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HIVと共に生きる不死身の活動家 長谷川博史さん

編集長インタビュー

長谷川博史さん(3)患者会活動 つながって、声を上げる

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HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラスの設立

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仲間が孤立する必要はないと感じて、患者会活動に取り組むようになった

 ゲイのHIV陽性者の患者会「NoGAP」は、数か月に1回のペースで、長谷川さんのポケットマネーを資金に、HIVの専門医や研究者を呼んでは勉強会を開いていた。そのうち、研究者とゲイコミュニティーの協働による感染実態調査も始まり、『G―men(ジーメン)』の企画として、研究者を招いて「日本のゲイコミュニティーとエイズ」というテーマのシンポジウムも開催した。厚生労働省の研究班に参加して、やがて活動は全国規模に広がった。

 「当時、ゲイがセックスの相手を探すハッテン場の感染状況を調べるために、先生自ら、サウナなどのゴミ箱からサンプルを集めていたんですよ。HIV患者の支援活動を行うNPO法人『ぷれいす東京』も協力していました。僕は、研究者と一緒に福岡、名古屋、仙台、沖縄など、ゲイコミュニティーで活動するエイズの民間活動団体がない地方都市を回ってパイプを作りました。このネットワークが、後に、新宿2丁目の『akta(アクタ)』など、全国6都市にHIVの予防啓発センターを作る予算を国から獲得する下地になったんです」

 2000年代に入ると、ゲイ雑誌の編集長は辞め、新しい事業を始めようと事務所を借りて準備を始めていた。その頃、神戸市でアジア・太平洋地域エイズ国際会議が開かれることが決まり、組織委員会のメンバーから、「陽性者の組織委員が必要だから、長谷川さんがなってくれ」と声をかけられた。そこで、長谷川さんは、ゲイの陽性者だけのNoGAPを、ほかの感染者にも広げて組織を作り直すことを決めた。

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日本の陽性者代表として、国際会議にも参加した

 「日本の陽性者代表として出るならば、ゲイの感染者の団体代表というのでは不十分。すべての感染者を代表した方がいいと考えました。血友病の感染者、女性の感染者にも役員に入ってもらって、借りていた事務所に、日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラスの看板を掲げました。神戸会議は2003年に開かれる予定だったのが、新型肺炎(重症急性呼吸器症候群・SARS)騒ぎで延期になって、05年に開催され、患者が国際的に発信する良い機会になったと思います」

 成り行きで作られたジャンププラスだったが、海外の感染者や研究者の活動報告に刺激を受けた長谷川さんは、患者会活動を次の段階に進めることを考えた。

 「ジャンププラスでは、陽性者の自立を目指したいと考えました。治療に関して僕たちができることは、治療について学ぶこと。治療についての情報を正しく理解して、自分で選び取っていく力、治療リテラシーを明確に持つことがまず第1段階だと思い、勉強会を重ねました。次に、世間のエイズに対する偏見が、スティグマ(負の 烙印(らくいん) )として当事者の中に内在化しており、これを消すことが当事者運動の最大の課題だと思いました。東京では、akta(アクタ)が予防、啓発活動を行い、「ぷれいす東京」が患者支援をしています。じゃあ、陽性者であることを理由に (かぶ) る不利益や差別をなくすために社会に働きかけていくアドボカシー活動は誰がやるんだよと考えて、そこを引き受けよう、それまでにない患者運動をやっていこうと思いました」

 そのためにジャンププラスで最初に取り組んだのは、「スピーカー養成プログラム」。HIVの陽性者が、実名を公表して、講演をしたり取材に答えたり自分の体験を語るための訓練プログラムだ。

 「陽性者が陰に隠れていると、エイズやHIVは、目に見えないお化けのような病気になります。僕が最初に実名を公表した理由も根本はそこにある。恐怖や不安をいたずらに膨らませず、リアリティーを持ってHIVやエイズを考えてもらうために、陽性者が顔を見せて目の前で話すことはとても大事で、とても効果がある。でも、自分を守る (すべ) も身につけていないと、本人たちが不利益を被ります。どこまで話すのか、どんな場で話すのかを知らないと危険です。僕たちはオーストラリアで実践例があるプログラムを、日本用にアレンジして、提供することにしました」

 現在、このプログラムを修了した陽性者は100人を超え、20人近くが常時、講演活動や取材対応などを行っている。

 「NHKなどで実名で語っているのは、うちのトレーニングを受けたスピーカーばかりです。それは自慢の一つです」

 さらに、陽性者の実態を把握し、対策を訴えるために度々アンケートを行ってきた。2013年からは、放送大学の井上洋士教授と共同で、陽性者の大規模なインターネットアンケート 「Futures Japan(フューチャーズジャパン)HIV陽性者のためのウェブ調査」 も実施。社会の偏見や病気を隠すストレスで心の問題を抱えている当事者が多いことや、老後の生活に不安を抱えている人が多い実態などをマスコミなどを通じて訴え、対策を求めている。さらに、やはりオーストラリアで作られたプログラムを日本用に作り直した「トーキングアバウトセックス」を開発し、全国で開いている患者交流会で、自身の性やセクシュアリティーについて語り合う機会を設けている。

 「支援団体はあまり 強面(こわもて) にはなれませんし、予防啓発を行うaktaは国からお金をもらっているから、強い要求はできない。だから、国や社会に対策を求めていくのに、ジャンププラスのような団体が必要なんです。人口は日本の5分の1以下なのに、陽性者数が日本を超えた台湾は、顔を出している陽性者がとても少なく、現在、 ジャンププラスの代表をしている高久陽介 が講演をしてきました。おせっかいになってはいけないけれど、求めがあれば台湾、韓国などアジア各国の陽性者ともつながって、助けあっていけたらと思うのです」

 (続く)

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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