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がん患者や高齢者を在宅で診る立場から 新城拓也

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

亡くなりゆく人たちの恐怖、残される人たちの不安

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テーマ:死の恐怖(スピリチュアルペイン)とどう向き合うか、どう支えるか

 ある休日の昼間のことでした。毎週2回往診している、Qさんの家族からの電話でした。「母が痛がっている。すぐに診に来てほしい」とのことでした。Qさんの娘さんの声は、いつもより緊張していました。これは早く診に行かなくてはと素早く着替えました。私は、子供とショッピングモールへ買い物に行く約束を気にしながら、今の時間に行けば、自分の昼食を抜けば約束通り家に帰ってこれると時計を見ながら計算しました。車に乗り込み、いつもの道を走りながら、それまでのQさんの様子を思い出し、交わした言葉を振り返っていました。

 Qさんは、末期の肝臓がんのため自宅で療養していました。医者嫌い、病院嫌いで、今まで大きな病気なく過ごしてきたのですが、身体がだるく、疲れやすくなったため、渋々娘さんに連れられて病院に行くと、その日の検査でかなり大きな肝臓がんがあることが分かりました。もはや積極的な治療をすることもできず、入院する気もないQさんは、その場で今後は治療をしないと決めて、自宅で療養することとなりました。そして私の医院に、病院から連絡がありました。ずっと自宅で過ごしたいと決意が固いことから、治療を引き継いでほしいとのことでした。私はまず、娘さんと医院で面接し、どんな意向なのかを尋ねました。

亡くなりゆく人たちの恐怖、残される人たちの不安

Qさんが趣味で山歩きしていた神戸の山々。

 Qさんは、趣味で神戸の山々を歩く知り合いはいましたが、近所づきあいもせず、ずっと暮らしてきた自宅の一室で、朝から晩までテレビを () る一日をもう何年も続けていたとのことでした。最近は疲れやすく、「嫌がる本人を連れて病院に行ったものの、手遅れの肝臓がんで、今まで暮らしてきた家で最期を迎えられるよう、自分が看病したい」と娘さんは話しました。私は自宅でQさんが苦痛なく過ごしていけるよう、治療を引き受けることを約束しました。

 そして、初めての往診の日が来ました。Qさんは私に (おび) えている様子でした。「何か恐ろしいことを言われてしまうのではないか」「自分が考えてもいないような身体の悪い変化を悟られてしまうのではないか」――。そんなことを考えているのだろうと思いました。私は病状の悪い方も努めて明るく診察するようにしています。Qさんにも明るく話し始め、身体のあちこちを診察し触りながら、「この部屋は静かですね、邪魔するものが何もない。安全で居心地が良いですね」と話しました。Qさんは、「私はよく山を歩いていた。身体は人より丈夫だ。今まで医者に行くこともなかった」と答えました。私は、この方は、今日は病気の話を一切するなと私に伝えているのだと悟りました。

 どんなに医者嫌いな方でも3回目の往診くらいから、警戒心もなくなり、怯えもなくなります。Qさんの所へは、週に2回往診し、私が彼女の生活の中に早く 馴染(なじ) むように努めました。 (はた) から見ると当たり障りのない会話をQさんと続けました。ある日、「それで、どの辺りの山を登っていたのですか」と私が尋ねると、既にベッドから動けなくなり、トイレにも行けなくなったQさんがこう言ったのです。「昨日も山へ歩きに行きました。すれ違う人たちは私を見てみんな手を振ってくれました。みんな笑っていました」

 娘さんは、母親がおかしなことを言う姿を見てずっと黙っていました。私はそろそろ亡くなる時が近づいているなと思いました。人は亡くなる前になると、幻覚、妄想を体験します。最近の研究 でも、2割の方が既に亡くなった人に関する話をするという、いわゆる夢枕に故人が現れる、「お迎え現象」を体験するといわれています。夢と現実の世界を行ったり来たりするようになります。行けたはずのない山歩きの話をするQさんの表情は朗らかで、本当の話をしているかのようでした。その顔には既に怯えはありません。自分が病気であることも忘れているかのような様子でした。

