QOD 生と死を問う 第4部
連載
[QOD 生と死を問う]死を語る(下)延命治療「辞退」を宣言 樋口恵子さん
家族に委ねないで
高齢者が病院に運び込まれた時、延命治療を行うべきか。本人の考えがわからず、家族が難しい判断を迫られることも多い。84歳の評論家、樋口恵子さんは、周囲に「延命治療は辞退します」と宣言した。(聞き手・滝沢康弘)
自身は延命治療を受けたくないと思っていても、親の最期が近い時に「やめてほしい」と言えるか。自信のない息子・娘が多いそうです。本人の意思がはっきりしていないと、身近な人が困ります。周囲に「冷たい人だ」と思われたくなくて、延命治療を頼んでしまう場合もある。我々ばあさん、じいさんは、今の時点の意思でいいから、しっかりと文章で書き、配偶者や子ども全員に伝えておく必要があるのではないでしょうか。
私は名刺の余白に「回復不可能、意識不明の場合、苦痛除去を除いては延命治療は辞退いたします」と書き込み、日付を入れ、サイン、押印をして後期高齢者医療被保険者証と一緒に携帯しています。医療機関の人は、まず保険証を探しますからね。講演会でご一緒した高名な医師に見せたら、「完璧です」と。延命するだけの治療を断るには、この程度でもいいそうです。
名刺は2年ほどで汚くなるので、日付を変えて書き直します。今のが3枚目かな。娘にも渡してあり、「約束は守るよ」と言ってくれています。
■家族と話して
死は誰にでも必ず訪れるというのは百も承知。ですが、自分が死ぬのは怖いし、やっぱり嫌。せめて、安らかに死にたい。私は、安らかな死の対極にあるのが延命治療だと思ったのです。
でも、延命治療を否定するわけではありません。
67歳の時に、つれあいを
ジャーナリストで、「プロダクティブ(生産的)でなくなったら生きていたくない」が口癖でしたから、もし「殺してくれ」なんて言われたら困っていたと思う。でも、大学の教え子が見舞いに来ると微笑を浮かべ、満足そうにしていました。生きているのが嫌そうな顔は見せなかった。存在そのものが「生きることはいいことだ」と言っていたように思うんです。
だから、「無理な延命治療はしてほしくない」でも、「ぎりぎりまでやってほしい」でもいい。家族に「私が最期の時は……」と話してあげてほしいのです。心配なら「後で撤回するかもしれないけれど、何も言わずにその時が来たら、これが私の意思だよ」と言い添えればいいんです。気が変わったら書き換えて、改めて家族に話す。
■自分のデス
彼の死から十数年、私自身いつ死んでもおかしくない年齢になりました。死が近づけば延命治療への考えも変わるかと思いましたが、今のところ変わりません。日本には、「私一人の命ではないから家族に任せる」という人も多いようです。でも、私は命を誰かに預けるのは嫌。死について自分で決めるのは怖いけれど、任される家族は気の毒です。誰かに委ねる「おまかせデス(death=死)」ではなくて、「自分のデス」を考えていきましょうよ。
◇ひぐち・けいこ 評論家、東京家政大女性未来研究所長、NPO法人「高齢社会をよくする女性の会」理事長。1932年、東京都生まれ。編著に「自分で決める 人生の終(しま)い方―最期の医療と制度の活用―」
もしもの話難しく…「家族と詳しく話した」4%
厚生労働省が2013年に行った調査によると、自分で判断できなくなった場合に備え、どのような治療を受けたいか・受けたくないかなどを書面にしておくことに「賛成」と回答した人が、60歳以上では64%に上った。ただ、そう回答した人のうち実際に書面を作成しているのは、わずか6%しかいない。
60歳以上で、受けたい医療・受けたくない医療について「家族と詳しく話し合っている」とした人は4%。「まったく話し合ったことがない」と答えた人が44%いた。「もしもの時」に備えた話をするのは、容易ではないことがわかる。
◎QOD=Quality of Death(Dying) 「死の質」の意味。
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