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イグ・ノーベル・ドクター新見正則の日常

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同級生の死…医療の専門家でも、がんの「死に際」はわからない

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 毎週連載のこのエッセイも3年を超えました。その間に、いろいろなことがありました。2年前に母が亡くなりました。精いっぱい生きて、認知症を患って、 菩薩(ぼさつ) さんのように死にました。母からは、たくさんのことを教えてもらいました。

 先日、大学の同級生が死にました。大学時代に私の母が作った食事を一番多く食べた同級生です。天国でまさか2年違いで会えるとは母も思っていなかったでしょう。彼は山陰の出身でした。彼の故郷に一緒に行ったこともあります。当時はおばあちゃんもご両親も健在でした。30年近く前の思い出です。今は皆様が他界したことになります。

 その頃の大学はノンビリしたもので、国家試験の勉強などは、年が明けてからチョコチョコとやるものでした。6年生の夏と冬に北海道の診療所に実習と称して一緒に遊びに行きました。学校の定期試験では、今の時代なら、見つかれば留年処分になるであろうことを堂々とやっていました。試験監督を自分がやるようになって、学生が何をやっているかは全て見えることがわかりました。当時の先生たちは見逃してくれていたのですね。懐かしい思い出です。

 卒業後は志す診療科が異なっていたので、疎遠でした。毎年行われる同級生の集まりにお互いの都合がつけばたまたま会うといった程度でした。でも、会えば昔を思い出し、学生時代を語らったものでした。

 母にとっては、一番多く食事を提供した私の同級生なので、その後も気になっていたようです。自分用の食材を彼に回して、自分は残り物で済ませていたこともある母でした。本当に心から彼を大切にしていました。ときどき自宅に戻ると、「今どうしてるかね?」と僕に尋ねることもありました。僕の答えは、「診療科が違うからまったくわからないよね」とそっけないものでした。

「相当調子が悪い」と聞き、病室を訪ねたが…

 彼はがんでした。「彼の調子が悪い」と同級生から聞き、彼にメールを送ったのです。「最近は『漢方を使ったがん治療』で少々有名になったから、何か力になれることがあれば、遠慮なく連絡しろ」といった内容でした。彼からは、「忙しくて、そちらに出向くことはできないので教授室まで往診してくれ」というものでした。「いつでも行くから連絡を待っている」とメールを返すと、数週間後に「相当調子が悪い」という連絡が突然に同級生仲間からあり、病院に駆けつけました。病室を訪ねると、彼はベッドに横になり、僕のことが何とかわかるという状態でした。そして大学時代の思い出について、母と彼とのことなども含めて話しました。彼は「母の葬儀には万難を排して駆けつけねばならなかったところを、諸般の事情でお別れが言えずに申し訳なかった」と、まず謝りました。でも、ベッドの上で相当 (つら) そうでした。医者の直感として、「長くはない」と思いました。自然と涙が出てきます。家族の前で泣くわけにもいかず、精いっぱい (こら) えました。15分ほど会話をしました。帰り際に「一番はっきりしていて、そして一番長く話しました。ありがとうございました」と、ご家族から礼を言われました。

「死ぬならボケずにガンがいい」と思っていたが…

 こんなに早く病気が進行するとは、本人自身が思っていなかったようです。僕は反省しました。医療の専門家でも、がんでの死に際はわからないのだと。母の認知症が進み、そして介護しながら、 看取(みと) りながら思ったことは、「死ぬならボケずにガンがいい」という思いでした。そこで、そんな思いを本にして、それをタイトルにして新潮社から出しました。その本が 上梓(じょうし) された5日後に母は自宅で家族と犬に囲まれて息を引き取りました。冷たくなった母の横で娘と犬は一晩一緒に寝ていました。 (ひつぎ) の中にはその本を一冊入れました。

 母はまだ、認知症でボケていない頃、「格好良く死にたい」と言っていました。お世話になった人に集まってもらって、そして今まで一生懸命生きてきたお礼を言って、そして「息子と嫁と孫を頼みます」とでも言って旅立ちたかったと思います。でも、認知症が進んで、最期の頃は、僕が息子だともわかりませんでした。しかし、幸いなことに嫁と孫はわかっていたようです。息子の思い出は、僕が幼い頃に精いっぱい、一緒に生きた時なのでしょう。認知症では、新しい記憶から消えていきます。息子の思い出は (はる) か昔の少々辛くても頑張って生き抜いた頃のものだったのでしょう。

 そんな母を診て、そしてたくさんのがんの患者さんを診て、「死ぬならボケずにガンがいい」と思ったのです。がんならば、死ぬ時を予期できる。それに向かって死ぬまでの行程表が頭で描けると思ったのです。

 親友との15分の面会のあと、次に会ったのは棺の中の彼でした。お通夜にも告別式にも行きました。がんとわかっても、医者でも、死期はわからないのだと反省したのです。理屈ではわかっていたのかもしれません。でも、自分は違うかもしれないと期待したのかもしれません。まだ大丈夫だろうと思ったのかもしれません。

 人は死にます。認知症を患って老衰で死ぬか、またはがんで死ぬかといった選択をできません。与えられた運命を潔く受け止めるだけです。彼に関しては「死ぬならボケずにガンがいい」は間違いかもしれません。でも母の場合は間違っていないと今でも思っています。

 いろいろな本を読んで、人の意見を参考にして、死について家族で語り合うことが大切だと思っています。そうすると、平凡な毎日が、そして無事に生きていることが幸せだと思えるようになります。

 人それぞれが、少しでも幸せになれますように。

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知りたい!_20131107イグ・ノベーベル賞 新見正則さん(1)写真01

新見正則(にいみ まさのり)

 帝京大医学部准教授

 1959年、京都生まれ。85年、慶応義塾大医学部卒業。93年から英国オックスフォード大に留学し、98年から帝京大医学部外科。専門は血管外科、移植免疫学、東洋医学、スポーツ医学など幅広い。2013年9月に、マウスにオペラ「椿姫」を聴かせると移植した心臓が長持ちする研究でイグ・ノーベル賞受賞。主な著書に「死ぬならボケずにガンがいい」 (新潮社)、「患者必読 医者の僕がやっとわかったこと」 (朝日新聞出版社)、「誰でもぴんぴん生きられる―健康のカギを握る『レジリエンス』とは何か?」 (サンマーク出版)、「西洋医がすすめる漢方」 (新潮選書)など。トライアスロンに挑むスポーツマンでもある。

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