在宅訪問管理栄養士しおじゅんのゆるっと楽しむ健康食生活
医療・健康・介護のコラム
「食べられる口」を作るため、訪問歯科医師との連携を(3)
在宅医療の経験が浅い私ですが、訪問先では、患者さんのさまざまな「ドラマ」を目の当たりにします。
今回ご紹介するのは、脳卒中の後遺症で 右片麻痺 と 嚥下 障害(飲み込みの障害のこと)を発症した、40代の男性Aさんです。
初めてAさんにお会いしたのは、2年前の夏でした。当時、Aさんは生命を維持するのに必要な栄養を口から取るのは難しいという医師の判断のもと、胃ろうを造設し、県内の回復期リハビリテーション病院を退院したところでした。
訪問診療を行っている主治医から、「Aさんが『もっと口から食べたい。そして普通のものが食べたい』と言っているので、なんとかサポートしてほしい」と、訪問栄養指導の依頼を受けました。
Aさんは、妻と小学生の息子さんとの3人暮らしです。ほとんどベッドの上で生活しており、胃ろうからの栄養に加え、ミキサーにかけた食事を約300kcal召し上がっていました。昔から歯科医嫌いで、虫歯の治療をほとんど受けたことがないとのこと。下の前歯はところどころ抜けており、上の歯も数本しか残っていない状態だったため、主治医は訪問歯科医に治療を依頼していました。
私が初めて訪問する際、歯科治療を担当する 一瀬浩隆 先生に同行してもらいました。一瀬先生は、東日本大震災の支援のために宮城県に入り、そのまま宮城県気仙沼市に移り住んで、訪問歯科診療を行っていた歯科医でした。現在は「あい訪問歯科クリニック」(愛知県豊橋市)の院長をされています。
Aさんは、回復期リハビリテーション病院で、「嚥下造影検査」という飲み込みの機能を調べる検査を行っていました。食べ物や料理の中にバリウムなどの造影剤を混ぜて、食べる様子をレントゲンで映しながら、どのように 咀嚼 し飲み込んでいるか、また、食道の入り口などに食べ物の残留がないか、食べ物が気管へ流入していないかなどを動画で調べる検査です。
その時の検査食に、Aさんが大嫌いな「かぼちゃ」が出てきたそうです。検査だからと割り切って食べようとしますが、どうしてもうまく飲み込めません。もちろん麻痺による飲み込みの障害をお持ちなので、ある程度は仕方がないことなのですが、ご自分の力を出し切れない気持ちのまま、検査を終えたそうです。
みなさんだったらそんな時どうしますか?
私の場合、もし大嫌いな「レバー」が出てきたら、「嚥下の問題以前に飲み込めませんから!」とはっきり拒否しますが、Aさんは、我慢強い大人の男性です。きっとそんなふうには言えなかったのでしょうね。
さて、一瀬先生は口腔内の環境を整える治療を終え、嚥下機能を高めるだけでなく、Aさんがしっかりと咀嚼できるように入れ歯の製作に移っていきます。特に下の入れ歯は、芸術的な美しさで(写真)、Aさんの表情にも変化が表れました。初めてお会いしたときは、口を一文字にぎゅっとむすんでいたので、「もしかしたら、私の訪問が気に入らないのかな。気付かずに失礼なことを言ってしまって怒っているのかな」と心配していたのですが、入れ歯を装着したら、上下の唇が本来の場所に納まるようになりました。素顔のAさんは、いつも 微笑 んでいる方だったのです。
「口元は、顔の表情を作っている」ということを、改めて感じました。
そして、訪問栄養指導では、歯科治療の状況やAさんの咀嚼嚥下力に合わせた食事を奥さんと一緒に作ります。出来上がった料理を食べると、いつも 嬉 しそうにはにかんでいらっしゃいました。私たちはそんなAさんのことを、親しみを込めて「ハニカミ王子」と呼んでいました。
ある日、一瀬先生が訪問歯科診療に訪れると、小学生の息子さんからお手紙をもらいました。その手紙には、ひらがなで「おとうさんをよろしくおねがいします」と書いてありました。息子さんの優しい心に触れ、胸が熱くなるとともに、「家族と同じものを食べられるようにしてあげたい」という気持ちが湧いてきました。
そのあと、Aさんから「ウィンナーソーセージを食べられないだろうか」との相談がありました。ウィンナーは、薄くて硬い皮の中に、弾力のある肉の塊が詰まっていますので、嚥下障害のある方には難しい食材です。なぜ、食べたいのかと理由を尋ねると、「息子と同じものを食べたい。あいつウィンナーが大好きだから」と。
そこで、細かく隠し包丁(切れ目)を入れた皮なしウィンナーを柔らかくて薄いサンドウィッチ用のパンの上にのせ、とろみをつけたトマトソースをたっぷりと挟んだ「ウィンナーオープンサンド」を提案してみました。
ひとくち食べたAさんは、とびきりのはにかみ笑顔を見せてくれました。これで息子さんと同じものを一緒に食べることができます。
その後、改めてAさんは病院で嚥下造影検査を受けることになりました。その結果、嚥下機能が劇的に改善しており、主治医をはじめ私たちを驚かせました。胃ろうからの栄養は必要なくなり、とうとう胃ろうの穴を閉じることができました。
今では、Aさんが望んだとおり「ほとんど普通のもの」を食べながら、少しとろみのついた焼酎で晩酌をするのが毎日の楽しみだそうです。
このドラマを振り返ると、「普通のものを食べたい」というAさんの願いに対して、歯科医師と管理栄養士につなげてくれた主治医の決断が、すべての始まりであったと思います。Aさんは年齢が若く、回復が見込める状態であったことも成功のポイントです。しかし、主治医が最初に「口から食べるのはもう無理だから、胃ろうから栄養を取りましょうね」と決めつけていたら、Aさんが焼酎を飲みながら奥さんの手料理を味わうこともなかったでしょう。
また、Aさんの口の中を「食べられる口」にする歯科医の力も不可欠でした。私自身、「訪問歯科診療の状況に合わせて栄養指導の内容を変えていく」ことをよく理解してはいませんでしたが、Aさんの事例を通して、歯科医と協働する相乗効果を実感することができました。
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