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佐藤記者の「新・精神医療ルネサンス」

医療・健康・介護のコラム

「考え方の修正」迫る“なんちゃって専門家”たち

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「考え方の修正」迫る“なんちゃって専門家”たち

自費出版した本を手にする大野裕さん

大野裕氏に聞く認知行動療法の今

 認知行動療法の第一人者として知られる精神科医の大野裕さんが、今年1月末、専門家向けの著書「 簡易型認知行動療法実践マニュアル 」を自費出版した。大野さんと言えば、有名出版社から数多くの本を出していることでも知られ、講談社現代新書の「はじめての認知療法」は、出版から6年近くたった今も着実に販売数を伸ばしている。同じく講談社現代新書から本を出したことがある私としては、羨ましくてたまらない。そんな大野さんがなぜ、自費出版なのか。その背景には、認知行動療法を提供する医療者に「なんちゃって専門家」が増えていることへの危機感があった。インタビュー形式でお伝えする。

著名な医師がなぜ自費出版?

  佐藤  今回の本は専門家向けとはいえ、大野先生の著書ですから、出せば手堅く売れるのではないですか。なぜ自費出版に。

  大野  定価を安く抑えたかったのです。この本を出版社から出すと4000円になると言われました。本が売れないこの時代に、それでは保健や医療、福祉のスタッフにはとうてい買ってもらえない。そこで自費出版にして、1800円に抑えました。

  佐藤  赤字覚悟ですか。何部売れたら元が取れるのですか。

  大野  2000部ですね。おかげさまで、もう1000部売れました。これは異例なことのようです。

  佐藤  本を多くの人に読んでほしいというお気持ちはよく分かります。でもなぜ、そこまでして売れることにこだわったのですか。

  大野  近年、認知行動療法は精神疾患の治療法として広く用いられるようになりました。確かな効果も証明されています。しかし、本当に実力のある専門家の養成には時間が掛かり、まだ十分ではありません。その一方で、技術不足の「なんちゃって専門家」が多く現れ、認知行動療法もどきを行うようになりました。不適切な認知行動療法を行うと、回復しないばかりか、副作用に見舞われることもあります。専門家として患者さんの回復を支える以上は、認知行動療法の基本を身につけてほしいと考えて、今回の本をまとめました。そのため、できるだけ安く販売して、広く読んでもらうことにこだわったのです。そして本の専用サイトを作り、関連する情報を動画で提供したり、教育用のパワーポイントをダウンロードできるようにしたりするといった、新しい試みにもチャレンジしました。

不適切手法で患者がうつ深める副作用も

  佐藤  認知行動療法もどきで起こる副作用とはどのようなものですか。

  大野  不適切な認知行動療法を行う自称専門家は、患者さんに「考え方を変えよう」と求めます。しかし、考え方はその人の個性であり、簡単に変えられるものではありません。自分の考え方をなかなか変えられない患者さんは、そのような自分に失望し、さらに落ち込んでしまうかもしれません。

  佐藤  具体的な例でご説明いただけますか。

  大野  職場の人間関係がうまくいかず、うつ状態に陥っている会社員Aさんの例で説明します。Aさんは、職場の同僚たちが自分を嫌っていて、そのために飲み会にも誘ってもらえないと思っている。自称専門家は、そんなAさんにこう働きかけます。「同僚の人たちはあなたが忙しいと思って、気を使って誘わないのではないですか」。確かに、そういう可能性はあります。しかしAさんは、本当に嫌われているのかもしれません。本当に嫌われているのに、考え方だけを楽観的に変えろというのは酷なことです。

  佐藤  楽天主義もほどほどにしないといけないですね。「よかった探し」は結構ですが、行き過ぎると現実逃避になってしまう。

  大野  そうですね。Aさんにまず必要なのは、自分の今の状況を冷静に見詰めることです。「仲間と良い関係を築きたい」と願っている自分の感情に気付くことが大切です。我々専門家の役割は、Aさんの考え方を楽観的に変えることではなく、Aさんが自分の状況や感情を正しく見つめられるように支えることです。すると「自分は本当に嫌われている」という嫌な現実が目に入るかもしれません。そんな時、専門家がそばで支え、仲間とうまくやっていくためのコミュニケーション法などを一緒に考えていくのです。

