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ホームホスピス運営者の立場から 市原美穗

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

命の主人公は私

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テーマ:「意思決定、誰がどのように決めるのか」

 「みんながいい人、だから死ぬまでここに居るつもり」

 「そうか、死ぬまでここに居るか、いいね」

 「一緒に居ようね」

 「それがいい、いっしょに居るわね」

命の主人公は私

かあさんの家で、みんなで食卓を囲んで(撮影・国森康弘さん)

 民家を借り、家庭的な環境で 看取(みと) りを行うホームホスピス「かあさんの家」の住人のある日の食卓での会話です。お二人はこのあと、笑いあって握手をしていました。今、日常の暮らしの中で、「死」が語られることが少なくなっています。かあさんの家では、日常の話題で死についても取り上げ、本人の意思を確認できるようにしています。それは、本人が望む場所で、望むように生を全うできるように支援しようという理念に基づいています。

医療に支配された生活は幸せか?

 かつての日本では、赤ちゃんが生まれる場所も、おじいちゃん、おばあちゃんが亡くなる場所もほとんど自宅でした。でも今では8割を超える人が病院など自宅以外の場所で生まれ、亡くなっています。このことは、「生・老・病・死」という、人にとって決して避けられない大切なことを暮らしの中から遠ざけることになってしまいました。

 高度経済成長と共に、医療技術が進歩し、医療保険制度が充実したことで、誰でも具合の悪い時に医療の恩恵を受けることができるようになりました。もちろんこれは現代の長寿社会に貢献しているのですが、一方で加齢に基づく不具合を抱え、誰かのお世話にならないと生活がままならない人たちを増加させました。

 超高齢になってから、これまでのように具合が悪くなり治療を望んで病院に頼ると、病気は治っても、むしろ生活者としての機能を失うことになりかねないのが現状です。かあさんの家で看取った95歳の方が「がんは治ったけれど、寝たきりになってしまった」とおっしゃった言葉が思い出されます。人生の仕上げともいえる最終のステージを、医療に支配されたまま暮らすことが幸せでしょうか。最期の医療の在り方も、モニター上の確認だけで臨終に立ち会うのでは、人間的な死と言えるのだろうかと思います。

患者が医療の主役に 中川米造さんが教えてくれたこと

 もう一つ、医療技術の進歩と相まって、私たち市民の方が医療のことは何もわからないからと、医師に「お任せします」と病気を預けてしまい、医師を権威のあるもの、依存の対象にしてしまったことがあります。現代の医学が病人を見るのではなく、病気を見ているのではないかと医療の在り方に警鐘を鳴らしたのが、医学概論を専門とした医師、故・中川米造さん(元大阪大学名誉教授)でした。

 中川先生に出会ったのは、1991年、ホームホスピス宮崎を立ち上げる前、在宅ホスピスの勉強会をしていた頃でした。インフォームド・コンセント(十分な説明を受けたうえでの同意)という言葉がマスコミでも取り上げられるようになった頃、この概念を日本に初めて紹介されたのも中川先生でした。「医師にただ『お任せします』と病気を預けてしまうのではなく、患者が主体性を持つとはどんなことなのでしょう」と中川先生にお尋ねしたことがありました。

 中川先生はおっしゃいました。

 「高齢化が進み、慢性疾患が大半を占めるようになると、病気を持っている人が主体にならないとどうしようもない。つまり、その人自身が気づいて、自分の行動、習慣というものを客観的に見直すことが必要です。医師の役割はそれを援助していくことだと思います。個人が自分の仕事、人間関係、自然との関係をコントロールできるということがあって初めて、医療の力が有効です。患者が主人公になることが治癒につながります」と。今では、インフォームド・コンセントは当たり前のこととして行われていますが、最も大切なことは、説明する側からされる側の一方通行にならずに、相互に作用しあうことだと答えられました。

 その時に、「中川米造のワークショップ」も開きました。20名くらいの参加者に1枚の画用紙とクレヨンが渡され、与えられた描くテーマは、「自分の死」でした。

 コーラスが趣味の人は、自分が横たわっているベッドの周りでコーラスの仲間たちが歌っている風景を描きました。ある人は、白い画用紙を前に考え込んでいましたが、黒いクレヨンで縦に1本の線を描きました。描き終わったら全員の絵を壁に貼って一人一人が自分の絵を説明し、中川先生と一緒に他の人の絵を見ながら、自分の死を想ったのです。

