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難病患者の家族、支援者の立場から 川口有美子

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

スピリチュアルケア、ってなあに?

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テーマ:死の恐怖(スピリチュアルペイン)とどう向き合うか、どう支えるか

スピリチュアルケア、ってなあに?

最期の日は自宅のソファで

 スピリチュアルケアって、死が間近に迫った人に寄り添うケア、「霊的なケア」のことだそうです。でも、いまだによくわからないんです。母の病気はALS(筋萎縮性側索硬化症)だったんですが、当時は死に至る病という印象が強くて(あ、今もそうですか)、お医者さんもお手上げなんだけれど、スピリチュアルケアで、せめて心安らかになってもらおうということで、たくさんの方が訪ねてこられました。

 その多くは宗教の関係者でした。母は慎重でしたけど、私はALSが治せるものなら、何でもやってやるという感じで、 (わら) にもすがるというか、誘われるまま出かけて行きました。 不遜(ふそん) になってはいけないので詳しくは書きませんけれど、結局、どの宗教の信者にもなれずに終わりました。お祈りというか、見よう見まねで夢中でやってみたりしたんですが、結局、私にも母にも、霊的な現象は起こらずに終わりました。医者から宗教家に転身した友人にも会いましたし、母の主治医も熱心なクリスチャンで、宣教師のお話をカセットテープに何巻も吹き込んでくださったりしたんですが、母には耳を傾ける気持ちの余裕はなかったです。

 母はその頃は、全身が全く動かず、一日中、文字盤で「どこが痛い」「どこを動かせ」と訴え続けていて、死に向かう心の痛みを慰めようとか、悟らせようとか、和らげようとかする人には、黙ってしまいました。

 病名を告知された頃は、「もうすぐ死ぬかもしれない」って、「だから心のケアをしてほしい」なんて言っていたのに、1年後に呼吸器をつけて当分死なないのがわかってくると、身体の微調整などの具体的な介護の要求ばかりで、一日中、吸引、経管栄養、マッサージ、文字盤、トイレ、etc.の繰り返しで、死ぬ覚悟どころじゃないんです。

 いまさらですけど、宗教って、現世御利益のためではないんですね。だから、治癒が目的で入信しても、救われなかったです。治りたいとか治したいとか思っている間は、不幸や渇望が増すだけでした。病気になったことに感謝できるようにならないと救われないんですね。祈りに対価を求めている間は救われないんです。

死の受容

 そうこうするうちに、身体障害が進み、母は全くどこも動かせないという極限状態になり、私は母を安楽死させたいと思うようになりました。本人は私がそんなことを真剣に考えているなんて知っていたのか、わかりませんが、「こんな状態では生きていても (つら) いだろうなあ」と誰が見てもそう思えるようになっていました。がんでも末期になってくると、周囲は「死んだほうがマシ」という思いに絡め取られていくのでしょうか。「死を受け入れて穏やかになってほしい」、と私は心からそう思いました。家族だからこそ、その苦痛を見ていられないのです。

 それで、母に死を受容してもらおうとして、いろいろ言いました。あの世の話から始まって、「長生きがいいとは限らないよ」とか。今思えば、娘とはいえ、ギリギリで生きている人の尊厳を (おとし) めるような、ひどいことを言ったと思います。

 その後、いろいろあって、患者さんに向かって発する言葉は、よほど気をつけないといけないということがわかりました。それは、たんに患者さんとコミュニケーションを取る、ということとは違うんです。コミュニケーションは大事だけど、医療や介護の現場には、ケアの衣を着た余計な言葉が多すぎる。特に、人の生き死にを説くような話は、患者さんの心に突き刺さるのに、患者さんは黙ってその傷を隠すしかない。お世話になっていますから。

 死が避けられない事態は、ケアする側にとってこそ未体験です。それゆえに、終末期医療の現場では、ケアする側が逆にケアされてしまうようなことが起きます。例えば訪問看護師が「今日は△さんに癒やされました」と言って幸せそうに帰っていくのも、よくあることなんですが、家族はなんだか複雑な気持ちになります。スピリチュアルケアの領域では、本当に奇妙なことがたくさん起きてしまいます。

 じゃあ、何をしたら本当に患者さんのお役に立てるのだろう、と考えると、身体の痛みの緩和や生活上の不安の解消に徹するしかない、などと素人の私などは思うわけです。いやいや、教養がないので言葉で患者を癒せない、とも言えますけど。

