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がんサバイバーの立場から 桜井なおみ

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

死に際だけではないスピリチュアル・ペイン

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テーマ:死の恐怖(スピリチュアルペイン)とどう向き合うか、どう支えるか

 がん診断後、退職願を提出したとき、とっても心が痛かったのを思い出します。

 先の見通しのない中で、一人でぼんやりテレビを見ていたとき。このまま家で倒れても、誰も気がついてくれないのだなと思うと、喉の奥の奥の方からこみ上げるような痛みを感じました。社会的に死んだと思いました。

 体にケガをしたときは、体が痛くなります。

 でも、時として、もっと、もっと、もっと体の奥深く、喉の奥から熱いものがこみ上げてくるような、何とも言えない痛みを感じたことがありませんか?

 私はそれがスピリチュアル・ペインだと思っていました。ところが、今回のテーマを書くにあたって書物を読むと、正式な定義はちょっと違いました。

 スピリチュアル・ペインは、「亡くなる前に感じる(死の間際)」人生の意味や死への恐れなど、「魂の痛み」のこと。世界保健機関(WHO)は、肉体的(フィジカル)、精神的(メンタル)、社会的(ソーシャル)に、霊的(スピリチュアル)な痛みを加えた4つをトータルペインとして、全人的ケアの概念を定義しています。

 では、私が仕事を () めたときに感じたあの痛みは何だったのでしょうか?

 「がんは生活習慣病」と言われていますが、「生活が習慣になるほど長くは生きていない」年齢でがんを 罹患(りかん) した自分にとって、「生活習慣病」という言葉は、「病気になった自分の生活が悪い=自分の生き方が悪い」と言われているような気持ちがしました。「これまでの生き方を否定された気持ち」になりました。その上での「離職」は、自分にとっては「社会的な死」であり、あのときに感じた痛みは「スピリチュアル・ペイン」でした。

 再発後に仕事を辞めた患者さんが、「私はただ酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すだけの生き物になってしまった」と言っていました。この痛みはWHOの定義からみたら「社会的な痛み」ということになるかもしれませんが、一般的に社会で働いている人にとっては、仕事=生き 甲斐(がい) =アイデンティティーです。それを失うということは、人によっては「生きながら感じるスピリチュアル・ペイン」なのではないかと私は思っています。

 では、定義にある「死の直前に感じる」スピリチュアル・ペインとは何でしょうか?

 ある仲間の 看取(みと) りに携わった時のことです。

 おひとり様だった彼女は、再発していることや、やがて死が近いことを誰にも話さずにいました。仕事を続けながらの日々でしたから、週に何度か自宅へ「遊び」に行きました。

 ある日、私がトイレを借りたとき、個室の隅に大きな袋がありました。

 「邪魔じゃないかな?」と思って中をみると、オムツが入っていました。「オムツ」が意味することを理解し、「自分で掃除をするのは体力的にも大変だろう」と、何げなくトイレ掃除をして出ました。その後、彼女がトイレを使い、出てきて最初に言った言葉が「ひょっとしてトイレ掃除してくれちゃった?」でした。

 「やっちまった」と思いました。

 手を出してはいけないところまで、勝手に手を出してしまったと思いました。 几帳面(きちょうめん) な彼女の譲れない一線が「トイレ」だったのです。私は、彼女が大切にしまっておきたかったことを「よかれ」と思って、ずかずか入り込んだのです。それ以来、ポータブルのトイレになっても、オムツの交換でも、「シモ」に関しては、頼まれたこと以外で私が手を出すことは一切やめました。

死に際だけではないスピリチュアル・ペイン

思い出のポータブルトイレ

 亡くなる2日目のこと。手をとってポータブルのトイレで用を足した後、便に血がまじっていました。偶然にも、その光景は私の目にも入りました。中の交換もあるので、いつものように看護師さんを呼ぶと、看護師さんも驚き、「いつからですか?」と彼女に確認しました。もちろん、本人はそんなことには気がつきません。振り返るだけの体力など残ってはいませんから。

 酷でした。

 主治医に報告するために看護師さんが部屋を出て行ったあと、病室には2人きり。ベッドに腰かけ、隣に座ると、彼女は体重を私に預けてきました。ひょっとしたら、それまで使っていた大切な薬も、体全体には届いていなかったのかもしれません。あのときの、「万策尽きた」という表情を、私は今でも忘れることができません。

 私にできることは、ただ、ただ、そばに座り、体を寄せ合うことだけでした。

 あのとき、彼女が何を感じていたのか、何を考えていたのかは知る由もありません。

 人生は決して思うようにはいきませんし、人は死ぬ瞬間はひとりです。でも、その (そば) に寄り添うことはできます。

 私は、スピリチュアル・ペインは死の間際の人だけが感じる痛みではないと思っています。実存としての自分が消える、消えたときの苦しさは、生きている間にも感じることが時としてあると思っています。

 そして、その痛みを和らげる「スピリチュアル・ケア」は、私たち一人ひとりが、何かできることがあるのではないかと思っています。ケアには、とても大きな心のエネルギーが必要ですから、頼ることも、逃げることも大切です。大切なのは、ただ、ただ、寄り添うことなのではないでしょうか。

 皆さんはスピリチュアル・ペインを感じたことはありますか? そして、あなたは、どんなケアをしたことがありますか?

