 今回は、世代間に連鎖する貧困を断ち切ることを目指して、ボストンの非営利団体「EMPathエンパス」(Economic Mobility Pathways (経済的地位向上への道))がハーバード大学と協力して開発したプログラムをご紹介します。様々な研究から貧困は、経済的な問題だけではなく、脳や健康にも悪影響があることがわかっています。「EMPath」のプログラムは、脳科学などの科学的根拠に基づいて、家族全員の行動を効果的に変え、貧困の連鎖を断ち切ることを目指して設計したことが特徴です。2009年に始まったこのプログラムは着実に成果を上げ、現在では全米の22の自治体や、支援機関で利用されているほか、イギリス、オーストラリア、オランダの団体にも情報提供をしており、国際的にも注目を集めつつあります。

シングルマザーの自立を支援 段階的に問題を解決

貧困の連鎖は断ち切れるか 科学に基づくボストン発の挑戦

元気に幼稚園などに通っているトンプソンさんの3人の子供たち(トンプソンさん提供)

 「3人の小さな子供を育てながら、一人で家計を支えなくてはならず、何から手を付けてよいのかさえわからなかった。プログラムに出会えて本当に良かった」。EMPathのプログラムを採用している州の一つ、ワシントン州に住むキャンディス・トンプソンさん(34)は、そう話します。

 トンプソンさんは、離婚を期に2015年に同州に移り住みました。3~8歳の3人の子供を育てるシングルマザーです。移住してきた当時は無職で生活に大きな不安がありましたが、一番の心配は、聴覚に障害のある次男のザイディン君(4)のことでした。言葉の発達にも遅れがあったため、適切な教育を受けることができる幼稚園を探したいと強く思っていましたが、同時に仕事も見つけなければならず、途方に暮れていたそうです。

 「彼女の気持ちは、多くの米国の貧困家庭で共有されたものだと思います。貧困家庭を取り巻く現状は年々深刻になり、問題は複雑に絡み合っています。親が貧困状態にあると、子供たちも将来的に貧困になってしまうケースが多くあり、なんとかして、この負の連鎖を断ち切りたいと考え、プログラムを開発しました」。EMPathの代表を務めるエリザベス・バブコックさんは、開発のきっかけをこう説明します。

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EMPathの代表を務めるバブコックさん

 トンプソンさんが参加するEMPathのプログラムでは、貧困について、(1)健康や収入、仕事など目に見える結果(2)自己抑制能力や自己評価などの内面的なこと(3)家族関係――三つのレベルの影響に注目し、それぞれに働きかけることを目指します。メンター(指導者)と呼ばれる専門の研修を受けた職員が、支援対象になった家庭を訪問し、直面する問題の分析から始めます。仕事、住居、教育、貯蓄・借金、健康の5項目について五つの段階のうち、どの段階なのか、問題を解決するためにどの段階を目指すのかを話し合います。子供も可能な場合には、自らワークシートに記入をして目標を決めます。メンターは、解決策を提示するのではなく、当事者が自分の問題を把握して、ゴールを決めることを促します。その後、どんな方法で達成が可能かを話し合い、月に1回程度、家庭訪問をして 進捗(しんちょく) 状況を確認し、問題がある場合には、改善方法を話し合います。

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問題を分析し、目標を決めるために使うチャート

 トンプソンさんは相談窓口で州の支援プログラムを知り、2015年に申し込みました。その後、メンターと面会し、当面の目標を、ザイディン君の言葉の訓練が受けられ、低所得でも通うことのできる幼稚園を探すことと、仕事を見つけることの二つに決めました。メンターは、条件に合った幼稚園の紹介や、申し込みに必要な書類の作成を手伝ったほか、地域で子供たちが無料で参加できる水泳や美術などの活動や、親が子育ての悩みについて話し合うグループを紹介してくれました。仕事についても、地元の支援グループの紹介を受け、トンプソンさんは、清掃の仕事を見つけることができました。

 トンプソンさんは、「ここに来たばかりの時には何もなく混乱していたけれど、メンターと話し合いながら自分でゴールを設定して、少しずつ問題を解決することで自分が今何をすべきなのかがはっきりし、前向きに取り組むことができました。3人の子供たちにとって良い環境を整えられたのが一番うれしい。今はよりお給料の良い仕事を見つけるために学校に通うことを考える余裕もできました」と話します。

科学的に根拠のある支援を

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支援の対象になった人はメンターとの話し合いを重ねる(EMPath 提供)

 バブコックさんは、「もちろん、メンターとの面会だけですべての問題が解決するわけではなく、就業支援や教育など様々な支援とつなげていくことが必要になります。しかし、問題を認識して、解決する環境を整えることは大切で、自立への一歩になると思います」と話します。ホームレスのシェルターなどで長年貧困支援をしてきたバブコックさんは、従来の支援について「問題を指摘して解決策を外から与えるものが多く、支援がなくなってからも自立を保てるものではありませんでした。シェルターでの支援で一時的に状況が改善しても、また戻ってくる人が多く無力感がありました」と振り返ります。「個別の家族の事情にきめ細やかに対応しつつ、全米のどこでも利用できるような体系的なプログラムにすることが大切だと考えました」と話します。

 バブコックさんたちは2006年から2年間を研究に費やし、ハーバード大学の発達過程にある子供の研究センター( Center on the Developing Child at Harvard University )の協力も得て、プログラムを作りました。注目したのは、貧困が脳に与える悪影響です。