中川先生は、その後自らががん患者になられました。最初は治療を受けられましたが、再発後は対症療法だけで最期まで仕事を続けられたと聞いています。私たちに託されたのは、人間的な医療の中心にあるのが「患者が主人公」の医療だという教えでした。

 そして、この延長線上に最期の医療の選択があると思うのです。意思決定支援は、「誰がどのように決めるのか」と問うずっと前の段階から、市民一人一人の「いのちの主人公は私」というマインドを培うことだと考えています。人間には人間としての価値、存在の意味があり、個体の生物学的な死の後でもそれは永遠に残る、したがって生物的な死は恐ろしくないのだとも言われました。意思決定支援の前に、患者の意思を尊重した医療が求められるのだと思います。

仲間の穏やかな死が、「私」の安心に

 かあさんの家の住人の年齢は40歳代から100歳代まで20人、平均すると85歳になります。1軒に5人が共に暮らしています。今、宮崎市内に4軒の民家を借りていますが、どの方も様々な病気を持っています。しかし、病人ではなく、ここでは生活者です。本人の意思を確認できないと思われる方々が多いのですが、住人の方々と接していて感じることは、いずれは自分もさよならを言う時が来ると分かっておられるなということです。

 一緒に暮らしている人が、次第に食卓に来なくなり、頻繁に看護師さんやお医者さんが訪れ、ご家族が付き添っている様子から、「悪いんだね」と気づかれるようになります。かあさんの家では、看取りの時も、日常の生活の中です。居間では普通に食事をしていますし、付き添っているご家族とも食卓をご一緒します。

 その時を迎えるのは、なぜだかみんなが就寝された時間が多いのですが、臨終の様子が穏やかであれば、自分の時も安心だと思えるのではないかと考える時があります。旅立ちの支度が整って、お別れのご 挨拶(あいさつ) にお連れしたときの住人の言葉です。

 「立派な旅立ちでした。またお会いしましょう」と亡くなった方の胸に手を置いて声をかけられました。また、私が別の人に「かあさんの家では、一緒に暮らしている人をお見送りするのは、 (つら) くないですか」と尋ねると、「死ぬのは怖くはありません。いつお迎えが来ても十分に生きましたからいいです」ときっぱり答えてくださいました。

本人にとっての最善を家族と共有

 患者の意思決定、それも、最期の医療を誰が決めるのか――。それは命の主人公である私自身です。意思決定が困難だと思われる状態になっても、その人の人生の物語を 紐解(ひもと) くと、おのずからその人の意思を想像することができると思います。家族が悔いのない看取りができるように支援することもホームホスピスの理念の一つですが、そのためにも、本人にとっての最善は何かをご家族と悩みながら、揺れ動きながら想いを共有していきます。「逝く人」のケアは「今を生きる人」のケアに (つな) がっていますから。

 あなたは「自分の死」をイメージしたことがありますか? そのことを周りの大切な人に伝えていますか?

ichihara400

【略歴】

 市原 美穂(いちはら・みほ) 一般社団法人全国ホームホスピス協会代表理事

 1947、宮崎県生まれ。87年、宮崎市に夫が「いちはら医院」を開業し、裏方として携わる。98年、「ホームホスピス宮崎」設立に参画し、2002年に「特定非営利活動法人ホームホスピス宮崎」理事長に就任。04年に「ホームホスピスかあさんの家」を開設し、現在宮崎市内に4軒を運営する。15年「一般社団法人全国ホームホスピス協会」を設立し、現職。08年「社会貢献者賞」(社会貢献支援財団)、09年、「新しい医療のかたち賞」(医療の質・安全学会)、15年、「保健文化賞」(第一生命・厚労省)をそれぞれ受賞。著書に『ホームホスピス「かあさんの家」のつくり方』(図書出版木星舎)、『暮らしの中で逝く その<理念>について』(同)、編著に『病院から家に帰るとき読む本』(同)がある。

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さよなら・その2-2-300-300シャドー

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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