 この頃から診察の後、別の部屋で娘さんと話す時間が長くなってきました。本人の怯えがなくなった頃から、反対に娘さんの怯えは大きくなっていきました。毎日の看病の様子を書き記されたノートを見ながら、私は娘さんが不安に思っていること一つ一つに丁寧に答えるようにしました。「食事が食べられないときは、無理に食べさせず、しばらく待ちましょう」「よく眠っているときは、薬の時間が来てもそのままにしましょう」「よく眠ることは、身体を休める大切なことです」。さらに、「水を飲ませるときは、身体をこれぐらい起こして、ぼんやりとしているときは () めておきましょう。氷のかけらを口に含ませるとむせることはありません」「がんの方は不思議と寒がりません。反対に布団を重く感じるのか、はねのけてしまいます、布団は薄く軽くしましょう」「まぶしいと思う人が多いので、レースのカーテンをひいておくほうが良いです」と、その時々のQさんの様子から、看病の仕方を話しました。 

 Qさんには、本人から求められていないのなら、がんが進行していることを殊更話さないと私は決めていました。Qさんは 黄疸(おうだん) が日増しにひどくなり、皮膚が黄色くなってきました。「私黄色くなっていない?」と私に聞きました。私は、「肝臓が悪くなると、こんなふうに身体が黄色くなりますよね。困ったものです」とだけ話しました。すると、Qさんは「そう、私は山歩きをしていたから身体は丈夫なの」とまた前の話、そして夢の話を現実の出来事のように話しました。診察の度に、「何か聞きたいことはない?」「何か伝えたいことはない?」と私は尋ねるようにしていたのですが、いつも「何もない」と静かに答えていました。

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ひとが亡くなるまでに身体に起こる変化が書かれた図を使って、これから起こることを順に話していきました。(パンフレットはこちら著作権について

 その日の診察が終わり、別室で娘さんと話すと、Qさんには痛みはそれほどなく、苦悩している様子もない。一日のほとんどを眠って穏やかに過ごしているとのことでした。反対に娘さんは、緊張が高まり、ますます怯えている様子でした。私は、人が亡くなるまでに身体に起こる変化が書かれた図を使って、これから起こることを順に話していきました。娘さんももう幾日もしないうちに亡くなるであろうことを感じていました。それは医師である私から説明を受けたから、残った時間を悟ったのではありません。いつも一緒にいれば、 (おの) ずと分かってしまうことなのです。そして、Qさん自身も夢見心地に過ごす毎日でしたが、昨夜、突然「もう私にはそろそろお迎えが来る」と静かに娘さんに話したそうです。

 この日を境にQさんは状態が悪くなりました。恐らく数日以内に亡くなるだろうと2日前の診察では娘さんと話していました。

 そんなことを思い出しながらQさんの家に着き、本人を診察しました。Qさんは眠っており、その顔、表情には全く苦しんでいる様子はありません。私は多くの患者が苦しむ姿を何度も見てきました。苦しんでいるかどうかは、理屈抜きですぐ分かります。私は、鎮めなくてはならないのは、Qさんの痛みや苦痛ではなく、娘さんの心の動揺だと思い、いつものように別室で話しました。娘さんは親の変わりゆく姿に動揺するとともに、目の前で人が死んでゆく恐怖に怯えていました。私は、本人は苦しんでいないこと、この先も苦しまないであろうこと、ここまで娘さんが十分に看病してきたこと、それが間もなく終わることを話しました。娘さんの心の動揺が治まるのを感じ取り、家を後にし、私も子供との休日の一日に戻りました。

 私は、自分の医院を開業してから4年、多くの患者を見送ってきました。そして一つ分かったことがあります。自分の仕事は、患者の苦痛を緩和することだけではなく、患者の身近で看病を続ける人が無事 看取(みと) りができるように支えることでもある、ということです。本来、看取りは医療の概念ではありません。人はずっと太古の昔から自分の身近な人、家族を看取り、そしていつしか自分も、看取られてきたのです。看取りを、人は人生の中で幾度も味わわなくてはなりません。私の仕事は、医師として看取りを通じて人間の命の鎖を (つな) いでいく手伝いをする医療というよりも、文化的な仕事なのだと思うに至りました。

 そして、死は本質的に非日常で不自然なことです。自分の目の前で愛する人が、死にゆく変化を、全て目撃してしまうことは、生理的には受け () れ難い体験です。誰にでも原始的な恐怖と怯えが伴います。時に熱心に看病をする事で、充実感や成長感を体験する方もいらっしゃいます。しかしそれは、恐怖と怯えを乗り越えるために、やや興奮した精神状態( (そう) 的防衛)になっているとも思えるのです。テレビの中の臨終の場面は、あまりにもきれいです。現実の死はあのような穏やかな時間だけでは決してありません。日本で、病院で死を迎える人たちが多い理由も、この不自然さを覆い隠すための一つの社会的な知恵なんだろうと思っています。「住み慣れた自宅で最期まで過ごす」「家族に囲まれて最期の時を過ごす」といった美辞麗句は、やはり死の持つ本質的な真実を覆い隠そうとしているようにも思えます。それでもなお、恐怖と怯えを乗り越えて、自宅で最期を迎えたいと思う患者と、愛する人の最期を自宅で看取りたいという家族を私は支え続けています。