  同センターの報告 などによると、通常の状態では、自分の感情や行動などを制御する能力が働き、長期間の計画をたてて問題を解決したり、職場での人間関係を円滑にしたりすることができます。しかし、貧困などによって不安定な状況になり、恐怖や過度のストレス状態にさらされるとそれらの能力が影響を受け、問題に対応することが難しくなってしまいます。また、子供の頃にこのようなストレスにさらされるとこれらの能力の発達が妨げられ、結果として勉強などにも悪影響が出ることがあります。そこで、ストレスの原因になっている状況を取り除きつつ、同時に直面している問題を分析して、それを克服するための段階的な目標をたて、少しずつ成功体験を積み重ねることが必要だと考え、プログラムを組み立てたといいます。

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ハーバード大学公衆衛生大学院のションコフ教授

 同センターの代表を務める同大学公衆衛生大学院のジャック・ションコフ教授は、「科学は多くのことを私たちに教えてくれましたが、それを実際の支援には生かし切れていません。子供の貧困の問題を解決するには、親の問題にも対処し、家庭環境を変えることが重要です。科学的に根拠のある新しい支援方法を確立することが急務です」と話し、「EMPathのプログラムは、科学に基づいた新しい取り組みの一つで、とても重要だと思う」と期待します。

プログラムで徐々に成果 海外からも注目

 EMPathのプログラムは徐々に成果を上げつつあります。2015~16年にEMPathが直接支援をした1182人のうち、収入が増えた人は42%、会社や地域などでの人間関係が広がった人は72%、安定した住居に住んでいる人は98%に上りました。プログラムの利用は22の自治体や支援団体に上り、ウェブ上でのトレーニングの提供も含めるとネットワークは全米の24州、50団体以上に広がっています。トンプソンさんが住むワシントン州の担当者は、「科学的根拠があるプログラムは少なく、どの家庭にも応用ができるため採用しやすかった」と話します。海外でもイギリスなどのほかにも、インドやカナダの研究者もネットワークに加わることを検討しているそうです。

 ただ、課題もあります。通常プログラムは6か月以上の長期間の関与が必要です。また、専門的な知識のあるメンターの育成や1回1~2時間ほどの家庭訪問などのために特にプログラム導入当初は費用もかかります。各自治体や支援団体によってプログラムの使い方は様々ですが、EMPathが直接支援したケースでは、1家族あたり1年間で100万円程度かかった例もありました。バブコックさんは、「よく行政の担当者からは、『1か月で成果が出るプログラムはないのか』といわれますが、貧困の原因は複雑に絡み合っており、じっくりと問題と向かい合うことが必要になります。費用面でも、効果のないプログラムを続けるのが一番無駄遣いになるとも思います。各地のデータを集めて、より良いプログラムにしていきたい」と話します。

米国で深刻な子供の貧困

 経済協力開発機構(OECD)の データ (2013年)によると、米国の18歳未満の子供の貧困率は、20.5%で、OECDの平均13.3%を大きく上回り、加盟35か国のうちワースト5位でした。

 米国では1960年代に「貧困との戦い(War on Poverty)」が政策に掲げられ、それ以来、低所得者向けの公的な医療保険(メディケイド)の導入など様々な貧困対策が講じられてきました。研究も盛んにおこなわれ、長期間の貧困状況にあった子供の45%が35歳になった時点で貧困状態にあったという 研究 など世代間の連鎖や、様々な悪影響が指摘されています。新政権になって医療保険や福祉の制度が大きく変わる可能性もあり、支援の現場からは不安の声も多く聞かれます。

日本でも支援必要

 米国に比べれば日本は格差の少ない社会であるのは様々な統計から明らかです。しかし、同じOECDのデータをみると、2012年の日本の子供の貧困率は、16.3%で、OECD平均(13.3%)を上回っています。また、就労しているひとり親家庭の貧困率は50%を超え、加盟国中最悪でした。母子家庭など大人1人で子供を養育している家庭が特に経済的に困窮していることが分かります。国も2014年、「子どもの貧困対策法」を施行し、学習支援や奨学金の充実、居場所作りなどを進めています。

 大学の授業に参加すると、経験だけではなく、データや科学的な根拠に基づいた支援や立法の必要性を強調する教授の言葉に接することがとても多くなりました。EMPathの取り組みは、民間機関と大学が協力したその具体例の一つで興味を持ちました。データがすべてだとは思いませんが、科学的な根拠に基づいたプログラムや、その取り組みにどのような効果があるのかを厳密に評価をするEMPathのやり方は、日本でも参考になる点があるのではないでしょうか。子供の貧困はその後の人生や健康に与える影響も大きく、行政だけでなく大学やNGOなど様々な機関が協力した手厚い対策が重要だと改めて思いました。

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koizumi

小泉 朋子(こいずみ・ともこ)
2003年読売新聞東京本社入社。金沢支局、編成部を経て、2009年から社会部。10年から厚労省担当となり、生活保護受給者の増加の背景を探る「連載・生活保護」や認知症の人を取り巻く状況を取り上げた「認知症」などの連載を担当。13年から司法クラブで東京地・高裁、最高裁を取材し、「認知症と賠償 最高裁判決へ」「隔離の後に ハンセン病の20年」の連載など担当。2016年7月からハーバード大学公衆衛生大学院に研究員として留学中。

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