文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

原記者の「医療・福祉のツボ」

コラム

相模原事件再考(下)「乱暴な正義」の流行が、危ない素地をつくる

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

 津久井やまゆり園で起きた殺傷事件が衝撃的だったのはなぜか。19人という犠牲者の多さ、弱い立場にある知的障害者が一方的に標的にされた点はもちろんですが、障害者の存在を否定する差別思想による犯行だった点にこそ、過去の事件とは異なる恐ろしさがあったのではないでしょうか。

 差別思想について考えるには、被告個人の特殊性よりも、被告が持った考えの普遍性に目を向ける必要があります。

 日本社会の状況を見渡して浮かんでくるのは、障害者だけでなく、弱い立場にある人々が社会的な攻撃を現実に受けていること、そして差別的な言動がさまざまな分野で横行していることです。相模原事件では知的障害者の施設が襲われましたが、たとえば今後、高齢者施設、病院、生活保護施設、在日外国人学校などが標的にされても、不思議ではありません。

 攻撃する側が正当化の理由として使っているのは、もっぱら社会保障の財政負担です。社会保障は弱い状況に陥った人を助けるためにあるのに、その費用負担を理由に弱い人々が攻撃されるのは、まったく本末転倒です。私たちは、社会保障の意味を根本から再確認する必要があります。

書き換えられた中間とりまとめ

 相模原事件で、政府の対応は素早いものでした。発生2日後の昨年7月28日には関係閣僚会議を開き、措置入院をめぐる問題と施設の安全確保を中心に再発防止策を検討する方針を安倍首相が表明しました。8月には厚生労働省を事務局にして、精神科医を中心とする検討チームを設けました。

 事件の約5か月前、植松聖被告が衆院議長公邸へ殺害計画の手紙を届けた後、措置入院になっていた時期があったためですが、まだ捜査が始まったばかりで、精神鑑定も裁判もまったく行われていない段階で、措置入院・精神科医療にばかり焦点を当てるのは、はたして適切だったでしょうか。

 検討チームによる中間とりまとめ(9月14日)は、そういう政治主導の既定方針に沿って作成されました。関係者によると、検討チームの8月30日の会合では、措置入院やその解除に特段の問題はなかったという意見でいったん一致し、事務局の厚労省もそういう内容の報告案を作ったのですが、目を通した塩崎恭久厚労大臣の指示を受け、入院先の病院や相模原市の対応を問題にするトーンに事務局が書き換えました。「制度的対応が必要不可欠」という文言も、上からの指示で事務局が付け加えたものでした。自分の意に沿うように書き直させた報告を、大臣は丁重に受け取ったわけです。

問題を矮小化した政府

 その後、検討チーム内の議論や関係団体からのヒアリングでは、差別思想や警察の対応を含めて幅広く検証・検討すべきだという意見が出ました。しかし、最終報告書(12月8日)に書かれた「共生社会の推進」という項目は、政府広報や学校教育の充実を挙げた程度で、形ばかりのおざなりな内容にすぎません。刑事司法の対応も、施設の実情も検証されませんでした。

 そして政府は、措置入院中の診療や支援の強化、措置解除後の継続的支援を柱とする精神保健福祉法改正案を今年2月末、国会へ提出しました。おかしな人間が大事件を起こした、診察や治療が不十分だった、措置解除が安易だった、解除後のフォローがなかったのがいけない、というとらえ方です。

 相模原事件を個人の特殊性と精神科医療のあり方に帰結させるのは、問題の 矮小(わいしょう) 化と言わざるをえません。法改正案にある退院後の継続的支援は、終了時期が示されておらず、いったん自傷他害のおそれで措置入院になった人は、保健所のリストに載り、転居しても追跡されます。支援の名の下にずっと管理・監視されかねません。それは共生社会の理念に合うでしょうか。なぜ政府は、差別思想の問題とその対策を、真剣に取り上げないのでしょうか。

優生思想を克服できていない私たち

 障害者はいないほうがいいという考えは、はたして私たちの日常から、かけ離れたものでしょうか?

