文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[中島京子さん]父の認知症を早期発見

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

思い出作る時間できた

 作家の中島京子さん(52)は、2013年に父親を86歳で亡くしました。認知症の父と、2人暮らしの母親(84)を支えながらの生活は10年にわたりましたが、「認知症を早期に発見したことで、父の変化を受けとめ、思い出を作る時間が持てました」と振り返ります。

フランス文学者

[中島京子さん]父の認知症を早期発見

「会話が成り立っていないのに何となく通じているようなやり取りができたのは、もともとの父の性格なのか親子だからなのか。面白かったですね」(東京都内で)=秋元和夫撮影

 異変を感じたのは02年頃でした。実家の本棚に、認知症に関する書籍が増えていたのです。父自身、不安を感じ、つらい思いをしていたのでしょう。この頃から「眠れない」と言い食欲も落ち、うつのような状態に。心療内科で抗不安薬を処方されました。

 父はフランス文学者でした。長年勤めた大学を1998年に70歳で退職し、定年後は碁を楽しんでいましたが、行きつけの碁会所が閉じてしまった。居場所がなくなるように感じたかもしれません。

 2004年春、東京都内の自宅から電車で30分程度の場所での集まりに、父はたどり着けなかった。自分がどこで何をしているのか、わからなくなってしまったようでした。病院で、初期の認知症と診断されました。

  中島さんは両親を支えるため、実家をしばしば訪れるようになった。中島さんが父の見守りや食事の世話をしている間、母は仮眠を取ったり外出したりできたという。

 私は車で父を目的地まで乗せることが多く、父も私の車に乗るのが好きなようでした。運転中、会話が弾んでいると思ったら「あんたは誰の娘だったっけ」と真顔で言い出し、思わずブレーキを踏みそうになったこともあります。

 それでも、抗不安薬や抗認知症薬が効いたのか、日常生活はほぼ支障なく送れるようになり、姉が暮らすフランスへ旅行もできました。02年頃は不機嫌そうだった父がこの頃には楽しそうで、私たちも穏やかな気持ちで受けとめられるようになりました。父と楽しい思い出を作ることができたのは、認知症に早く気づき、治療を始められたことが大きかったと思います。

デイサービス利用

 08年からはデイサービスの利用を始めました。父が機嫌良く通ってくれたのは、スタッフの皆さんが父を「先生」と呼んでくれたからでしょうか。どこでも「先生」と呼ばれればうれしそうで、子ども相手のような扱いには不快な表情に。介護が必要になっても、その人の生きてきた時間に敬意を払って接することは大切なのだと思ったものです。

 父は12年に自宅で転び、ベッドから転げ落ちたり、幻覚を見たりするようになりました。深夜にトイレの世話をしなければならない母の負担は重く、私もしばしば実家に泊まり込むようになりました。

  この頃、父は要介護4の認定を受け、車いすの利用も始めた。週2回のデイサービスに加え、ヘルパーに週2回来てもらい、訪問の入浴やマッサージも利用。だが、13年に再び転倒した。介護疲れが目立ってきた母、フランスにいる姉と相談し、介護施設に入所を申し込んだ。

 その冬、発熱で入院した父の 大腿骨だいたいこつ 骨折がわかりました。寝たきりになることに備え、介護体制を整えてから退院させたのですが、体調が改善せず1週間後に再入院に。

 酸素マスクをつけ目を閉じているものの耳は聞こえているらしく、姉と一緒に父の短歌やエッセーを朗読したり、ユーモラスな表現に笑ったりして過ごしていました。父に聞かせているつもりでした。ところが付き添いを母と交代して帰ろうとしたら、看護師さんが「今日は帰らないほうがいい」と。「逝ってしまうんだ」と意識させられました。父はそのまま明け方に亡くなりました。穏やかな表情だったと思います。

心和む時も

  中島さんは父との時間をもとに小説を書き、15年に出版した。認知症の症状や介護する家族の大変さを描きつつも、どことなく温かでほほ笑ましい。

 家族や周囲のことをわからなくなるのは悲しいことですし、認知症や介護というと暗いことばかりだと考えがちです。でも、それだけではありません。

 私が父に悲しいことや落ち込んだことを話すと、言葉にはなりませんが、相づちのような返事をしてくれました。理解しているわけではないけれど、そうしたやり取りで「この人は私のお父さんだ」と感じることができました。

 フランス旅行の際、父はセーヌ川を見て大まじめに「荒川だ」と言いました。自分がどこにいるのかわからず、故郷を流れる川だと本気で思ったのでしょう。でも私は、なぜだかわかりませんが、心が和んだものです。

 父と一緒に過ごした時間に、顔がほころんでしまうことは何度もありました。介護には、思わずクスッと笑ってしまうような瞬間もあることを、わかってもらえたらうれしいです。(聞き手・福士由佳子)

  なかじま・きょうこ  1964年、東京都生まれ。雑誌編集者などを経て、2003年にデビュー。10年に「小さいおうち」(文芸春秋)で直木賞、15年「長いお別れ」(同)で中央公論文芸賞など受賞。「小さいおうち」は山田洋次監督により14年に映画化。

  ◎取材を終えて  10年にわたる介護では、苦しいことも悲しいことも多くあったに違いない。だが中島さんは「老いは人をこんなふうに変えるのかと、人間的な興味も感じた」と話す。あるがままを受け止めながら、体調が悪化したときは医師と相談して薬を切り替え、食欲が落ちれば入れ歯を作り直したという。「親はもう年だからと諦めず、できることはやる」。後悔しない介護への向き合い方を、教えてもらったような気がした。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

kea_117

ケアノートの一覧を見る

最新記事