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難病患者の家族、支援者の立場から 川口有美子

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

世界的な安楽死合法化の波に逆らう「真の」緩和ケアを求めて

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テーマ:安らかな死とは何か?~取り切れない死の苦痛への対処法

 窓越しの冬の日差しに溶けていくように逝けたらいいなあ……。でも、そう簡単には死ねない、というのが人間の現実です。かの橋田寿賀子さんは、「認知症になる前にスイスに渡り、ディグニタスという安楽死支援団体の力を借りたい」と、月刊『文藝春秋』2016年12月号で、安楽死を希望していることを明かしました。「認知症になったら死にたい」ということなのでしょうが、合法的に安楽死できるのは末期患者に限ってのことなので、ディグニタスにもお断りされてしまいますね。条件に当てはまるのは、神経難病やがん末期だそうです。そこで、安楽死が合法化されている国、オランダのALS(筋萎縮性側索硬化症) 患者が安楽死をどう思っているのか、聞いてみました。

定着した安楽死

世界的な安楽死合法化の波に逆らう「真の」緩和ケアを求めて

アイルランドの首都・ダブリンで開かれたALSの国際同盟会議で。安楽死が認められているオランダのALS患者とも語り合いました

 昨年12月にアイルランドの首都ダブリンで開催されたALSの国際同盟会議で、オランダのアムステルダムから参加されたALS患者さんとお話しする機会がありました。比較的進行がゆっくりのその方は、ご家族と一緒にどこにでも出かけていくそうで、かすかに動く指先でスマートフォンを操作し、撮りためた写真を見せてくれました。アフリカのサバンナの夕暮れ、映画の舞台のようなリゾートホテル、たくさんの野生動物、ご家族との 団欒(だんらん) ――。経済的にも恵まれた豊かな患者さん。何度かお食事をご一緒しましたけど、とても社交的で、ろれつが回らないのに精いっぱい話しかけてくるので、きっと安楽死には批判的にちがいないと、私は勝手に推測していました。しかし、聞くところによると、「安楽死は社会に定着している」というのです。「家族の負担を長引かせないため?」と聞くと、「そうではなく、あくまで本人の意思によるものだ」とも。

 「あなたは安楽死を選びますか?」という私のストレートな質問には、ちょっと戸惑いを見せて言葉を濁しました。今は毎日が楽しく充実しているけど、将来、もっと 麻痺(まひ) が進んだ時、もしかしたら「安楽死はあり」なのかな、と感じました。そういえば、かなり前に、やはりALS患者で安楽死を選択したオランダ人男性患者の記事を読みましたが、その娘さんも、「父親は私たちに迷惑をかけまいと安楽死を選んでくれた」と語り、父親の選択を肯定していました(2006年6月8日付の北日本新聞「いのちの回廊」海外オランダ篇(3)「死を選んだ父」)。これもオランダのテレビ局が制作した番組ですが、その女性ALS患者は歩いてクリニックに来て、ドクターと紅茶を飲みながら、数週間後の安楽死の段取りをしていました。“歩けるうちに”っていうのが、その患者さんの決断ポイントでした。

無理して助けなくてもよくなる

 「家族に迷惑をかけたくない」とか、「死ぬまで待てない」と言っている人は、人生の底にいるような状態。そこに分け入って引っ張り出し、何とか生きられる療養環境を作ることを、私たちは日々の支援業務として行っているのですが、すごく擦り減るんです。だから、もし安楽死が制度化され、本人が「死にたい」というのなら、関係者の多くは止めないんじゃないかな。みんなが一度に楽になりますし、本人の言うとおりにしてあげるのが、「寄り添う」ってことだとも言われていますしね。

 だから、死ぬための法律は、生存を支援する側の構えを変えてしまう恐れがあります。たとえば高齢や難病や障害で働けない人のために、介護を工夫したり、たくさんの税金を投入したりしなくなるかもしれません。まあ、はっきり言えば、支える側の諦めが早くなる。

 そして、諦めは加速し、拡大していきます。その証拠にオランダでは、安楽死合法化から16年が () ち、ALSやがん末期など、数多くの実践を踏まえて、次は健康な高齢者にも安楽死の適応を拡大しようとしています。

呼吸困難に感づかせないことによる死

 世界的に安楽死の合法化が広がる中、危機感をもったALS/MND(運動神経疾患の)国際同盟会議は、2009年に共同声明をまとめ、安楽死に代わる緩和ケアの拡充を提唱しました。緩和ケアとは、いずれは死に至る病であっても、心身の苦痛を和らげて、一日一日を大切に、有意義なものにしていくというもので、発症直後からさまざまな方法を用いて始めるべき医療です。こうした緩和ケアのアプローチは世界的にも、なぜかまだ理解されていません。そのため安楽死合法化を求める声がこれ以上高まる前に、緩和ケアを世界に広めていくことを、およそ60か国のALS患者会が共同で宣言したのでした。

