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HIVと共に生きる不死身の活動家 長谷川博史さん

編集長インタビュー

長谷川博史さん(3)患者会活動 つながって、声を上げる

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長谷川博史さん(3)患者会活動 つながって、声を上げる

「HIV感染をきっかけに、ゲイであることや性について真剣に考えるようになった」と語る長谷川さん

 ゲイ雑誌『バディ』を創刊した2年後の1995年には、若くてきれいなモデル志向の編集方針に疑問が生まれ、もう少し年上向けで、ひげのたくましい男性を自由に登場させられる雑誌『G―men(ジーメン)』を創刊。経営者には、「編集長を引き受けるなら、HIVのことを6ページ書くよ」と条件をつけた。

 HIV感染とその直後に始まったゲイ雑誌の仕事は、長谷川さんの性への向き合い方にも大きな影響を与えた。

 「HIV感染がわかってから初めてセックスを考えることを始めたんです。それまで、するものであって、考えるものじゃなかった。生き方の問題としてはとらえていなかった。だけど、やはり感染がわかると、ゲイであることについて考えざるを得ないし、また、夜の2丁目やら社会の暗いところでの性的行為についても考えざるを得ない。それに、ゲイ雑誌の編集は、自分がゲイであることについて何も考えなかったり、ネガティブな感情を持ったりしたままでは、お金を払って読んでくれる読者に対して失礼だと思いました。感染がわかってゲイ雑誌を作った40代は、本気でゲイって何だろう、セックスって何だろうと、本もかなり読んで考えぬいた。自分を見つめ直すという意味では、僕は本当にいろいろな機会に恵まれたんだと思います」

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ゲイ雑誌「G―men」の編集長をしていた頃。女性にもモテた

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ひげを残したまま派手な女装をして、自作の詩を読むパフォーマンスを行っていた

 96年頃から数年間は、雑誌編集の傍ら、派手な女装をしたパフォーマンスを行う「ドラァグクイーン」となり、HIVや自身のセクシュアリティーについて書いた詩を読む活動も始めた。

 「当時、HIVについて社会に発信することをかっこいいこととして受け入れてくれたのは、クラブカルチャーだったんです。僕自身、『セックスは子作りのため』『愛あるセックスでないと許されない』などの世間の刷り込みで、知らずに性への嫌悪を持ち、現実を見ないようにしてHIVというやっかいなものを抱え込むことにもなった。でも、本当は性に 貴賤(きせん) はないし、都合の良いセックス観を押しつけられているのはゲイだけでなく女性も一緒。だからセクシュアリティーは関係ないという思いで、ひげのまま女装をしました」

 長谷川さんは2005年に発表した著書の中に、その頃作った詩を収めている。

(前略)

私の身体に流れるオカマの血は

男とか女とか

普通とか、異常とか

正とか、邪とか

そんな俗世の思惑を超え

() るべき姿ではなく

有るがままの姿で

生きることを可能にしてくれる

幸運の血ですの

(中略)

人格は人格

欲情は欲情

上半身は上半身

下半身は下半身

世間様は世間様

ワタクシはワタクシ

あなたはご存じないかも知れませんが

私の身体に流れる淫乱の血は

生きる (よろこ) びを与えてくれる歓喜の血でございますの

あなたはご存じないかも知れませんが

私の身体に流れるHIV混じりの血は

私に生きる力を与えてくれますの

心臓の鼓動は

時を刻む時計のように規則正しく

この指先の微細な血管の一本一本にまで

熱き血潮を身体に満たしてくれますわ

免疫の力は低くても生きるエネルギーに満ちあふれておりますの

あなたはご存じないかも知れませんが

あなたはご存じないかも知れませんが

私の身体に流れるあなたと同じ赤い血は

生きる歓びを

心の底から沸き上げる

幸福の血でございますの

(『熊夫人の告白』熊夫人の告白2/血の問題)

 「性に貴賤なしということを気づかせ、セックスってなんだって考えさせてくれたのはHIVだった。そうしてたどり着いたのは、HIVを持っていることも、ゲイであることも卑下することではないということ。こうして自分のセクシュアリティーと向き合わなかったら、自分のセックスや人生はここまで豊かではなかった。そこに向き合わせてくれたのはHIVだから、歓びの血なんです」

患者会活動に参加 NoGAPの設立

 ゲイ雑誌の編集を始めたのと同時並行で、長谷川さんは患者会活動にも積極的に関わり始める。きっかけは、病院の待合室で知り合った、現・はばたき福祉事業団(薬害エイズ被害者救済のために発足した団体)理事長の大平勝美さんから、「患者団体の勉強会があるんだけど来ない?」と声をかけられたことだ。血液製剤による薬害で感染した血友病患者たちの集まりだったが、そこに性感染の患者として初めて参加した。その後、薬害エイズ裁判の支援活動にも関わっていく。

 「初めて参加した時は、血友病患者のお母さんも一緒だったし、恨み言がたまっていたお母さんたちばかりが長時間発言していました。次からは患者だけで開くということになって、僕も病院の待合室で知り合ったゲイの感染者を連れて行きました」

 その後、「ゲイの感染者向けに患者会を作ろう」と考え、1994年には、「NoGAP(Network of Gay AIDS Patients、ゲイのエイズ患者ネットワーク)」を設立した。

 「病院に来れば仲間と話せますが、月に1回しか来ることはない。患者の中には感染がわかると、ゲイの友達と縁を切る人もいるんです。僕ももしかしたらそうなっていたかもしれませんが、雑誌作りでゲイ業界に引きずり込まれて、つながりが保てました。そういう僕の立場からすると、『みんな孤立する必要ないじゃん』と思ったんですよね。血友病の人たちとは違う課題もあるし、ゲイだけで安心して集まれる場所を作ろうと思いました」

 患者会に関わり始めるのと前後して、1992年の終わりには、群馬県の保健所主催の中学生に対するHIV講演会で、初めて陽性者として話をした。最初から実名と顔を出した。

 「名前を伏せたら、この病気に対するイメージが悪くなる。当時は、作家らがHIV陽性者を担ぎ出してエイズを考える会などを作り始めていたのですが、そこで出てくる人は仮名でした。僕は自分が人前で話すことになった時、仮名でやって後でバレたら、子供たちはどう思うでしょうか。『ああ、やっぱりエイズって名前が出せない病気なんだ。恥ずかしい病気なんだ』と思われるのはすごいしゃくだと思ったんです。HIVを理解してもらうために、それは良くないと思ったから、もう本名で行こうと腹をくくったわけです」

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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