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木之下徹の認知症とともにより良く生きる

介護・シニア

「暴力、出たんです」

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「暴力、出たんです」

イラスト・名取幸美

 ある日の診察室。

 吉田武雄さん(仮名 80歳)「なんだかさ。先生見ると、俺、安心すんだよなあ」

 私「いやあ、お世辞言わないでよ。デブだからでしょ」

 武雄さん「いやあ、そんなんじゃないよ」

 私、「最近、どお。ご飯食べてる? いらいら気分。おちこみ気分。どお」

 武雄さん「調子いいよ。ご飯うまいし。おちこんでもない」

 私「いきてるって、ありがたいね」

 武雄さん「そうだよ、ありがたいよぉ」

 私「ぼくもさあ、吉田さん、会うと、なんだか元気になる」

 武雄さん「おっ、そうかい。いつでもきてやるよ」

 隣に座っている妻の陽子さん(仮名 76歳)、ふいに。

 「先生に、いいたいことあるの」

 私は身構え、「はい」というと、

 陽子さん「ついに、暴力出たんです」

 私「えっ」

 ここからは、よくある診察風景。数人の人々の話を混ぜて、続きを書きます。

 その隣に座っている長男、雄一さん(仮名、50歳)

 「私も、悪いんですけどね。つい余分な一言、言ったら、顔。殴られました」

 私「まあね」

 雄一さん「まあね」

 陽子さん「先生、聞いてください。私はなんにも悪くないんです」

 私「ん」

 陽子さん「本人は薬飲んでんのに、認知症を認めようとしないし。なにも、変なこと、私、言っていないんですよ」

 私「ほー」

 陽子さん「いきなり、殴られたんです」

 私「ほー」

 武雄さん「いや、ちがうんだよ。こいつら、俺のこと、バカにするんだ」

 私「ほー」

 武雄さん「いや、待って。ちゃんと聞いてよぉ。先生。ひどいのは、こいつらなんだよ」

 私「ほー」

 陽子さん「いや、私はアゴの部分です。殴られたの」

 私「ほー」

 武雄さん「いやこいつら、俺のこと、本当にバカにするんだ。あったま、くんだよ。そんな、強く殴ってなんかないよ。さっとやっただけなんだよ」

 私「ほー」

 陽子さん「先生、聞いて。でね、私、この人に感謝している。この人は、若いころから、本当にたくさん、仕事して、私たちを養って、しかもたくさん、 贅沢(ぜいたく) させてもらったの」

 私「ほ……」(心のなかで。「ほー」と言い過ぎた。なにかの動物になった感触。しばらく黙っておこう。そう決めた)

 陽子さん「ちゃんと感謝してるんです。でも、殴られたんです」

 私「……」

 武雄さん「いやあ、こいつら、感謝がないんだよ。俺がどんだけ苦労したのか。わかっていないんだよ」

 陽子さん「いや、私は感謝していますよ。先生、この人、いままで、こんなこと言ったことはないんです……」

 雄一さん「まあね」

 私「まあね」

 形を変えて、そういう相談が多い。そのためにこのシリーズでも、しばしば取り上げてきました。仲裁に入って、関係性の調整をしてほしい。そういう強い気持ちが、殴った側、殴られた側から、伝わってきます。

 極端な場合、

 「自分は全く悪くないから、自分だけの願いを通してくれ」。そういう強い気持ちを持つ人もいます。

 それ以前に、そもそも受診なんかせずに、「こんな人間だったら、もういらない」と縁を切る夫婦、親子もいるかもしれません。

 見殺しにはできない、と縁を切るのをとどまる人もいるかもしれません。医療機関に来て仲裁を願うというだけでも、もっとも深刻な危機的状況よりはよいのかもしれません。深刻な危機的な状況なら、そんな相談や愚痴をこぼすことすらしないで、思ったことを実行してしまうのが普通でしょうから。

 かつて、「周辺症状」「陽性症状」「BPSD」「不穏興奮暴言暴力」とくくってしまって我々医療サイドが思考停止になっていたのかもしれません。医療サイドから世間に「認知症について」を発信してきましたから。

 認知症医療の現場において、かつては、 縷々(るる) 説明できるのは、本人を連れてくる家族でした。本人はたとえ同席しても蚊帳の外。なにも言わず目を落とし、じっとしている。場合によっては、診察室には家族だけがいる。そこで、処方薬が決められる。他の診療科目であれば、違和感満載。ありえない姿です。しかしかつての認知症医療においては、当の家族や医療スタッフにとっては、それが自然な姿。そういう具体的な形に落とし込む、目に見えない圧力のことを「文化」といいます。

 時代は変わりつつあります。認知症医療においても、医療における主役がゆるやかに変わりつつあります。その主役は本人。そういう風景がちらほら。糖尿病診療であろうが、がんの診療であろうが、主役は本人。といっても「本人が述べる希望や批判がすべて正しい」とするような「本人至上主義」ではありません。

 逆に、「守るべきは介護の主役であるのは家族や介護者」といった視点における「家族至上主義」という話でもありません。他の診療と同じく、原則として「医療とは本人に対するもの」という当たり前の枠組みに認知症医療も移行しつつある、という話をしています。

 本人と家族が意見対立した場合、やみくもに本人の肩を持つことを「本人至上主義」、家族側の肩を持つことを「家族至上主義」とします。至上主義としてくくられるような固定化した視点では、今回の陽子さんと武雄さんに対する解は単純化でき、医師はかなり楽に対処できるはずです。家族至上主義であれば、要は武雄さんに抗精神病薬を投薬して、おとなしくなれば、それで解決。そういうスタンスをとることを自然なこととします。本人至上主義であれば、「本人が言っていることはそのとおりだ」として、そのまま家族に耐えてもらうことを自然なこととします。