 ただ、ちょっと複雑な話になりますが、ぜひとも押さえておきたい点があります。それはがん末期、ALSのような非悪性疾患、認知症など、すべての病に緩和ケアが必要ですが、すべてに同じ処方をしてはいけない、ということです。この点、緩和ケアに熱心なドクターが、がん末期の 疼痛(とうつう) 緩和(強オピオイド)をALSに使うこともあり、注意が必要です。数日のうちに死ぬことが避けられないがん末期の人と、まだ長く生きる可能性があるALSのような神経難病の人では、緩和すべき苦痛の内容もその手法もまったく異なるのです。それがわかっていなければ、すべての人にとって「人工呼吸器や経管栄養は非人道的で過剰な処置」、「治らない病気にはモルヒネが必要」ということになってしまいますので。

*強オピオイド(鎮痛、陶酔作用があり、また薬剤の高用量の摂取では 昏睡(こんすい) 、呼吸抑制を引き起こす)

 呼吸器をつけているALSの人たちは、意識を混濁させる強い薬に警戒感を示しています。彼らのうちの何人かは、当初は「絶対に呼吸器をつけない」と言っていたのに、後に意思を撤回して、気管切開してもらい命が助かった人たち。だから、「意識を混濁させられては自己決定できなくなるので、危険だ」と言うのです。私は、ALSで呼吸器をつけない人の死に際の断末魔のような呼吸苦があれば、それを取ることは否定しません。中には硫酸モルヒネの持続点滴が必要なALS患者がいるのもわかります。

 でも、殺されたような、ひどいケースを聞くにつけ、どうにかしたいとは考えています。安楽死合法化を待たずとも、ALSに限って言えば「緩和ケア」ということで、極めて安楽死に近いことが起きてしまっています。それは、家族が医師を () かしてモルヒネを増量させたり、本人が呼吸器をつけようか迷っているのに、意識を混濁させて 看取(みと) ってしまったりというようなことなのですが、死が近づくと不穏になり、ナースコールが頻回で手が掛かりすぎるので、朦朧(もうろう) とさせておく、ということも聞かれます。ALSにも鎮静が必要なケースがあるということなのでしょうが、ALSの痛みはがん末期とは全く違う痛み。モルヒネを上手に使うことで、亡くなる前夜も外出できる病気でもあります。

*2008年2月号『現代思想』の特集:「医療崩壊-生命をめぐるエコノミー」で、緩和ケアをめぐる誤解を解き、課題を整理したくて、新潟病院副院長で神経内科医の中島孝医師と対談しました。『末期を超えて ALSとすべての難病にかかわる人たちへ』に収録されています。ご興味のある方はぜひご一読ください。

 ふと、オランダ人の彼女の笑顔が脳裏をよぎりました。日本のALS患者のおよそ3割が呼吸器を装着していますが、オランダの患者はほぼ同じ割合で安楽死していることになります。このような違いは、果たして文化や国民性の違いからくるのでしょうか。安楽死の合法化については国民的な議論が必要と言われますが、いったん合法化されたら安楽死は確実に広がっていくでしょう。特に希少疾患では、一歩先を行く同病者が何でもお手本になりますから、誰かが安楽死してその模様を 喧伝(けんでん) するメディアがいれば一気に広がりますし、逆に呼吸器をつけて自立している患者を宣伝すれば、大勢の患者がその人に憧れ、目指すことになる。

 オランダのALSの人に、とやかく言う筋合いではないのですが、あの人の近くにも、呼吸器をつけて楽しく暮らしている患者さんがいればいいのになあ、生きることに貪欲な人を 真似(まね) てほしいなあ、と思います。

もうどうしても死が避けられないという日がやってきたら……

 これまで幾人も、ALSや筋ジストロフィーの人をあちら側に見送ってきましたが、彼らの療養はエンドレスの肉体労働のようなものでしたから、最期は「力尽きたので休ませてください~」という感じでした。そんなふうに映像が途切れるように死んでいけたらいいなあとも思うし、最期まで自分らしく生きるためにこそ、機械でも薬でも何でも使って心身の痛みを極力とってほしいと思います。がんや認知症で亡くなるにしても、です。

 こうして、身近な方々が、死ぬまでいかにして生きるかを示してくれています。

 そこで恒例の質問ですが、あなたの周囲で闘病なさっている方で、お手本にしたい方はおられますか(おられましたか)?

 どのようなところを真似たいと思いますか?

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【略歴】

川口 有美子(かわぐち・ゆみこ) 日本ALS協会理事、訪問介護事業所「ケアサポート モモ」代表取締役、NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長

 1995年に母がALSを発症。96年から在宅人工呼吸療法を開始。家族介護の辛酸を()めつくし、一大決心して03年訪問介護事業を開始。介護のアウトソーシングを始めました。翌年にはNPO法人も立ち上げて現在に至っています。自らの体験からALSの家族の選択と葛藤を描いた『逝かない身体』(医学書院)で2010年第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2013年2月立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了。2014年1月博士論文(改稿)「生存の技法 ALSの人工呼吸療法をめぐる葛藤」で河上肇賞奨励賞受賞。

 座右の銘は「信じる者は救われる」。趣味は終末期および人工呼吸器ユーザーで全身麻痺の人の独り暮らしコンサルタント。この人たちが働ける限り働いて燃え尽きるように亡くなっていくのを観戦しつつ、都会の片隅でワインと3匹の猫と暮らしています。

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さよなら・その2-2-300-300シャドー

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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