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「最期は苦しみますか?」 全ての苦痛は緩和できるか(上)

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テーマ:「安らかな死とは何か?~取り切れない死の苦痛への対処法」

 私がかつてホスピスで働いていたときも、今在宅医療に従事してからも、いつも患者さんやそのご家族から繰り返し尋ねられることがあります。それは、「最期は苦しみますか?」という問いです。特にがんの患者さんからはよく聞かれます。私が診察する患者さんの多くは、死ぬ間際に苦しむのかということがとても気がかりなのです。

 そんなとき、私はいつもこう答えています。

 「ほとんどの人は苦しみません。もしあなたが苦しんだときは必ず何か治療を(方法を)探します」。この言葉は気休めではなく、自分なりの経験とそして医学のエビデンス(研究から分かった事実)が含まれているのです。

 以前、緩和ケアの 先達せんだつ のある方の講演で、「人は苦痛なく死ぬ力を持っている」という至言を聞きました。確かにほとんどの方は苦しまないのですが、「亡くなる直前、全ての人に苦しみはありません」というのは間違いです。残念ながら、あらゆる緩和ケアの技術を総動員しても、全ての苦痛が緩和されるわけではありません。しかし、適切な緩和ケアが実践されれば、70~80%の患者さんは苦しまずに最期の時を迎えることができます。

 この70~80%というのはどういう根拠から導かれたかというと、多くの研究の集計で「終末期の苦痛を緩和するための鎮静(以下、鎮静と書きます)」が施された患者の割合が、34.4%(14.6~66.7%)であることが 報告 されているのです。ところで、皆さんはこの「終末期に苦痛を緩和するための鎮静」という治療についてはご存じでしょうか。

 「鎮静」とは、がんの患者さんが亡くなるおおよそ1週間以内に、あらゆる緩和ケア、治療をしても、苦痛が緩和されないとき、鎮静薬(睡眠薬)を使って眠ることで、苦痛がない状態にする方法です。そして、鎮静薬は亡くなるまで使い続けることがほとんどです。亡くなる前に、治療できない苦痛があるとき、薬で眠ったまま死を迎える治療と考えてもよいです。

 鎮静薬というのは、メスを使った手術のときに使う麻酔薬とは違います。例えば、救命のためにしばらく人工呼吸をするとき、胃カメラ(内視鏡)、大腸カメラの検査をするときに使われている薬です。皆さんも「眠っている間に胃カメラの検査を受けたが、苦しくなかった」という話を聞いたことがある、もしくは自分でも体験したことがあるのではないでしょうか。そのようなときに使われる薬と同じ薬を使って、最期の苦しみに最終手段として行われているのが、「鎮静」です。

 よく患者さんから、「最期に苦しんだらモルヒネを注射して楽にしてください」と頼まれることがあります。しかし、鎮静に使う薬は痛み止めであるモルヒネではありません。モルヒネでは痛み以外の苦痛はそれほど取れないので、最期の苦しみを取るには不向きです。

 一番最近の国内の研究では、ホスピス、一般病院、そして私のように在宅医療の現場でも、がん患者さんの15%がこの「鎮静」を受けていることが 分かっています 。緩和ケアの進歩により、徐々に「鎮静」を受ける患者さんは減っていますが、それでもやはり苦しみながら最期の時を過ごしている患者さんは現実に存在するのです。

 私が所属している日本緩和医療学会(緩和ケアの専門家が集まる学会)では、この「鎮静」に関するガイドラインをすでに2004年に作成しました。さらに2010年に改訂され広く 公開されています 。公開から13年も った現在、多くの病院で日常行われているにもかかわらず、多くの人たちはこの事実を知らないことを私も感じていました。さらに、私のようにホスピスで働き、緩和ケアの教育を受けた医師以外は、「鎮静」の正しい手順が身に付いているとは言えないことも感じていました。

鎮静をした患者さんのこと

 ここで皆さんにも鎮静の治療がどういうものかを分かっていただくために、私が実際に鎮静の治療を行った患者さんで、最期まで自宅で過ごした岸純司さんのことについて書きます。私にとって決して忘れることができない時間を共にした患者さんです。

