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私のマラソン道

コラム

家族で走り込み、シャトルも追う日々

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西部本社PR委員会事務局 藤野孝司 専任部長

きっかけはバドミントン

防府読売マラソンでゴールする筆者(2013年12月)

防府読売マラソンでゴールする筆者(2013年12月)

 「マラソンを始めたのはバドミントンがきっかけです」。走る動機を聞かれると、そう答える。二つ掛け持ちになった趣味を通じて、今も世界が広がっている。しかし、いずれも奥が深い。マラソンはフル18回、ハーフやリレーを入れて50以上の大会に出たものの、「マラソン道」は始まったばかりの感がある。

 2006年春の異動で事務職になり、土日が休みとなった。通信部で勤務していた頃に妻が始めたバドミントンは長女と長男も習い、「私も基本から」と思い立ったが、五十肩で電車のつり革にすら手が上がらない。そこで、「肩が治るまで」と始めたのがウォーキング。仕事から帰宅後に速足で歩くとだんだん身が軽くなり、2か月ほどでジョギングを始めた。自宅から福岡タワーを目指し、博多湾の海岸沿いに出るコースを走るのが日課になった。スピードも上がって、「ランナーズハイ」と呼ばれる陶酔状態を感じるようになり、風を切る爽快感や運動後の食事のおいしさも、私のランニング熱に拍車をかけた。バドミントンを習い始めても走り続け、次第に体が絞られてきた。

残り12キロに力を出し尽くす

第1回福岡マラソンを走る筆者(2014年11月)

第1回福岡マラソンを走る筆者(2014年11月)
職場仲間の部で1位になった大濠公園リレーマラソンで次走者にたすきを渡す筆者(2011年10月)

職場仲間の部で1位になった大濠公園リレーマラソンで次走者にたすきを渡す筆者(2011年10月)

 初めての大会は07年11月。10キロを42分で走った。続いてハーフや30キロの大会と距離を延ばし、09年2月鹿児島県の出水ツルマラソンで初めてフルに挑戦。後半失速したものの、我慢して走りきり、3時間56分でサブフォー(4時間切り)を果たした。しかし、調子に乗って出たその後の2レースは後半歩いて4時間30分をオーバーした。

 自信がなくなった時、マラソンのテレビ中継をヒントに走り方を考えた。「30キロまでは力を入れず、残り12キロに力を出し尽くす」。解説者の言葉に「これだ」と思った。それまでは、誰の指導も受けず、ハーフの速度のまま走っていたから、今思えば、乳酸値が限界に達して、後半走れなくなるのは当然だった。

 11年12月宮崎県での青島太平洋マラソンは前半1キロ6分のペースを守り、残り12キロから速度を上げた。4時間を8分オーバーしたが、手応えをつかんだ。今でも気象条件やコースなどで4時間を超えることはあるが、フル全18レース中、半分の9レースでサブフォーを達成している。

 持久係数という指標がある。例えばハーフの記録を基にフルのタイムを予想する場合、ハーフの記録×持久係数(私の場合は、約2.2)となるが、この計算によると私はスタミナ不足で、克服できたらフルを3時間40分前後で走る力は持っているようだ。

 そういう意味でも、「私のマラソン道」は始まったばかりだが、交友関係の広がりというもう一つの楽しみも感じている。

 11年10月、部局を超えて7人で出場した大濠公園リレーマラソンではフルの距離を2時間50分で走り、職場仲間の部(83チーム参加)で1位になった。14年12月から半年間の東京本社勤務でもマラソンを通じて社内外の多くの人と知り合い、新潟・佐渡島まで旅ランしたことも楽しい思い出だ。

東京パラリンピック目指す長女と共に

防府読売マラソンでゴールに向けて最後の力を振り絞る筆者(2013年12月)

防府読売マラソンでゴールに向けて最後の力を振り絞る筆者(2013年12月)

  家族で続けているバドミントンには2013年、転機が訪れた。

 脳性まひで右半身に軽い障害がある長女がマレーシアであったアジアユースパラ競技大会に出場し、女子単で銅メダルを獲得した。表彰式後、笑顔で選手同士が握手し、記念撮影をしている光景に胸が熱くなり、涙が止まらなかった。マラソンでゴールにたどり着いた直後、握手し健闘をたたえ合う光景が重なったからだ。

 運動が好きという価値観を共有し、日々つらい練習を乗り越え、競い合い、終わったあとの達成感と連帯感、さらに相手への敬意――。これぞ、スポーツの醍醐味だいごみだと思った。

 翌14年、韓国・仁川でのアジアパラ競技大会の同種目で5位だった長女の目標は24歳の時に迎える東京パラリンピックへの出場。現在、大学の部活動で健常者に交じって練習に励んでおり、部が休みの期間は家族でシャトルを追い、一緒に走り込みもしている。また、ハーフを走ったことのある妻との目標は、夫婦2人でのホノルルマラソン完走。今秋から月1回をめどに一緒に20キロ程度のロング走をしている。

 バドミントンは月6回程度、地域のサークルで練習する。マラソン練習は夏は月間累計で100キロ前後、冬場は約200キロ走り込む。バドミントンを減らせばマラソンのタイムが縮まるのだろうが、どちらも面白いのでやめられない。いずれも、上手うまくもないし、速くもない、究めてもいないが、仕事と家庭生活の中にバランス良く取り入れ、長く楽しく続けられたらと思っている。

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藤野 孝司(ふじの・こうじ)
【略歴】1982年入社。下関支局、大牟田通信部、編成部、人事部、筑豊支局、総務局管理部、東京本社読者センターなどを経て、15年より西部本社PR委員会事務局。自己ベストは15年2月の熊本城マラソンで出した3時間48分。モットーは「スポーツで職場に迷惑をかけない」。けが防止のため、朝晩のストレッチを欠かさない。

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 マラソンやランニングが、ライフスタイルとして定着しつつあります。週末、各地の大会に出かける人も多い中、あなたのオフィスの隣の人がランナーかも? 読売新聞社内のマラソンランナーが、国内外の大会に参加した体験記、トレーニング法、仕事との両立など、マラソンへの思いを語ります。

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