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安楽死? 鎮静死? あなたはどう「生ききりたい」ですか?

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テーマ:安らかな死とは何か?~取り切れない死の苦痛への対処法

 私が通っていた幼稚園はキリスト教の教えをベースにしていました。土曜日の朝に礼拝があり、毎回、先生が数分程度の話をしていました。今でも私の記憶に残っている話がひとつあります。それは……。

  人が生まれたときに、神様は 蝋燭(ろうそく) に火をともします。

  蝋燭には、太くて短いものや細くて長いもの、太くて長いものもあります。

  どれ一つとして同じものはありません。みな、1本1本違います。

  この蝋燭の火が消えるときが、神に召される日です。

 私は無宗教ですが、この話はとても印象に残っていて、自分が治療のために入院している間も、自分や他の患者さんを見て、「ああ、あの話は案外本当かもしれない。自分の蝋燭はどんな形をしているのだろう?」と思ったものです。

安楽死? 鎮静死? あなたはどう「生ききりたい」ですか?

看取りに関してはたくさんのガイドラインや書籍がありますが、私たちも元気なうちから、大切な最期の時間の過ごし方を考えておく必要があります

 安楽死、尊厳死、鎮静死。死の定義には様々なものがありますが、一般的に安楽死は薬物などを使って強制的に「死なせること」、尊厳死は治療を行わないで体力の落ちるまま自然に「死を迎える」こと、そして鎮静死とはどうしても取れない苦痛を除去するために「死を選ぶ鎮静薬を投与して死を迎える」ことを言います。

 先ほどの蝋燭を例にすると、蝋燭の火を自分で「ふっ!」と吹き消すのが「安楽死」、風に吹かれて火が「すーっ」と消えていくのが「尊厳死」、最後の火の光を家族と見つめながら「そっと」消すのが「鎮静死」というようなイメージで私はいます。

 患者さんの亡くなるまでのプロセスを見ていると、自然に自分も「死をどのように迎えるか」を考えます。治療の効果と不利益を 天秤(てんびん) にかけて、治療の「 () めどき」を考えることの大切さ、最期の場所を考えることの大切さ、限られた時間をどう生きるのかを考えることの大切さ。亡くなるまでに考えた方が良い大切なことをいつも仲間から教えられます。

 ずいぶん前に『カレン・アンの永い眠り―世界が見つめた安楽死 』(講談社、1979)という本を読みました。

 カレンさんは、1975年にとあるパーティーに参加をし、精神安定剤とアルコールを服用しました。このことが原因で植物状態になり、人工呼吸器をつけて生きていました。両親は、人工呼吸器を取り外すことを望みましたが、病院はこれを認めず、裁判となりました。最高裁まで争われ、「倫理委員会の判断があれば&取り外しを決定した医師、父親にも民事・刑事の法的責任は一切なし」という条件で家族が勝訴、カレンさんの人工呼吸器は外されました。ところが、その後も彼女は9年間、植物人間の状態で生き続け、事故から10年後に肺炎で亡くなりました。

 家族は人工呼吸器を外したにもかかわらず生き続ける彼女の姿にとまどいます。私も、この本を読んで、家族は死を選んだのにカレンの肉体は生き続けること。それは「死にたくない」という彼女の意志の表れだったのか、単なる身体反応なのか? 

 9年間、ずっと寝たきりの状態でしたから、カレンさんの身体は萎縮していきました。ご家族は娘のそんな姿を見続けることが、どれだけ (つら) かっただろうと思います。そして、カレンさん自身はどのような気持ちだったのだろうと思います。現代医学が進歩する中、この事件も、「死」を考える一つの機会になったはずです。

 私は「死」というものは、こちらから近づくものではなく、「あちら」から近づいてくるものだと思っています。ですから、「安楽死」は自分の考えの中には「ない」です。病気をして、これ以上どうしようも手だてがない。どうしても取れない苦痛が続いて、改善の見込みがないとき。このときは「尊厳死」か「鎮静死」を選ぼうと思っています。

 自分ががんの診断を受けたときに桜井家の3か条を決めました。これは、

1.痛いのと (かゆ) いのは嫌。いざとなったら先に眠るから、そのときはよろしく!

2.葬儀のときに (ひつぎ) の小窓は開けないで。興味本位で死に顔を見られて「眠っているみたい」とか言われるの、すっごく嫌。そんなん言うなら死ぬ前に会いに来てほしい。

3.葬儀は身内だけで簡素に。香典など一切無用。ただし、そうすることで後の接客が大変になるのなら適当にやって。

 2と3は、亡くなった後のことですが、1はいわゆる鎮静死です。

 緩和ケアではどうしても取り切れない苦痛があります。特に呼吸苦は死をイメージさせ、その精神的な苦痛は大きなものです。ですので、もしそのような場面になったときには、私は鎮静死を選択することを決めていますし、その意向を先ほどの3か条にして家族に伝えています。

 なぜ家族に伝えているかといえば、差し迫った状況の中で、家族が治療継続を決めたにしても、 () めたにしても、どちらを選んでも、私が逝った後に「罪悪感」を感じてほしくないからです。こうした所作は、「家族のために、私ができるグリーフケア(悲嘆のケア)」だと思っています。

 葬儀の方法や葬儀で流す音楽など、死んだ後、つまり「終活」の議論はしても、一番大切な「死ぬまでの時間の過ごし方」を考えていることは少ないのではないでしょうか? でも大切なのは、死んだ後より死に方です。

 本当は、犬や猫のように自然にその日がきてそのままパタンと亡くなるのが一番だと思いますが、なかなかそうもいかない。人は生きるのも大変ですが、死ぬのも大変なのが現実です。

 皆さんはどんな死に方を選びますか?

■参考:日本緩和医療学会「 苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン(2010年) 」を

桜井写真_400

【略歴】

 桜井なおみ(さくらい・なおみ) キャンサー・ソリューションズ株式会社代表取締役社長

 1967年、東京都生まれ。乳幼児期は公民権運動真っ盛りのアメリカで成長。大学で都市計画を学んだ後、再開発などの都市計画事業や環境学習などに従事。2004年夏、30代でがんの診断を受けた後は自らの病気体験や社会経験を生かした働く世代のがん患者・家族の支援活動を開始、現在に至る。社会福祉士、技術士、産業カウンセラー。編著書に『がんと一緒に働こう』『がん経験者のための就活ブック』(ともに合同出版)などがある。

 趣味はおもちゃ集めとランニング、音楽。ランニングは1か月150キロを走る。グラムロックやハードロックをこよなく愛し、いつの日かフレディ・マーキュリーのお墓参りをする計画。外交的に見えて実は内向的という典型的な水瓶みずがめ座。

 旦那と愛犬(名:爺次じいじ)、愛亀(名:平次)と暮らしています。

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1件 のコメント

同感です

花火のママ

死のイメージはまさに私が抱いているものと同じです。両親ともに尊厳死を選びました。事前に書面で伝えておいてくれたので迷うことはなかったけど、どんど...

死のイメージはまさに私が抱いているものと同じです。両親ともに尊厳死を選びました。事前に書面で伝えておいてくれたので迷うことはなかったけど、どんどん衰弱して行く姿を見守るのも辛かったです。ただ痛みを感じることなく最期を迎えることができたのはほっとしました。
私自身は桜井さんと同じで痛みだけはとってほしいので、尊厳死または鎮静死を選択します。家族にはすでに伝えてありますし、医療に関する遺言も作成済み。死は誰にでも平等に訪れます。どう死にたいかはどう生きたいか。とかく死について語ることをタブーとする風潮がありますが、死生観を持つことは大事だと考えています。

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