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木之下徹の認知症とともにより良く生きる

yomiDr.記事アーカイブ

「暴力、出たんです」

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 さて、武雄さん、陽子さんのこの対話について、これだけ読むだけで、みなさんにはいろんなことがすでにわかると思います。

 陽子さんはそのつもりではなくても、武雄さんは、カチンときて「バカにするな」と思っている。たぶん、いままでの生活歴からは、陽子さんはきっと、よかれと武雄さんを励ましたのかもしれません。

 両者にうそや作り話はない。精一杯、いまを生き、暮らしています。だから誰が悪いのか、といった議論の末に解決の光はない。

 たしかに、記憶障害が目立つようになり、武雄さん自身も、これからの先行きに不安を感じているはず。周りも「少しでも、進まないように」という思いで、武雄さんに励ましの声をかけたのでしょう。

 家での主導権が移譲する瞬間でもあったのかもしれません。一家の大黒柱の交代劇が裏にあったのかも。

 「俺は認知症なのか」「これからどうなっていくのか」という言葉が、ときどき武雄さんの存在不安の言葉が、頭の中を横切る。

 その最中に、どんな愛情のこもった言葉であっても、心からの励ましであっても、武雄さんを追いつめ絶望の (ふち) に立たせてしまうこともある、と容易に想像できます。

 だからといって、単に陽子さんに対して、「そのことを理解し、言葉のかけ方を考えれば、問題が解決しますよ」と気安く伝えられません。

 家庭の中で、「思わずそういってしまう」というのも、元を正せば、本人の性格、これまでの関係性、世間からの風聞、がそうさせる、ともいえます。トム・キッドウッドというイギリスの研究者が、「パーソン・センタード・ケア」という言葉を広めました。

 日本語訳としてはしばしば「その人中心のケア」と訳されています。しかしどうも、トム・キッドウッドという人の文章やその字面をみると、違うのではないか。本当は「人中心のケア」という訳にしなくてはいけないのではないか、と私は思っています。「person centered」であって「the-person centered」とは書いていない。「その人」の話ではなくて、「人」という視点の話、ということです。「その」がついているのか否か、「the」がついているのか否かでずいぶんと意味が違う、ということは間違いありません。皆さんはどうお考えになりますか。話を戻します。

 その言葉を広げるにあたって、認知症の人がとる言動について次のような公式(a dialectical framework for dementia, p267-282、clinical psychology of aging. Wiley 1998)を示しました。

NISP

manifestation of ementia
認知症と生きる姿
ersonality
パーソナリティー
iography
生活史
ealth status
健康状態 医療のテーマ
eurological mpairment
神経の損傷
ocio sychology
社会心理 ケアのテーマ

です。優れた点のひとつは、「社会心理(Socio Psychology)」という言葉を世に示したことだと思います。世間の風聞がそれに相当すると思います。微視的にいえば、人間関係です。巨視的に言えば、文化です。それが本人の行動を形づくり、一部になっている、というものです。

 今回の「暴力」。微視的に見れば、陽子さんの、なにげない言葉にむかついたんでしょう。しかし、突発的な不幸な出来事にしては、あちらこちらで見聞するほど、この手の話は多い。

 「我々医療、福祉を 生業(なりわい) としているものとして、これは個別の案件です」とか、「その人のパーソナリティー、生活史、健康状態、認知症の状況に依存するもので、陽子さんへの個別の指導によって解決できるはずなのだ」 そういう視点も現にあるし、目の前の問題解決に向けて、私たちは思わず、そう考えてしまいます。でも、そんなふうに片づけてよい感じがしないのです。

 かといって文化を変える、というのは、とてつもない大物を相手にする、ということであります。

 「心からの励ましであっても、武雄さんを容易に追いつめ絶望の淵に立たせてしまう」状況をこうして、このシリーズで多くの方々に読んでいただくことはありがたいことです。陽子さんの悲しみと武雄さんの焦燥をご理解いただく。私にとって大技ですが、文化にとっては、蚊に刺された以下の働きかけでしかありません。しかし、私以外の話で、もっと優れた語り口でかかれたものがあります。そういう視点での語りが増えつつあります。この積み上げによって文化がゆっくりと変化します。

 「自分ごとの認知症」

 自分が認知症になる。そう考えた時に、最大の課題は多くの場合、この「社会心理」の問題。認知症という言葉にまとわりつく、語感。イメージ。それに合わせた周囲の言動が「あるかのように」決まってしまう。

 その結果、武雄さんは焦り、陽子さんは殴られる。その頑強な、認知症に対する「そういう目」に気づくには、いまの問題を当事者間の問題と限定せずに、 俯瞰(ふかん) する必要がある。その問題を取り巻く状況にも目を配る必要がありそうです。

 その高みから臨んでみれば、短期的な問題解決をしたがる医療のくせも見えてくるでしょう。長期に同伴するようなケアのあり方も考えることができるようになると思います。

 私のこのシリーズでも何度も取り上げている話でもありますが、今回は「考え方を支える考え方」を獲得すること、の効能と意味について触れてみました。

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kinohsita

木之下徹(きのした・とおる) のぞみメモリークリニック院長

 東大医学部保健学科卒業。同大学院博士課程中退。山梨医科大卒業。2001年、医療法人社団こだま会「こだまクリニック」(東京都品川区)を開院し認知症の人の在宅医療に15年間携わる。2014年、認知症の人たちがしたいことを手助けし実現させたいと、認知症外来「のぞみメモリ―クリニック」を開院。日本老年精神医学会、日本老年医学会、日本認知症ケア学会、日本糖尿病学会に所属。首都大学大学院客員教授も務める。ブログ「認知症、っていうけど」連載中 http://nozomi-mem.jp/

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