筋ジストロフィーの詩人 岩崎航の航海日誌
yomiDr.記事アーカイブ
理不尽に対して、黙って泣き寝入りはしません
わが身に置き換えて考えれば
区の担当者からの話を聞く限り、市は人工呼吸器を使用する障害者の生活を理解していない、と思わざるを得ません。
在宅で安全に人工呼吸器を使いながら生きるのに必要なのは、たん吸引だけではないのです。呼吸器と鼻マスクを 繋 ぐ、空気が行き来する回路(管)も、日常の生活動作の中で外れたり、傷ついて空気が漏れたり、呼気弁の不具合が生じることもあります。そのため、トラブルが起こった時に、命を守るための緊急対応ができる体制をつくっておくこと、 側 にいてすぐに対応できる介護者がいることが前提となります。たとえば、呼吸器から警告アラームが鳴れば、それに応じて対処するのは、傍らにいて〝見守り〟を行う介護者です。
私は、1分程度しか自発呼吸が保てません。呼吸器が止まれば直ちに介護者が手で押して空気を送り込む「アンビューバッグ」で呼吸を確保しつつ、主治医に連絡をとる必要があります。ヘルパーがいない時間に呼吸器トラブルが起こった場合、1分でヘルパーが駆けつけることは不可能です。救急車を呼んだとしても間に合いません。それ以前に、呼吸器が正常に使えていなければ、私は人と話すことはできません。息をするのに精一杯で助けを呼べる状態ではなくなるからです。
自分で身動きができないため、呼吸器 周 りのマスクや回路の調整、 胃瘻 からの空気出し、体位の変換と調整は必要な介護です。これらの介護は、その日の体調や生活行動の内容によっても、時間と頻度が変わりますので、その日の何時何分に必要になるかを予測はできません。尿意や便意と同じでコントロールはできません。だからこそ、重度訪問介護によるヘルパーの「必要な時は随時、常駐で即応体制がとれる〝見守り〟を含めた終日の介助」を求めているのです。
今も夜、介助の必要がある時に年老いた両親を呼びます。何度も呼んだ後は、両親は体調が思わしくなくなります。起きて介助した後、眠られずそのまま起きていることも、疲れきって2人とも眠り込み、呼んでも起きて来られないことも度々です。コールをしても来られないということは、介助者がいない時間があるというのと同じです。
誰も側に介助者がいない時、呼吸器トラブルが起こったら即、死につながる。極めて危険な状況下で生きることを市民に強いるのはあってはならないことです。こうした状況が、難病の困難でただでさえギリギリを生きている人に、どれほど大きな不安と恐怖を生じさせるか。生きていく気力を奪ってしまうか。日常的に命の危険を感じるストレスが身心の健康に悪い影響を与えることは明らかです。障害者福祉を担う行政の皆さんは、ご自身の身に置き換えて考えていただきたいと思います。
市は「~が起こるかもしれない」次元では、重度訪問介護における〝見守り〟を認めないとしていますが、人の命と健康に関わるすべての安全対策は、事故やトラブルが起こるかもしれない段階でそれを未然に防ぐために行われるのではないでしょうか。
「たん吸引さえできていれば安全だ」「たん吸引の頻度が少ないから介護の必要度が低い」と思われているのだとしたら、それは不勉強です。気管切開をしてもしていなくても、常に人工呼吸器を付けながら全介助を要する人には、ヘルパーの常駐による見守りを含めた介護が、命と健康・生活の維持に必要なのです。行政で障害のある市民の命と暮らしを守るという重要な仕事を任せられている人の責務として、これら医療的ケアについての基礎的なレベルの知見は身につけてほしいと思います。
目の前にいる障害者を見て



前掲した仙台市の文書を読んで驚かない人は少ないでしょう。こうした取り扱いが10年間もまかり通っていることに私は強い憤りを感じます。テレビも音響機器も、パソコンも生活の中でありふれた家電です。生活の中でこれらを操作する介助を得ることが、行き過ぎたものだとするのは、人間の暮らしを踏みにじる対応です。
当局の皆さんは、個人としての生活の中でテレビもビデオも音楽プレーヤーもパソコンも使われていると思いますが、特別の 贅沢 をしていると感じてはいないでしょう。
障害者にとってパソコンを使うということの重要性は大きいものです。私に即して言えば、パソコンは表現活動の手足となるものであり、不自由な体の機能を補う大切な道具です。行政も障害者がIT活用で就労を含めた社会参加の道を開く支援を行ってきているのに、一方でパソコンの準備や片付けをヘルパーにさせないとするのはおかしなことです。すでに決められている運用だから仕方ないとして思考を止めるのではなく、ご自身に置き換えて少しでも想像力を働かせたら、この運用を速やかになくす判断ができると思います。
12月中旬に、厚生労働省にこの文書に示された仙台市の考え方について問い合わせました。
その回答は「仙台市が示している〝見守り〟の考え方は、厚生労働省が想定しているものよりも狭い。〝家電操作介助〟についても、生命維持・健康維持に関するものに限定はしておらず、重度訪問介護での家電操作は可能である」「支給を考えるにあたっては、個別の身体状況・生活状況に着目し、また身体機能だけでなく、不安や恐怖などの感情も考慮してほしい」と仙台市障害者支援課に対して、その見解を示しての助言という形で伝えてくれました。
本来、自治体の障害者支援を行う基準は誰のためにあるのでしょうか。
それは障害を持って生きる市民のためにあるのです。
個別具体的に判断し、必要な人に必要な介護支給を行いやすくする。国が自治体に一定の裁量権を委ねているのもそのためです。
いつのまにか本末転倒して、目の前にいる障害者よりも、運用基準のほうを見て仕事するようになっているのではないでしょうか。
一人 一人が
どこを向いて
いるのかが
はっきりあらわに
なるときがある
旗幟 とは
所属でも立場でもない
人間としての旗幟
ただ一本
ひるがえす旗のことである
写真:冨田大介
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読者の皆さんに情報提供のご協力をお願いしたいと思います。
ご自身、もしくは家族や知り合いに、公的な介護制度で終日24時間ヘルパー介助を得て生活している方はいらっしゃいませんか? 独居の方でも、家族と同居の方でもかまいません。担当編集者(岩永)のメールアドレス( e-yomidr@yomiuri.com )か、コメント欄に、実現するに至った経過を教えてください。障害の状態とお住まいの自治体名も、差し支えない範囲で記していただけるとありがたいです。よろしくお願いします。
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すべての人に安心して生活できる環境を考えたいです。
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