 かつて、連れてきた本人とは対話せず、家族がその状況を縷々話す姿。それが普通でした。本人からの反論はない。問題を解決するのに、単純な道筋で見通しも良かった。

 しかし、いま状況を縷々話すのは、家族だけではなく本人もなのです。当たり前なのですが。早期発見技術の進展の結果です。自覚して間もない段階での診断が可能になりつつあります。そういう情報が世の中を駆け巡り始めたからです。そのおかげで認知症に対する捉え方にも変化が生じてきました。認知症を抱え暮らす人々の意見を、メディアを通じ見聞きします。「自分ごととしての認知症」という見方も、そういった変化に乗じ、生まれてきたものです。

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kinohsita

木之下徹(きのした・とおる) のぞみメモリークリニック院長

 東大医学部保健学科卒業。同大学院博士課程中退。山梨医科大卒業。2001年、医療法人社団こだま会「こだまクリニック」(東京都品川区)を開院し認知症の人の在宅医療に15年間携わる。2014年、認知症の人たちがしたいことを手助けし実現させたいと、認知症外来「のぞみメモリ―クリニック」を開院。日本老年精神医学会、日本老年医学会、日本認知症ケア学会、日本糖尿病学会に所属。首都大学大学院客員教授も務める。ブログ「認知症、っていうけど」連載中 http://nozomi-mem.jp/

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2件 のコメント

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認知症の語感

さるすべり

『認知症という言葉にまとわりつく、語感。イメージ。それに合わせた周囲の言動が「あるかのように」決まってしまう』と書かれていますが、 どういった語...

『認知症という言葉にまとわりつく、語感。イメージ。それに合わせた周囲の言動が「あるかのように」決まってしまう』と書かれていますが、
どういった語感、イメージなのか、というと、
ソフト版は、
物忘れが頻繁、記憶力が衰える、新しいことが覚えられない、理解力低下、家電の操作ができなくなる、進行すると、直前に食事したことや家族の顔もわからなくなる(かもしれない)、など。
ダメージ版は、
夜間徘徊、怒鳴る、叫ぶ、物を壊す・殴る・噛みつくなどの暴行・暴力、食物とそうでないものの区別がつかない、失禁、汚物をもてあそぶ、など。
この、ダメージ版のイメージばかりが先行して(というより、意図的宣伝があるのかも)、ダメージ版のような酷い症状になっては困るから「早期発見早期(服薬)治療」を推奨してきて、医療信仰医者信仰クスリ信仰の強い一般市民が認知症外来を受診するようになった。
その結果として現状は、クスリの副作用による暴行・暴力を、「病気が進行した」と言い訳する、あるいは勘違いした医者がまた他のクスリ、この場合は鎮静剤を飲ませ、今度は能面のような無表情になり無動・拘縮、また反対作用の賦活剤を飲ませ・・・という、薬の副作用による「病状創設」をやっているのが『現在の大半の』認知症治療だと、私は思います。(木之下先生のことではありません。あしからず。)

今回の木之下先生の記事内の武雄さんは、ダメージ版のイメージによって、認知症と診断された自分を悲観し今後を絶望して落ち込んでいるのだと思います。
武雄さんが認知症外来を受診せずにいたらどうなったでしょうか。
どんどんあっという間に病状が進行してダメージ版のイメージのような「症状」を呈するようになったのでしょうか? 
「あなたは認知症です」という診断は、放置すればその人が必ずダメージ版のような症状を呈するようになる、という宣告なのでしょうか?

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暴力っていうけれど

さるすべり

「暴力」と一言でくくるわけですけど、いろんな家族があるので、夫が妻を「ひっぱたく」のがそれほど珍しくない家族もあります。老夫婦の場合には夫唱婦随...

「暴力」と一言でくくるわけですけど、いろんな家族があるので、夫が妻を「ひっぱたく」のがそれほど珍しくない家族もあります。老夫婦の場合には夫唱婦随、夫が苦労して外で稼いできたカネで妻子を食わせてやっているから、夫は家の中では専制君主、妻や子供は家父長の顔色をうかがいながら生活、専制君主のご機嫌を損ねた妻子がひっぱたかれるのは日常茶飯事、なのが日本の古い「家族」でした。現在も、そのような家族は、悲しいことながら、まだ、あります。また、身体的な暴力はふるわないが、精神的にネチネチと妻や子を虐めてストレス解消をしている夫も、結構多いようです。
外面と内面、そとづらとうちづら、という意味で、仕事関係ではそとづらで紳士的な男性でも、「家族」にはうちづら、自由気まま、言いたい放題、わがまま放題、家族を支配する、その代わり、たくさんカネを稼いで家族を養ってやる、家族は養ってもらっているから「感謝」してもっとおカネを運んできてくれるようにご機嫌をとる、こういった家族の在り方そのものが、退職後の高齢期が長ければ長いほど問題として表面化してきます。

現役時代は、おカネを稼げることが不変の「価値ある存在」だったわけです。けれども、年をとると、あるいは若くても心身に異常をきたして「誰かの援助を受けずに生活できない状態」になると、おカネを稼ぐどころか一人では日常生活できないわけですから、本人が、自分の存在価値が無いように感じるのも当然なわけで、そこに、「認知症宣告のダメージパンチ」を食らうと、余計に感情は荒れます。

家庭内の役割分担、支配・被支配という人間関係は、ひとたびそのバランスが崩れた時、メンテナンスは困難なことが多いです。認知症問題は、家族の在り方の問題でもあります。

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