 死にゆく本人は、本当に死を迎える間際になると、恐怖から解放され、夢と現実の入り交じったどこか非現実の世界に生きるようになります。しかし、看病する家族は反対に恐怖が高まっていく時を過ごしていくのです。そして、人の死と同時に、本人も家族も死の恐怖から確実に解放されます。死後の本人の顔から、苦痛が既に肉体から消え去ったことが、私にも家族にも分かります。そして、家族は死別の悲しみとともに、看病中の恐怖から解放された 安堵(あんど) 、恐怖と怯えを乗り越えるためのわずかな興奮が残ります。そして、死後の法要を経て、残された人たちには新しい毎日が始まるのです。

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あなたは、自分が亡くなった後、残された人達がどんな風に生きていくか想像できますか?(子供と約束したショッピングモールにて)

 死別は喪失だけではありません。残された私と家族の間には、共に全身全霊を傾けて過ごした、「時間の感触」が、心の中に確かに残ります。そして、時々私は通りすがりの街角や遺族会で、残された家族と語らい、「時間の感触」を確かめながら、次の新しい死と看取りに向かうのです。よく人から、多くの人の死に立ち会うのは (つら) くないのか、人の死の恐怖に向き合うのはきつい仕事ではないのかと尋ねられます。しかし、この「時間の感触」を通じて、私の心は安らかに満たされているのです。

 あなたは、自分が亡くなった後、残された人たちがどんなふうに生きていくか想像できますか?

 ※登場するQさんにモデルはありますが、実在する方ではありません。

【略歴】

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新城拓也(しんじょう・たくや) しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。日本緩和医療学会理事、同学会誌編集長。共編著に『エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』『続・エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』(ともに南江堂)、『3ステップ実践緩和ケア』(青海社)、単著に『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?―本当に聞きたかった緩和ケアの講義』(金原出版)など著書多数。

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さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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2件 のコメント

覚悟なく迎えた主人との死別の苦しみ

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主人を看取って5年の歳月が過ぎていこうとしています。未だに主人の壮絶な最期と静かに看取る覚悟のなさが悔やまれて生きていたくないと思っています。新...

主人を看取って5年の歳月が過ぎていこうとしています。未だに主人の壮絶な最期と静かに看取る覚悟のなさが悔やまれて生きていたくないと思っています。新城先生のような方に出会っていればよかったのにと羨ましく思います。自ら命を絶つほどの覚悟もなく辛さと苦しみをひたすらに受け入れる日々です。時折このコラムを拝見して、もっと早く人の生死をしっかりと考えるべきだったとただただ悔やまれるだけだと思っていました。しかしそれでもこのコラムを拝見することでようやく主人の最期の思いに触れることができるようになりました。遺族の数だけ辛さや苦しみはあると思いますが、それぞれの思いを共有するこのコラムは時間がかかりますがきっと私のように息詰まった思いを解き放してくれると存じます。これからも細くても継続していただくことを願います。

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親が子に残したもの

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私は幸いにも両親の最期を眼前で看取ることができました。父は腎不全で、母は目立った疾病のない老衰で、特に苦痛はなかった様子がせめてもの救いでしょう...

私は幸いにも両親の最期を眼前で看取ることができました。父は腎不全で、母は目立った疾病のない老衰で、特に苦痛はなかった様子がせめてもの救いでしょうか。静かな病室に響くアラーム音、脈拍、血圧の表示が乱れ低下し、やがてグラフが一直線となる。それを呆然と見つめていた自分が今でも心の中に浮かびます。
悲しみ、寂寥感、そしてもっと親孝行すべきだったという後悔とともに脳裏に刻み付けられたのは、自分もやがては同じように死の床に就くという厳然たる事実。それ以来、物事を自分の終末から逆算して考えるという変化が起きました。やがて来る桜の季節も自分はあと何回見られるのだろう。親が逝く前は思ってもみなかったことです。そうやって人生を大切に過ごせ、両親が自らの死をもって子どもに伝えた最後の教育かもしれません。
当時医学生だった我が子もその最期をつぶさに見てきました。これから医師として数え切れない生命の誕生と消失に立ち向かわなければなりません。この経験が活かされることを期待しているところです。

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