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原発事故後の福島で住民と共に歩む医師・坪倉正治さん

編集長インタビュー

坪倉正治さん(4)原発事故後の地域医療 現場からの改革を目指して

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「これまでの古い構造を変えないと、医療はもうもたない」と語る坪倉さん

「これまでの古い構造を変えないと、医療はもうもたない」と語る坪倉さん

 暮れも押し詰まってきた2016年12月30日の深夜。丸一日の外来が終わり、自宅でくつろいでいた坪倉正治さん(35)の携帯電話が鳴った。電話の主は、東京電力福島第一原子力発電所から22キロ南にある福島県広野町の民間病院「高野病院」の事務長、高野 己保(みほ) さんだった。

 「『院長の自宅が燃えています。火事です。おそらく院長はもう助かりません』と言われた。ショックでしたがすぐに医療体制が気になりました。『入院患者さん、当直はどうするんですか?』と聞きました。『1月1日、2日はいつも来てくださっている大学の非常勤医師が来ます。3日は来ません』と言われたので、『3日の当直は僕が行きます。1月中に医師が入っていないのはどこですか?』と返しました。医師がいない日に南相馬市立総合病院などの病院から若手が手伝いに行けるよう調整を始めました」

 高野病院は、原発のある双葉郡内で唯一残った民間病院だ。81歳だった院長の高野英男さんが唯一の常勤医として、週3~4回当直勤務もこなしながら、118床(療養病棟65床、精神科病棟53床)の患者を引き受けてきた。昨年末の火災で院長が急死し、1本の屋台骨でぎりぎり支えてきた医療体制が一気に崩壊する危機に見舞われた。

 坪倉さんはその3年ほど前から事務長と交流があった。

 「浜通り(福島県沿岸部)にある病院が、震災直後どんな状況だったか、今後の対策に役立てるためにインタビューをして冊子にまとめようとしていたんです。原発事故の初期の問題は、医学・医療ではなくて、国家による危機管理の問題です。地域医療が事故当初の3か月でどうなったのかを残しておく必要があると思っていました。対象病院の中で、高野病院は、『双葉郡で一つだけ残り、高齢の医師が孤軍奮闘している』という印象しかありませんでした」

 会いに行ってじっくり話してみると、町の人口は激減し、その後の産業構造も変化している。民間病院という理由で行政の支援も手厚くなかった同病院は、医療スタッフの確保にも経営的にも非常に苦労していた。

 「事務長の己保さんに、『あなた自身が、あなたの言葉で今までの病院の現状を世間に伝えるのなら、お手伝いさせてください』と伝えました。そして、己保さんは2016年から『高野病院奮戦記』というメールマガジンの連載を始め、僕もその内容にアドバイスしていました。それでも、来年院長が82歳になるからもう限界という話になり、知り合いの記者を通じて、新聞に窮状を投書しようと準備していたのが昨年12月。年明けに掲載も決まり、『良かった、良かった。これで仕事納めですね。それでは来年また』と話してから1週間後に、あの火事があったんです」

若手医師らで「高野病院を支援する会」設立

 すぐに南相馬市立総合病院をはじめ周辺病院に勤務する若手医師6、7人の日程を調整し、交代で医師を派遣するシフトを組んだ。翌朝の大みそかには、後輩医師の尾崎章彦さんが事務局長になり「高野病院を支援する会」を設立。ボランティアの医師やそのための資金の寄付を全国に呼びかけた。

 「2か月間ぐらいの短期間をボランティアの医師で回しても、それはただの応急処置。原発事故で町内の人口は減り、代わりに除染復興作業員が多く居住し、その結果、救急が増えました。患者構成が変わっていく中で、これまでのように経営を維持するのは非常に困難だと思います。4月からの常勤医もめどがつき良かったと思います。しかし、それで安定して医療が回るかと言えば、高野元院長の代わりに必死に働かないといけない次の医師が見つかったというだけ。根本から、医療提供体制を見直さないと先はないです」