  佐藤  新聞やテレビなどでも、認知行動療法を簡単に説明するため、「考え方を修正する方法」などと言ってしまいます。気をつけた方がよいですね。

  大野  考え方の修正ではなく、自分をしっかりと見つめ、どうしたいのかを考えることが必要なのです。認知行動療法が目指す適応的思考とは、何でも楽観的に受け入れる考え方ではなく、現状をより良く変えていくための工夫ができるようになることです。専門家は応援団やコーチの立場で、プレーヤーである患者さんを支えます。

看護師らの認知行動療法を拡大するには

  佐藤  うつ病などの気分障害への認知行動療法は、一定の条件下で看護師が行った場合も、医療機関は診療報酬を得られるようになりました。十分な知識を持つ看護師が行う認知行動療法の効果は、医師による認知行動療法の効果と変わらないことを、大野先生たちが研究で証明し、制度が変わったわけですが、この変更から1年近く つ今も、看護師による認知行動療法が広がっているとはいえません。なぜですか。

  大野  要件が厳し過ぎるのです。専任の看護師は「認知行動療法を行う医療機関に2年以上勤務し、治療の面接に60回以上同席した後に、適切な研修会に参加」「気分障害の患者に対して、当該の看護師が認知行動療法の手法を取り入れた面接を10症例120回以上実施し、そのうち5症例60回以上の面接を患者の同意を得て録画、あるいは録音し、専任の医師らに見てもらって必要な指導を受けている」という要件を満たす必要があるのです。多忙な看護師で、このような要件を満たせる人はほとんどいません。そのため、厚生労働省でも要件の見直しを検討しているところです。

  佐藤  精神科医は、それまで認知行動療法の勉強をしたことがなくても、関連した研修を受ければ認知行動療法を行えるのですから、差が激し過ぎますね。本来、医師が行う治療を看護師が代行するのですから、慎重にする必要はあると思います。しかし、正しい認知行動療法を受けたい患者は数え切れないほどいるのに、保険診療でこの療法を受けられる患者は非常に少ない現状がある。「なんちゃって専門家」を増やしてはいけませんが、この後、公認心理師の誕生も控えているのですから、高すぎるハードルは見直してほしいですね。認知行動療法の今後については、どのようにお考えですか。

  大野  認知行動療法に精通した専門家は、簡単には育ちません。しかし、認知行動療法は病気の治療法としてだけではなく、病気の予防やストレス対策、更には学校教育やスポーツの成績向上などにも活用できますから、保健師や学校の教諭らにも基本的な知識を身につけてほしいと思っています。今回の本で「簡易型」を紹介したのはそのためで、医療職以外の人にも読んでほしいと願っています。今回の本の中でも紹介しましたが、認知行動療法は、一般の人がインターネットの専用サイト「こころのスキルアップ・トレーニング」で勉強しても、一定の技量を身につけることができます。近い将来は人工知能も活用し、病気のあるなしにかかわらず、認知行動療法を活用できる体制を更に整備していきたいと考えています。

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佐藤光展(さとう・みつのぶ)

読売新聞東京本社医療部記者。群馬県前橋市生まれ。趣味はマラソン(完走メダル集め)とスキューバダイビング(好きなポイントは与那国島の西崎)と城めぐり。免許は1級小型船舶操縦士、潜水士など。神戸新聞社社会部で阪神淡路大震災、神戸連続児童殺傷事件などを取材。2000年に読売新聞東京本社に移り、2003年から医療部。日本外科学会学術集会、日本内視鏡外科学会総会、日本公衆衛生学会総会などの学会や大学などで講演。著書に「精神医療ダークサイド」(講談社現代新書)。分担執筆は『こころの科学増刊 くすりにたよらない精神医学』(日本評論社)、『統合失調症の人が知っておくべきこと』(NPO法人地域精神保健福祉機構・コンボ)など。

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