 ダーウィンの進化論を背景にした「優生思想」は、20世紀初めに英国のゴルトンが提唱し、世界各国に広がりました。不良な子孫の出生を減らし、優秀な子孫を増やそうという考え方です。ベースには、役に立たない人間はいないほうがよいという発想があります。当時は遺伝学に基づく科学的で革新的な考え方として受け取られました。

 極端な形でそれを実行したのがナチス・ドイツでした。ユダヤ人の収容・殺害より前の1939年から、精神障害者、知的障害者、神経疾患の患者などを安楽死させる「T4作戦」を秘密に進め、20万~30万人を「価値なき生命」として抹殺しました。ただし優生思想はナチスの専売特許ではなく、米国や北欧諸国でも、断種法による障害者への強制不妊手術が第2次大戦後も長く行われていました。

 日本では38年に設置された旧厚生省が「民族優生方策」を掲げました。戦時中は本格的に実行されませんでしたが、戦後の48年に制定された優生保護法により、精神障害者や知的障害者らに約1万6500件の強制不妊手術が行われました。ハンセン病患者にも事実上の強制不妊手術が行われました。いくつかの地域では「不幸な子どもの生まれない運動」が行政主導で展開されました。

 「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことをうたった優生保護法は、96年に母体保護法に改正されるまで存続していました。わずか20年ほど前のことです。その後も優生保護法に関する公的な検証や謝罪はまったく行われていません。

 現行の母体保護法に、胎児の障害を理由に中絶を認める条項はありません。しかし、現実には出生前診断が広く行われています。近年は母親の血液検査で精度の高い染色体異常の判定が可能になり、胎児の障害を知った親の多くが中絶しています。

 障害者を不幸な存在、社会のお荷物と見る考え方は珍しくない。むしろ、ありふれています。私たちの社会は、優生思想を克服していないのです。

社会保障の負担と関連づけた弱者への攻撃

 近年の社会風潮で特徴的なのは、障害者、高齢者、病者、貧困者といった社会的弱者を、社会保障の財政負担をもたらす否定的存在と見る傾向です。

 たとえば障害者への見方。重度障害児を育てる野田聖子・衆院議員が「生まれてからの息子の医療費は、医療制度によって支えられています。高額医療は国が助けてくれるもので、みなさんも、もしものときは安心してください」と雑誌のインタビューで発言したのに対し、作家の曽野綾子氏は「この野田氏の発言は、重要な点に全く触れていない。それは自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、感謝が全くない点である」と、2013年に出版した新書の中で批判しました。

 高齢者についても曽野氏は今年2月、週刊誌のインタビュー記事で「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」と発言しました(自身は85歳)。また、時期は古いですが、東京都知事だった石原慎太郎氏は01年に「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババア。女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪」と会議の場で発言しました。

 終末期医療に対するムダ論もしばしば主張されます。患者の自己決定として生命維持の措置を選ばないことはありうるでしょうが、それが医療費を減らすために当然のように言われると、高齢者や難病患者が生き続けることへの社会的圧力になります。

 病気の人への攻撃もあります。元アナウンサーの長谷川豊氏は昨年9月、「自業自得の人工透析患者なんて全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ」とネット上で発信しました。糖尿病や人工透析への無知に基づく暴言ですが、医療費の社会的負担を論拠にしていました。

 生活保護の利用者に対するバッシングも吹き荒れています。生活保護だけではなく、昨年8月にはNHKテレビで貧困世帯の苦境を訴えた女子高校生も攻撃を受けました。ヘイトスピーチをする連中が主張する「在日特権」も、在日コリアンが生活保護を受けやすいというデマを中心に据えています。

 貧困関係で忘れてならないのは、ホームレス状態の人々です。以前から差別を受け、しばしば少年グループなどから「役に立たない人間」「じゃまな存在」として襲撃され、現実に相当数の人たちが命を奪われてきたのです。

1 / 2

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

原昌平20140903_300

原昌平(はら・しょうへい)

読売新聞大阪本社編集委員。
1982年、京都大学理学部卒、読売新聞大阪本社に入社。京都支局、社会部、 科学部デスクを経て2010年から編集委員。1996年以降、医療と社会保障を中心に取材。精神保健福祉士。社会福祉学修士(大阪府立大学大学院)。大阪に生まれ、ずっと関西に住んでいる。好きなものは山歩き、温泉、料理、SFなど。編集した本に「大事典 これでわかる!医療のしくみ」(中公新書ラクレ)など。

原記者の「医療・福祉のツボ」の一覧を見る

最新記事