 東日本大震災と原発事故で一気に医師不足が加速した浜通りで、坪倉さんは若手医師が進んで働きにくる場所になるよう、そして研究や論文発信などの学術的な活動ができる体制を整えてきた。高野病院を含め医療過疎となったこの地もまた、工夫次第で若手に魅力のある医療現場になり得ると考えている。

 「在宅診療や慢性期(症状は安定しているが長期的な療養が必要な状態)のケアを勉強し、地域の中でどうやって一番良い医療を提供するかを実践するなら、格好の場所でしょう? 若い家族が出ていき、自宅に1人ではいられないから病院に入院を続けるという社会的入院も多い。そういう社会の一部としての病院の役割を勉強したいならうってつけの現場です。ただそのためには、診療の指導体制がしっかりし、研究して論文を書いたりする学術的サポート体制がしっかりしていることが必要ですし、そしてお金も必要です。若者がここで勉強するために投資しようという考えが医療行政や病院経営者になくてはなりません」

 「福島県浜通りで起きた医療問題は、ほかの産業の課題と同じで、地域消滅と地方創生の話です。少子高齢化や過疎化など元々抱えていた問題が原発事故で加速し、2030年ぐらいになった状態に置かれています。ほかの産業では、地域の連携強化、ブランド化、ITの導入、病院や役所などの生活に必要な機能が近隣にまとめられたコンパクトシティーなど、いくつかの成功した事例があります。結局、そうした成功事例が目指したのは、旧体制からの脱却です。防波堤や防潮堤、除染のような公共事業にトップダウン的に金が落ちてバラマキが行われ、土建国家型の復興や都市の一極集中、例えば都心部の現場にいない人が全てを決めたり、建設業や土着の限られた企業だけが潤ったりという古い仕組みから脱け出す。自前で将来像を見いだし、ボトムアップの新しい仕組みを (つく) り出すことでしか未来はないはずです。医療も同じ岐路に立たされています」

若手が働きたい場所にするために 医療での挑戦

 

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若手医師は診療後の夜、坪倉さんのもとに研究の指導を受けに集まってくる。相馬中央病院で診療しながら、地域の介護問題を研究している後輩医師、森田知宏さんと。坪倉さんに論文の指導を受けている森田さんは「坪倉先生がいなかったら、ここで働こうとは思わなかった」と語る

 そして、医療の世界で地方創生を果たすため、坪倉さんは若手医師が魅力を感じる職場作りに腐心してきた。

 「震災のどのような影響でどのような患者が増えたのかを見極め、診療し医療も産業として成り立つ。かつ、僕ら若手医師はここに来れば新しい勉強ができて、それは将来に役立つ。そして海外に発信することができる――。そんな成功事例を積み重ねることで、この場所をブランド化しようともがいてきたのがこの3年です。一方で、地元の大学病院や有力病院に予算が落ち、そこに新しい建物がどんどん建って、教授職などのポストが増え、そこから地域の病院に若手医師が派遣され、地方からはお礼参りをしないとシステムが回らないというのが典型的な旧体制。高野病院の件でも、トップダウン的に予算が落ち、大きな組織から派遣される形を取るのか、地元が団結して新しい価値を創造し、そちらに予算がつくかという引っ張り合いがなされましたが、結局、関係者で問題認識は共有されたものの、この危機をきっかけに新しい医療体制を作ろうという動きにはならなかった。高齢化で医療が大変、忙しくて人手不足とみんな言っていますが、超高齢社会の地域医療は現在の産業と同じで、一極集中型の土建国家型復興ではどうしようもない。大きな病院からトップダウン型に予算が落ちる仕組みに、なぜみんな違和感や危機感を持たないのか不思議です」

 坪倉さんは週の半分、浜通りの病院に通っているが、夜は、診療後に自主的に坪倉さんのもとに集まる若手医師に対し論文の書き方や研究の進め方の指導をしている。終わるのはいつも日付が変わった後。かつて20代だった坪倉さんが、東京大学で指導教官にしてもらったことを、福島で後輩医師に行っている。