「最期は苦しみますか?」 全ての苦痛は緩和できるか(前)

亡くなる1か月前に宮古島に旅行をした岸さん。旅行が大好きだった

 岸さんは、私よりも年下の、40代前半の若い方でした。背骨と肺にがんが広がり、初めて外来で診察したときは、息切れとそして腰と右足の痛みがかなり強く、歩くこともままならなくなっていました。まず医療用麻薬を調整し、その2日後に、自宅で診察することにしました。度々外来に通院するのはもうできないと思ったからです。最初の診察の時も、痛みをしのぐために立ったり座ったりしていました。それでも30分近く診察し、今までの闘病のこと、今の症状の苦しさのこと、これからどう過ごしていきたいかを話し合うことができました。岸さんは、「今日はじっくりと話をすることができて本当に良かった」と言い、診察室を後にしました。

 自宅に伺うと、2日前の治療があまりうまくいっておらず、痛みがさらに強くなっていました。ベッドから動けなくなっており、「いつまでこんな痛みに耐えていかなくてはならないのでしょうか」と話していました。傍らのベッドには、病気療養中の岸さんのお母さんが横になっており、病弱な体をおして看病にあたっていました。経験的にも、岸さんの痛みを取ることは難しそうだと思い、緩和ケアの専門の病院へ入院したらどうかと提案しました。しかし、「僕は先生に診てもらいたい。こうして家で治療を受けたい。もう長くないのも分かっています。最期の日々はここで(自宅で)過ごしたいのです」とはっきりとした意思表示がありました。

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旅仲間と記念撮影

 それからは、ほぼ毎日のように岸さんの自宅に往診しました。麻薬の痛み止め(飲み薬)を調整し、また息苦しさには、家に酸素濃縮器を設置し、酸素吸入ができるようにしました。それでも日々病状は悪化していきました。お母さんだけでは、手が足りないため、別に暮らしていた岸さんの妹さんも看病に加わりました。もしも入院したら受けられるであろう治療と同等、もしくはそれ以上の、できる限り質の高い治療ができるよう、私も必要な薬や道具を持って何度も往診に通いました。

 ある日のこと、岸さんは私にはっきりこう言いました。「先生、これだけ苦しいともう耐えられません。最期は鎮静して眠ったまま死にたいと思います」と。さらに、「先生のことはネットで読みました。緩和ケアが専門であること、どんな苦しみにもきちんと対処してくれること、そして鎮静をしていることも知っています」と続きました。亡くなる7日前のことでした。

 患者さん本人から、緩和ケアの現場で行われている鎮静を頼まれることは今までほとんどと言ってよいほどありません。というのも、「がんの終末期に、あらゆる手段を講じても苦痛が取り切れない時は、鎮静を行っている」ことは、一般の人たちにはあまり知られていないからです。そして、岸さんのように、手元のスマートフォンやコンピューターでインターネットを検索し、自分に必要な情報を得る患者さんは、それほど多くはありません。私は自分の著書やブログ上で、鎮静については繰り返し書き、自分の意見を発表してきました。しかし、私が書いた内容について直接患者さんから話をされたのはこの時が初めてでした。

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1件 のコメント

最後は苦しみますか

木村重男

自分の死を素直に受け入れ、自分を見てくれる医者を信頼し、家族みんなから永遠の愛情を受けながら自分で死期を選んだ岸さんに一寸の迷いも無く、その本人...

自分の死を素直に受け入れ、自分を見てくれる医者を信頼し、家族みんなから永遠の愛情を受けながら自分で死期を選んだ岸さんに一寸の迷いも無く、その本人の崇高なる願いを医師と、家族が静かに、しかも一寸の狂いも無く最期終えてくれましたことに深く感動しました。何かしら昔の侍が身の潔白を晴らす為の切腹よりもはるかに日本人らしい魂の一端を見たように思うのは私だけでしょうか?
何時でも、誰にでもある死について我々は日々思慮する必要があるのでは。
新城先生ありがとうございました。

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