気持ちが良いことを用意する

 ペットの背中を () でること、子供たちの笑い声、友達が訪ねてきてベッドの周りで宴会になる瞬間、使い慣れた物に囲まれて暮らしている感覚、元気だった頃の記憶を 辿(たど) ること。そんなことに、患者さんの屈託のない笑顔が見られます。立派な話ができなくても、身構えずに自然に患者さんに接することはできます。

 たとえ病院や施設で最期を迎えるのであっても、開かれた雰囲気で、外の光や風が感じられるのがいいです。10年前に訪ねたロンドン郊外のセントクリストファーホスピスの窓は大きく、建物の中はどこでも、とても明るかった。そして、あたかも地域センターのように近所の人々が出入りしていたので、死を待つ特別な場所という感じはしないのですが、それこそが、死の恐怖を和らげるスピリチュアルケアの原点であることを、知りました。

 おしまいに、質問です。

 あなたが気持ち良く感じられることはなんですか。日常生活の折々に、家族や友達に伝えておくと、それがスピリチュアルケアに () かされるかもしれません。

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【略歴】

川口 有美子(かわぐち・ゆみこ) 日本ALS協会理事、訪問介護事業所「ケアサポート モモ」代表取締役、NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長

 1995年に母がALSを発症。96年から在宅人工呼吸療法を開始。家族介護の辛酸を()めつくし、一大決心して03年訪問介護事業を開始。介護のアウトソーシングを始めました。翌年にはNPO法人も立ち上げて現在に至っています。自らの体験からALSの家族の選択と葛藤を描いた『逝かない身体』(医学書院)で2010年第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2013年2月立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了。2014年1月博士論文(改稿)「生存の技法 ALSの人工呼吸療法をめぐる葛藤」で河上肇賞奨励賞受賞。

 座右の銘は「信じる者は救われる」。趣味は終末期および人工呼吸器ユーザーで全身麻痺の人の独り暮らしコンサルタント。この人たちが働ける限り働いて燃え尽きるように亡くなっていくのを観戦しつつ、都会の片隅でワインと3匹の猫と暮らしています。

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さよなら・その2-2-300-300シャドー

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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1件 のコメント

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湯を沸かすほどの愛

さるすべり

私は今63歳の女性です。母を3年前に84歳で見送りました。父は90歳ですがまだ当分生きそうです。アスペタイプの父を自宅で介護することは私自身の破...

私は今63歳の女性です。母を3年前に84歳で見送りました。父は90歳ですがまだ当分生きそうです。アスペタイプの父を自宅で介護することは私自身の破滅につながるので、父は介護施設で生活しています。ウチの預金はすべて、父が死ぬまでの介護施設への支払いで使い果たします。私が一人でひっそり死ぬ場所として、家だけでも残れば有り難いのですが。

何年か前のNHKの大河ドラマの、宮崎あおいさんが演じた篤姫の最期みたいに、裁縫箱の前に座って着物の繕いをしていて、その手から着物がはらりと落ちて、すーっと息絶える、そんな最期を夢見ています。死ぬ瞬間まで、いつも自分がやってきた何らかの作業ができるって、最高に幸せですよね。

川口さんのことは、日本尊厳死協会鈴木理事との対談を読んで知りました。ウチは、父母も私も、日本尊厳死協会の会員です。何が、どういう場合が延命なのか、一律に論じることは難しいですが、私は自分が、不治かつ末期状態であれば、その状態を長引かせる処置を希望しません。でも、希望する人は、その希望が当然のこととして叶えられる世の中であるべきです。

現時点でもなお、「あらゆる手段を用いて心臓を動かし続けることが最善の医療である」という医療人のドグマが、一般人を支配しています。これはやはり困ります。私たちの人生は、医療のために存在しているのではなく、私たちの人生のために、医療が存在しています。自分の最期は自分で決めて、良いはずだと思います。

前置きが長くなってしまいました。私が気持ちよく感じられることは、いつも行く銭湯の露天風呂か薬湯に浸かっているときです。もし私が寝たきりになったら、このお風呂に浸かっている夢を見るだろうな、といつも思います。銭湯通いは元気なうちしかできませんね。都心にはまだ銭湯がポチポチあります。川口さんもいかがですか?

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