 「自分の専門技能やキャリアを築けるという魅力がないと、若手医師は地方に来る意味を見いだせないし、10年後にここに来る人はいない。今いる平均年齢50~60代の開業医が引退する頃には、誰も帰ってきません。若手が1人来たら、『当直要員が1人増えた!』とロートルが喜ぶようなところには、絶対来ません」

 坪倉さん自身、福島に支援に入った当初は、東大の同期の医師たちに、「キャリアを捨ててもったいないな」「いつまでそんなことやるんだ?」「そんなのは医者の仕事じゃない」と心配されたり、冷笑されたりしてきたという。

 「でもずっとここでやっていて、ある程度学術的な発表をし、良くも悪くもマスコミで取り上げられたりすることが増えると、今度は『お前は現場があって、ちゃんと学術テーマもあっていいな』『羨ましいよ』という声に変わりました。3年目ぐらいで完全に逆転しました。後に続く後輩医師もそれぞれが進路に迷っているはずです。彼らにもやりがいを見いだせるように、環境を整えてあげたい」

 そして、坪倉さんは、自身の人脈や、支援を惜しまない大先輩の東大教授らの協力によって、海外の大学や市町村との連携を図り、様々な挑戦を仕掛けている。

 「ここで診療もしながら公衆衛生をやりたい若手に来てもらえるといいし、それを指導できるような立場になれればいいと思うのです。要は、若手にとってここに来る面白みをどんどん増やすことが必要です。福島に来てから、僕らのチームで発表した論文は約70本。まだこれから残さなければならないデータ、調べなければならないことはその2倍以上あります。イギリスのエジンバラ大学とは、格差など健康の社会的な決定要因についての共同研究を組んで、研究者を受け入れています。大地震の起きたネパールとも行き来し、上海の復旦大学にはうちの医師が1か月間留学し、介護要員不足の問題を共同研究しています。また、南相馬市がドローン(小型無人機)の特区になったので、過疎地医療の対策としてドローンを使った遠隔医療を試してみるといった案も出ています。いろいろ考えています」

さらに成長し、福島に関わり続ける

 支援に入った当初は20代だった坪倉さんも、現在35歳。6年間、無我夢中で走ってきたが、自身の医師、研究者としてのキャリアを考えると、留学も必要となる。

 「6年たってどうするの?と最近よく聞かれます。福島に関わり続けるとしても、そのためにも僕自身、勉強が足りません。教養もないし、ステップアップを図らなくてはいけません。学術的な地位もなく、国の研究費を申請するのも一苦労です。海外とも交流しながら公衆衛生を学ぶのか、放射線防護について学ぶのか、危機における医療コミュニケーションについて学ぶのかなど決められていませんが、自分の専門性を高めるためにも、いったんここを離れて留学することも必要だろうと思っています」

 原発事故後の福島に放り込まれるようにやってきて、住民と共に悩み、新たな地域医療を創り出そうと走り続けてきた坪倉さん。6年たって、自分の将来を考えながら立ち止まり、その先の未来は、何をやろうとしているのだろう。「やはり、若い頃に思い描いていたように政策やシステムを作る仕事をしたいのですか?」と尋ねると、こう返ってきた。

 「政策やシステムを作る仕事をするのは面白そうだと思う反面、そういう仕事を専門で行うようになると、現場を持たなくなりますよね? それにはすごく違和感があります。いつでも現場にはいたい。結局つらいとき、迷ったとき患者さんや地元の人がかけてくれる声に救われて、助けられ、力をもらって前に進むことができました。福島の現場でいろいろな人に出会えたことは一生の財産です。多くのご縁をいただきました。そう思える医者でいられることは、本当に幸せなことです。ここで働けたことに感謝していますし、だからこそ、結果を住民の皆さんに返していきたい。これからもずっと福島に関わり続けたいと思っています」

 (終わり)

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部(警視庁、厚生労働省担当)、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)に移り、6月から編集長に就任。医療部ではがんや感染症、遺伝子医療、セクシュアリティーなどを担当。父親ら親しい人の病気、死をきっかけに、大学の卒業論文でホスピスを1年間フィールドワークし、医療記者を志した。

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