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ケアノート

コラム

[二代目 江戸家小猫さん]「猫八の名は任せた」

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がんの父、体力の限り仕事

 動物の鳴きまねで知られる四代目江戸家猫八さんは昨年3月、66歳で亡くなりました。胃がんで余命わずかと宣告されていましたが、治療せずにそれまで通りの暮らしを続けました。日々を支えた長男の二代目小猫さん(39)は「多くのことを学んだ」と振り返ります。

ステージ4

「覚悟を決めた父の姿からは、生きるエネルギーを強く感じました。最後まで、僕を引っ張ってくれたと思います」(東京都内で)=繁田統央撮影

「覚悟を決めた父の姿からは、生きるエネルギーを強く感じました。最後まで、僕を引っ張ってくれたと思います」(東京都内で)=繁田統央撮影

 父は昨年1月、せきが1か月半ほど止まらないため、病院を受診しました。すると「胃の方が気になる」と言われ、検査しました。

 父の求めで母や姉、私も一緒に、病院で診断結果を聞きました。医師は「進行胃がんでステージ4」と言い、「手の施しようがない」「抗がん剤は延命治療としてなら」「余命は3か月~半年」と宣告しました。僕はショックでしたが、父は落ち着いて見えました。検査の時に胃カメラの映像を見て、ある程度覚悟していたのかもしれません。

  お家芸の「ウグイス」で知られた猫八さんは、動物の鳴きまね芸の第一人者として、寄席を中心に活躍。父の三代目猫八さんが巧みな話芸で人気を博したのに対し、鳥をメインに数百種類の鳴きまねレパートリーを持ち、支持を得た。

動物の鳴き声を勉強するため、猫八さん(左)の誘いでアフリカ・ケニアを訪れた(2013年6月)。後方で群れをなすヌーの鳴き声は、小猫さんの持ちネタに(小猫さん提供)

動物の鳴き声を勉強するため、猫八さん(左)の誘いでアフリカ・ケニアを訪れた(2013年6月)。後方で群れをなすヌーの鳴き声は、小猫さんの持ちネタに(小猫さん提供)

 告知後、1週間ほどして父が下した決断は「治療はせず、体力の続く限り仕事をして、天寿を全うしたい」というものでした。家族としても一致団結して父を応援して支え、一つでも多くの仕事をしてもらいたい、ということになりました。でも、どこかで奇跡が起きて、病気が治ることを願っていました。

 父は病気のことを、家族以外には伝えませんでした。地方での講演会にも予定通り出かけ、姉はマネジャーとして付き添い、私も可能な限り、同行しました。寄席など代演が可能な舞台は、私が代わりに立ちました。それでも父がいつも通りの芸でお客さんを喜ばせる姿を見ると「自分こそいつも通りにやらなければ」と思いを強くしました。

看病の恩返し

 猫八さんを支える日々は、小猫さんにとって恩返しでもあった。小猫さんは18歳で腎臓の難病ネフローゼを発症、約10年間の闘病生活を送った。歩くこともできない時期もあったが、猫八さんは毎日病院へ車を走らせリハビリを支え、マッサージまでしてくれた。

 父は仕事以外の時間の全てを、僕の看病にあててくれました。周囲には「息子が自分の後を継ぐのは難しい」と打ち明けていたようですが、懸命に看病してくれる父に、江戸家ののれんを下ろさせるような親不孝はしたくないという気持ちが強まりました。

 30歳を過ぎて快癒し体力が回復したことから、父と同じ舞台に立つ決断をしました。父の闘病中は、僕が期待に応える仕事をすることが、父の励みになったと思います。

トーク番組で

  猫八さんは徐々に胃の痛みが強くなり、横になる時間が増えた。最後の仕事となったのは、トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)での親子共演だった。

 無理ができなくなり、痛み止めを飲みながらの生活になっていました。僕はものを食べられなくなるようなことがあったらどうしたらいいか、などをインターネットで調べました。すると、父は「もうちょっと頑張れそうだな」と。そんな父の前向きなところが、家族をさらに一致団結させたと思います。

 番組収録中、父のために僕が「大丈夫?」とコップに水を注いでいると、(司会の)黒柳徹子さんに心配されました。具合が悪いことは見抜かれていたかもしれません。無理を押して出演したのは、人生の最後に、「江戸家」の芸が受け継がれていくことを、テレビを通じてお見せしたかったのだと思います。

 控室で休みながら体力を温存し、無事に収録を終えました。家族全員で放送を見て「楽しい番組だった」と喜んだ翌日、「苦しい」と訴え、ついに入院となりました。

 病院に顔を出すと、「仕事で迷惑をかけるな」「今日は早く家に帰って、少しでもよいコンディションに」などと師匠として助言する一方、僕がかつてしてもらったマッサージを求められました。2回ほどでしたか、親子のコミュニケーションの時間だったと思います。

 3月下旬、父の代演の舞台を終えて病院に向かい、「無事終わったよ」と報告すると、すっと眠るように息を引き取りました。自分がやらなければならなかった仕事を気にかけ、報告を待っていたようでした。仕事に対する姿勢や思いを、教えられました。

 父は亡くなる数日前、「猫八の名前は任せた」と後を託してくれました。いい仕事をすることで、父にもらった恩を返していきたいと思っています。(聞き手・及川昭夫)

  えどや・こねこ (本名・岡田真一郎) 1977年、東京生まれ。ネフローゼの闘病を経て、立教大大学院で修士号を取得。2009年に「そのうち小猫」と名乗り修業を始める。11年に二代目江戸家小猫を襲名、親子共演を果たす。上野・鈴本演芸場や浅草演芸ホールで21日から始まる「3月下席」(昼の部)に出演予定。

  ◎取材を終えて  突然の余命宣告から亡くなるまで、わずか2か月弱。人を笑わせる芸の道を究める父であり師匠の猫八さんの闘病を支えるのは、つらいことだったに違いない。取材中、「奇跡を願っていた」と繰り返した小猫さん。一方で「ああしておけばよかった」といった後悔を一切口にしなかったのが印象的だった。記者と小猫さんは、誕生日が10日違いの同い年。自分が同じ立場になったらと、我が身を振り返らずにはいられなかった。

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