がん患者や高齢者を在宅で診る立場から 新城拓也
さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~
「最期は苦しみますか?」 全ての苦痛は緩和できるか(上)
私は岸さんの言葉にとても戸惑いました。岸さんの、痛みに耐えながらも丁寧な口調で、「自分はこういう治療を受けて、こう死んでいきたい」という言葉を、受け止めきれるか、受け止めきってよいのか、私は自問自答しました。岸さんは治療を選択すると同時に、「死に方」を選択し、私に助けを求めていました。
私は普段は一人で診察しているのですが、岸さんと二人きりで「鎮静」を決めてしまっては危険と思い、緩和ケアの経験が豊かな訪問看護師に相談し、さっそく翌日一緒に家に来てもらいました。そして、ベッドに横になる岸さんとそのご家族(お母さんと妹)、私と看護師の5人全員で、もう一度鎮静に関しての話し合いの場を持ちました。もう生きていられる時間がわずかであること、痛みと息苦しさが治療をしても取り切れないことを私は話しました。その場でも岸さんは、「最期は鎮静して亡くなりたい。苦しんだままで死にたくない、前から苦しみが取れなければそうしようと思っていた」と話し、ご家族に向かって、「みんなも賛成してくれ」と言いました。
岸さんのお母さんは、「この子の言うとおりにしてあげてください。先生、お願いします」と話されました。妹さんは迷っている様子でしたが、「こんなに苦しんだまま、この先過ごすのはあんまりです。何とか苦しまないようにしてください」と言われました。私は、「では、今から眠れるようにしましょうか」と岸さんに聞いたところ、岸さんは「今日の夕方までにみんなと最後のお別れをしようと思います」と答えました。
その夜もう一度、私は岸さんの家に向かい、そして、「今から鎮静薬を使います」と話しました。岸さんは、お母さん、妹さん、妹さんの娘さん方と最後の別れの言葉を交わしました。「今まで、ありがとう。先に逝くこと許してほしい」と言いました。そして私にも、「最後に先生に診てもらって良かった。先生もお体を大切にしてください」と別れの 挨拶 をしてくださいました。岸さんは、「眠ったらどのくらいで死にますか?」と私に尋ねました。私は、「経験的に、このように最期の苦しみを鎮静で治療した時は、3~4日で亡くなることがほとんどです」と答えました。
その後、一晩かけてゆっくりと眠れるように鎮静薬を調節しました。なかなか眠れなかったため、最初の夜はまだ苦しかったと思いますが、徐々に眠れるよう、鎮静薬で呼吸が止まってしまうことがないよう、細心の注意を払って治療を続けました。いくら余命が短いとはいえ、鎮静薬を使ってから数時間から半日程度の短い時間で亡くなってしまっては、残される家族の後悔は当然大きくなります。鎮静は患者さんの苦痛がなくなることが一番大切ですが、患者さんが亡くなってからもずっと生きていくご家族が、自分たちも一緒に決めた鎮静で、「患者さんの死に加担してしまった」という後悔を残さないことも、とても大切なことなのです。「あのとき、鎮静に同意しなければ、もっと生きていられたのではないか」と思い続けているご家族もいることを私は知っているからです。
そして、翌朝診察に行くと、岸さんは眠ってはいましたが、揺り動かすと目を覚まし話すこともできる状態でした。ご家族によると、目を覚まし「まだ俺は死んでないのか」と話し、水を飲み、しばらく話をしていたそうです。それでもしばらくするとまた眠りに入り、その表情には苦痛はうかがえませんでした。鎮静を始めてからは、私も看護師も薬剤師も頻繁に家を訪問し、日に2回以上は誰かが様子を見に行くようにしました。
そして、別れの挨拶をし、鎮静を始めてから3日後に岸さんは息を引き取りました。ちょうど、薬剤師が必要な薬を家族に渡すために、家に訪問している時でした。息を引き取ったという連絡を薬剤師から受け、私もすぐに駆けつけました。同じく駆けつけた訪問看護師の手引きで、お母さんと妹さんに協力してもらいながら、亡くなってからの最後のケアをしました。それは、身体を拭き清め、在りし日の姿に近づけるケアです(エンゼルケアと呼ばれています)。ご家族が希望した、岸さんが仕事をしていたときのスーツを着せて、私は最後にネクタイを締めました。
鎮静をすることによって、岸さんがそれまでの強い痛みから解放されて過ごせたことに、私は 安堵 しながらも、どうしてこのような強い痛みを味わわなくてはならなかったのかと、答えのない問いが浮かびました。そして、自分が関わる全ての患者さんが、鎮静しなくては治まらないほどの苦しみに襲われないためにはどうしたらよいのか、自分自身が提供している治療をさらによりよいものにするにはどうすればよいのか、考え続けています。
私が岸さんの話を匿名で発表してもいいかとご家族にお尋ねしたところ、ご家族は私や他の医療者にこう話しました。岸純司さんが最期の時をどう過ごしたのか、世界中にいる彼の知人を含めて、多くの人に知ってほしい。家族として、彼が自分で治療、生き方、死に方を選択したことを誇りに思っていると。また、この記事で、本名と顔の写った写真も公開してよいと承諾されました。早まった判断にならないよう、日を空けて改めて話し合いましたが、ご家族の決心が変わることはありませんでした。
これは決して作り話などではなく、これを読む皆さんも身近に経験するかもしれないということを知ってほしいと思います。そして岸純司さんがいかに誇り高い方で、私と真っすぐ向き合いながらどう生き抜いたかということ、鎮静により苦痛を最小限にして死を迎えたこと、それら全てを包み隠さず皆さんに伝えたいと思い、関係者と何度も時間をかけて話し合った結果、ありのままの事実を書く決心をしました。
(続く)
◇
【略歴】
新城拓也(しんじょう・たくや) しんじょう医院院長
1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。日本緩和医療学会理事、同学会誌編集長。共編著に『エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』『続・エビデンスで解決!緩和医療ケースファイル』(ともに南江堂)、『3ステップ実践緩和ケア』(青海社)、単著に『患者から「早く死なせてほしい」と言われたらどうしますか?―本当に聞きたかった緩和ケアの講義』(金原出版)など著書多数。
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自分の死を素直に受け入れ、自分を見てくれる医者を信頼し、家族みんなから永遠の愛情を受けながら自分で死期を選んだ岸さんに一寸の迷いも無く、その本人の崇高なる願いを医師と、家族が静かに、しかも一寸の狂いも無く最期終えてくれましたことに深く感動しました。何かしら昔の侍が身の潔白を晴らす為の切腹よりもはるかに日本人らしい魂の一端を見たように思うのは私だけでしょうか?
何時でも、誰にでもある死について我々は日々思慮する必要があるのでは。
新城先生ありがとうございました。
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