 そのときの気持ちをお聞かせください。それはケアに携わった人すべてのケアにつながります。

 ヨミドクター編集長を務めてくれた岩永記者(別名:岩牡蠣記者)が、3月末で異動になります。いま、私は彼女のスピリチュアルなケアをしっかりしたいと思っています。

桜井写真_400

【略歴】

 桜井なおみ(さくらい・なおみ) キャンサー・ソリューションズ株式会社代表取締役社長

 1967年、東京都生まれ。乳幼児期は公民権運動真っ盛りのアメリカで成長。大学で都市計画を学んだ後、再開発などの都市計画事業や環境学習などに従事。2004年夏、30代でがんの診断を受けた後は自らの病気体験や社会経験を生かした働く世代のがん患者・家族の支援活動を開始、現在に至る。社会福祉士、技術士、産業カウンセラー。編著書に『がんと一緒に働こう』『がん経験者のための就活ブック』(ともに合同出版)などがある。

 趣味はおもちゃ集めとランニング、音楽。ランニングは1か月150キロを走る。グラムロックやハードロックをこよなく愛し、いつの日かフレディ・マーキュリーのお墓参りをする計画。外交的に見えて実は内向的という典型的な水瓶みずがめ座。

 旦那と愛犬(名:爺次じいじ)、愛亀(名:平次)と暮らしています。

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さよなら・その2-2-300-300シャドー

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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3件 のコメント

心の医療

ひろちゃー

桜井さん、岩永前編集長 このコーナーを続けていただき本当にありがとうございます。 6年前に実父をその翌年に主人をガンで看取りました。その前年に実...

桜井さん、岩永前編集長 このコーナーを続けていただき本当にありがとうございます。
6年前に実父をその翌年に主人をガンで看取りました。その前年に実母が甲状腺ガンで手術を受けました。母は84になりますが、実家で元気にしてくれています。なぜ私だけが健康?この8年間生きていることが辛くて切なくて心に傷があることを自覚しています。この痛みと戦いつつ、人前では元気に明るく振舞い、この180°逆の心を持つ自分にそろそろ疲れてきています。
とてもとても独りでこの自分に向き合っていけず、心理士の先生の力をお借りしています。正しくスピリチュアルケアであり、スピリチュアルペインには正しい知識を持ったDr.の治療が必要だと感じています。今の先生にお目にかかるまで5年間探し続けました。主人が生きている時にお会いしたかった。
緩和ケアを日本ではまだまだ簡単に受診できません。また心の傷を病気として世間が認めないような環境もあるように思います。1日も早く心の医療が確立することを日々願っています。

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頭ではなく何となく心で感じるもの

エンジェル

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WHOがトータルペインに霊的(スピリチュアル)な痛みを加えたとの記事を目にした時に、私は驚愕しました。「ああ、著名な大学で研究はされていても、科学的には証明できていないものを認定しちゃうんだ」これが正直な感想でした。

私は自身や大切な人が大病になったら誰もが感じる目に見えない痛みがスピリチュアル・ペインだと思います。ピア・カウンセリング、闘病記、笑顔、気配りなども広義のスピリチュアル・ケアに入ると思います。

正直スピリチュアルという言葉を信じない人もいるでしょうね。でも、日本から宗教的な建物や風習がなくならないのは不思議です。スピリチュアルなもので、少しでも自分が楽になるのならそれで良いのでは?ただし、あやしい勧誘や高額商品には気をつけてくださいね。

今回も桜井さんのコラムはとても共感できました。社会福祉士、産業カウンセラーの資格をお持ちだからなのだと納得しました。

そして、岩永編集長、2年間本当にお疲れ様でした。異動先でも多様性と女性らしい柔らかな視点でご活躍されることでしょう。

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残されたものの苦しみ

ヨシ

一年前に妻をガンで亡くしました。なくなる一週間前から調子が悪くなり、最後の3日間は会話も出来なくなりました。なくなっていく時、彼女は何を思ってい...

一年前に妻をガンで亡くしました。なくなる一週間前から調子が悪くなり、最後の3日間は会話も出来なくなりました。なくなっていく時、彼女は何を思っていたのか、わかりません。もっと早くからお互いの心を打ち明け合って、死が近づいている前提で話をしておくべきだったと後悔しています。
死ぬとは思っていなかったかも知れないし、死の恐怖もあったので口に出来なかったという面もあります。それでもお互いの絆を確かめ合わなかった後悔がいまだに癒えません。私は生きて生活しています。しかし、精神的には一度廃人になったような気がします。晴れた空を眺めるとき、彼女はもうこの空を見ることも、草木を愛でることも何もできない、私だけが生きているのが申し訳ない、と感じます。
まず死に行く人、次に残された人にスピリチュアルケアが必要だと思います。

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