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医療部長・山口博弥の「健康になりたきゃ武道を習え!」

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健康は武道の「おまけ」

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 久しぶりの更新です。原則、隔週の更新を心がけていましたが、いろいろ事情がありまして、前回から1か月以上たってしまいました。スミマセン。

 で、このコラムも今回が最終回。「久しぶりの更新で最終回かいっ!」とツッコミを入れられそうですが、このコラムを始める時にすでに各回のテーマを決め、全13回と決めていました。今回がその13回というわけです。

 さて、武道の効用についてこれまでいろいろと書いてきました。

 1回目で書いた効用を、改めて以下に並べます(コピペです)。

▼構える時も、技の攻防を行う時も、腰を落として動く。これにより、体で最も大きい筋肉が集まる足腰が鍛えられる。足腰の強化は運動の基本であり、転倒予防など、高齢社会における健康づくりにも役立つ。

▼たとえば野球やテニスのように、利き腕だけを酷使することは少ない。突きも蹴りも左右の手足を満遍なく使う。結果、体をバランスよく鍛えられる。もちろん、筋力だけでなく心肺機能・スタミナも強化される。

▼体の軸がぶれないよう「体幹」を強化し、同時に、無駄な力を抜く「脱力」ができていないと、相手を制することはできない。強い体幹と脱力は身体能力を高め、いざという時にけがをしにくくなることにも役立つ。

▼相手の攻撃に対する自らの恐怖心に気づき、受け入れ、乗り越える。その繰り返しにより、 強靱きょうじん な心が養える。

▼無心に体を動かすことで、ストレスが解消される。そればかりか、「考えないこと」で相手の攻撃に的確に反応できるという、「無心の効用」も味わえる。

▼手足の位置や角度、姿勢、相手との間合い…。これらが適切かどうか、常に複数の身体部位や状況に同時に意識を配らなければならない。加齢とともに低下する「注意分割能力」が鍛えられ、認知症予防に役立つ可能性もある。

 いま読み返すと、武道と健康をうまくこじつけたものだ、と我ながら感心します。……なんて、うそうそ。こじつけてません。武道が健康にいいのはホントですよ!

 私自身がなぜ武道を始めたのかについては、コラムの2回目に書きました。では、なぜ私は54歳になった今も武道を続けているのか。最後にきちんと書いておきたいと思います。

 端的に言ってしまうと、「好きだから」。これに尽きます。ゴルフでもマラソンでもサッカーでも野球でもなく、ただ武道が好き。だから続けている。

 でも、こんな説明じゃあ、物足りないですね。

 合気道家でもある思想家の内田 (たつる) さんは、武道的な力について、「一個の生き物としてあらゆる状況を生き延びることができる能力」と説明しています(「荒天の武学」=光岡英稔氏との対談本、集英社新書=より)。

 内田さんの著書「修業論」(光文社新書)の記述なども併せてまとめると、「生き延びるための知恵と力を高めること、それが武道修行の目的」であり、「武道家が最優先的に開発しようと望んでいるのは、危機に臨んだとき適切な状況判断を下すことができる技術、心身のパフォーマンスを必要なときに爆発的に向上させて『生き延びる』技術」としています。

 内田さんがここで言う「危機」とは、単に路上の暴力といった危機にとどまらず、地震や津波などの天変地異、戦争やテロ、さらに格差社会や政治体制の機能不全までをも指します。「社会格差のせいで苦しんでいる人や、政治体制がうまく機能していないせいで不幸な人が周りにいたら、ぼく自身が楽しくない。武道家なら、そういう問題も何とか解決するように努力するはずです」と。だから、「現代における荒天型の武道家は、政治や社会、経済問題に無関心であったりすることはありえない」と言い切ります(著書に「荒天型」についての直接的な解説はないのですが、「常にあらゆる危機を意識して社会に対応する準備ができているタイプ」だと解釈しています。反対語は「晴天型」)。

 さらに内田さんは、自分の仕事(生計の手段)である「教育活動」「書き物」「企業経営」がうまくいかないとき、「『これは合気道の稽古の仕方が間違っていたからだ』と考えることにしている」のだそうです。仕事と稽古がストレートにつながっているんですね。すご過ぎます!

 内田さんの著書を読むたびに私は、「武道ってすごいじゃん」と、人ごとのように(笑)思ってしまいます。

 私なんぞは到底その域には及びませんが、未熟な私が今も武道を続ける意義をあえて表現するとすれば、「レジリエンスを養う」ためでしょうか。

 レジリエンスとは、「回復力」とか、「抵抗力」「耐久力」などと訳されます。強いストレスに対して適応したり、一度ダメージを受けても回復したりする力。「何があっても大丈夫!」になる力、と言っていいのかもしれません。

 私が大学時代に学んだ少林寺拳法も、いま続けている護身武道「 心体育道(しんたいいくどう) 」も、「勝つ必要はない。負けなければいい」という考え方の武道です。「負けない力」。これもレジリエンスでしょう。もちろん、人生のあらゆることに「負けない力」のことです。

