心療眼科医・若倉雅登のひとりごと
医療・健康・介護のコラム
「正確無比な診断」「迅速に最適治療」期待する患者に…医師は応えられるか
前回、患者の医師に対する信頼の根幹には、患者である自分に対し、正確無比な診断をし、最適な治療を迅速にしてくれるに違いないという前提があることを述べました。そして、医師は自分のために全力投球をしてくれるに違いないと信じてもいます。それは、医師の本来の役割ですから、是認せざるを得ません。
しかし、実際には医療の側の環境、さらには、医師のよりどころである医学のレベルにもいろいろ事情があります。
医師は、多数の患者さんに相対しなければなりません。自分の得意とする領域の、特定のパターンの患者さんならば、ある程度能率的に診ることもできますが、通常は、一人ひとり別の問題を抱え、背景も同じではありません。
これを、物理的な時間制限の中で診ていくと、どうしても全員に「全力投球する」ことなどできません。医療環境をそういう理想に近づけるには、1人の医師が診る患者数を制限しなければなりませんが、そうするためには一人ひとりの医療費を値上げしなければ、病院、医院は成り立たない理屈になります。
医療環境が悪ければ、当然見落とし、誤診、医療過誤が生じやすく、患者が望む迅速で、最適な治療は受けられません。
時代とともに、医療情報はどんどん増え、患者側の要求度も上がっていくことは目に見えています。だから、今の日本の医療環境を直視して、将来の自分たちの医療環境を抜本的に設計する仕組みを今から考えていかなければいけないでしょう。
さて、もうひとつ、医学のレベルの問題があります。
大学や、卒後の臨床教育では、現在わかっている医学的知識を教えこまれ、治療技術を学びます。しかし、当然ながら、医学は万能ではありません。
実際に医師になり、独立すればするほど、今の医学では改善させることのできない進行性の疾患、後遺症を持った患者さんたちの訴えにどう対処してよいか、立ち往生します。加えて、診断のつかない症例、解決策のない症状もおびただしくあるのです。
仕方なく、医師自身もあまり納得しないままに、仮の診断名をつけるなどしてお茶を濁します。中には、自分ではわからない症例が来ると、いらだって、そんな症状はありえないと否定して怒り、「もう来ないでよい」などと 匙 を投げてしまう場合もあるようです。
多分、医師のプライドが邪魔するのだと思います。
しかし、医師は、そういうごまかしをせざるを得ない状況に、とても悩む生真面目な医師もいますし、わからない症例が増えて短気をおこしてしまう自分の姿、つまり、患者に対してだんだん意地悪になっていく自分を、持て余している医師の告白を聞いたこともあります。
医学教育では、診断と治療は学びますが、診断がつかない場合、治療ができない場合の方策については、何ら対応方法が用意されていないのです。
欧米の教科書には、治療という言葉の代わりに「マネジメント」(対処)という項目が掲載されていることがありますが、そういう考え方は医学が万能でない現在において大事な視点だろうと思います。(若倉雅登 井上眼科病院名誉院長)
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