 ひと口に武道と言っても様々な種類がありますが、おそらくどんな武道でも真剣に稽古を続ければ、きっとレジリエンスが養えるはずです。そしてその道には終わりがありません。終わりがないということは、死ぬまで成長し続けられる、ということでもあります。

 心体育道には、「 無極(むきょく) 」という言葉があります。1人で行う鍛錬法の一つで、基本や型にとらわれず、ただ感じるままに様々な技を自由に繰り出します。「無極」は同時に、心体育道の思想的な基盤でもあり、「決して究めることのできない無限を追い求めること」を意味します。英語ではEndless Evolution、「終わりのない進化」です。

健康は武道の「おまけ」

 私はこの言葉が大好きで、自宅で 瞑想めいそう をする時のクッション= 坐蒲ざふ =にも「無極」と書いているほど(写真)。この言葉は心体育道に限らず、すべての武道に通じる思想・考え方ではないか、と思っています。

 心肺機能や筋力や視力は年齢とともに衰えても、技や心は死ぬまで成長させることができる。そこが武道の素晴らしいところであり、スポーツ格闘技とは異なる点です。もし私がタイムマシンに乗って30年前に飛び、20代の私とノールールで戦ったとすれば、間違いなく今の私が勝つでしょう。技や心、レジリエンスのレベルが、今の方がはるかに高いと思うからです。

 いささか小難しいことを書いたかもしれません。実際の私は、月に4回ほど道場稽古に出て、たまに家で一人稽古をやるぐらいの、ただの武道愛好家です。達人でも何でもありません。

 でも、私はこれで満足しています。サラリーマンにとっては、「続けることが修行」なのです。たとえ仕事が忙しくなって、稽古を1年間休むことになっても、出られるようになった時にまた始めればいい。とにかく、やめないことです。休み休みでも武道の稽古を続けていけば、人は必ず成長できます。

 そして武道を続ければ、「健康」というおまけまでついてくる。

 そうです。このコラムは「健康になりたきゃ武道を習え!」というタイトルですが、実は武道にとって健康になる効果は、「おまけ」だったのです!

 そういう意味では、武道はヨガに似ているのかもしれません。ヨガも健康法として普及していますが、インド古来のヨガが本来目指すものは、「悟り」や「より高次な自分」だと聞いたことがあります。

 一方、こうした武道のとらえ方には、実は異論もあるのです。

 先月、東京都内で開かれた日本マインドフルネス学会の第3回大会に行った際、休憩時間に筑波大学人間系准教授(専門は身体心理学)の湯川進太郎さんとお話しさせていただきました。湯川さんは、糸東流空手の有段者で太極拳も学んでいらっしゃいます。

 私は湯川さんの著作「空手と禅」(BABジャパン)をすでに購入して読んでいたので、ごあいさつさせていただいたのですが、とても気さくな方で、武道談議に花が咲きました。

 その「空手と禅」で、湯川さんはこう書いています。

 「なぜ武道の稽古をするのかと問われれば、何のためでもないと答えるしかなくなります

 「稽古は、身体を鍛え、集中力・洞察力・判断力を養うけれども、それもまた単なる副産物であって、最終の目的ではありません。(中略)つきつめていくと、何のためでもないのです。坐禅と同様、ただ稽古する、それだけです

 まさに、曹洞宗の開祖・道元禅師の「 只管打坐(しかんたざ) 」と同じ。心の安定や悟りなど何も求めずに、ただ座れ!ということです。健康はもちろん、レジリエンスもしょせんは稽古の副産物であり、そもそもそうした「効用」「効果」「成果」を求めて稽古をするな、ということでしょう。

 う~ん、未熟者の私は、さすがにここまでの境地には達することができません。どうしても、武道の稽古に「成果」や「成長」を求めてしまいます。

 でも、まあ、これはこれで楽しいじゃないですか。

 人それぞれ自分の武道がある。流派も違えば、修行のスタイル、武道への考え方も違う。同じ流派であっても、目指すものは人それぞれだったりする。でも、「武道を修行している」という一つの共通項さえあれば、「自分はこう思うんだけど…」「ああ、それってあるよね」など、ああでもない、こうでもない、と語り合うことができます。

 「無極」の心で、武道によって生まれる縁=「武縁」を大切に、これからも体が動かなくなるまで修行に励んでいきたいと思います。

 これまで私の拙いコラムにお付き合いくださり、ありがとうございました!

(おわり)

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この前の日曜日の稽古風景。相手の自由な攻撃に対し、下がったり(バックステップ)、足裏で止めたり(ストッピング)、前へ入ったりして さば く練習を繰り返しました。

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山口 博弥(やまぐち・ひろや) 読売新聞東京本社医療部長

 1962年福岡市出身。1987年読売新聞社入社。岐阜支局、地方部内信課、社会部、富山支局、医療部、同部次長、盛岡支局長を経て、2016年4月から現職。医療部では胃がん、小児医療、精神医療、痛み治療、高齢者の健康法などを取材。趣味は武道と瞑想めいそう。飲み歩くことが増え、健康診断を受けるのが少し怖い今日このごろです。

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