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原記者の「医療・福祉のツボ」

医療・健康・介護のコラム

貧困と生活保護(44) 最低賃金は、本当に生活保護の水準を上回ったか?

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 2000年代の半ばから、働いても満足な収入を得られないワーキングプアが日本でも問題になってきました。企業の人件費抑制による賃金水準の低下、非正規労働者の拡大が大きな要因です。

 それに関連して、最低賃金で得る収入より生活保護でもらえるお金のほうが多いのはおかしい、という意見がしばしば見られます。その意見は、半分は間違いで、半分は正しいと思います。

 間違っているのは、疑問を持つ方向です。最低賃金が生活保護の水準より少なくてよいのか、と問いかけて、最低賃金の低さを問題にするのが、法律上もスジの通る方向です。

 正しいと思うのは、最低賃金と生活保護の逆転現象がまだあるという点です。14年10月の最低賃金引き上げで逆転現象は解消したと厚生労働省は説明していますが、両者を比較するときの計算方法に問題があり、現実の生活から見ると、最低賃金がまだまだ低すぎるとも考えられるのです。

 安倍政権は15年11月、最低賃金を毎年引き上げ、全国加重平均で時給1000円をめざす方針を打ち出しました。貧困を減らし、経済を好転させるには、中小零細企業を支援しつつ最低賃金をもっと引き上げ、労働者への配分を高めることが重要でしょう。そのためにも、最低賃金と生活保護の比較方法を見直す必要があります。

最低賃金は、どういう制度か

 最低賃金法は、時間あたり賃金の最低額を保障する法律です(1959年制定)。地域別の最低賃金(都道府県ごと)と産業別の最低賃金(国単位または都道府県単位)を国が定め、それより低い時給しか払わなかった使用者は刑事罰の対象になります。労使が合意して最低賃金に満たない契約をしても無効で、最低賃金額の契約として扱われます。

 地域別の最低賃金は雇用契約であれば、不法就労の外国人を含め、すべての労働者に原則として適用されます。派遣労働者には派遣先での最低賃金が適用されます。ただし、一律に適用すると雇用機会を狭めるおそれがあるとして、著しく労働能力の低い障害者、試用期間中、基礎的技能などの認定職業訓練中、軽易な業務、断続的労働については、都道府県労働局長の特例許可を受けた場合だけ、減額した契約が認められます。また、同居の親族のみの事業所、家事使用人には適用されません。

 最低賃金の考え方のおおもとは、労働基準法1条の「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を () たすべきものでなければならない」という規定です。そのうち賃金水準の部分を具体化したのが最低賃金法と考えることができます。

 実際の最低賃金額の改定は2段階です。毎年夏、厚生労働省の中央最低賃金審議会(労働者、使用者、公益代表の委員が同数)が統計データや労使へのヒアリングなどをもとに、金額改定のための目安を示します。都道府県別にある地方最低賃金審議会(同様の構成)は、それを参考にしながら地域の実情に応じた改定を検討します。その意見を踏まえて地方労働局長が地域別の最低賃金額を定め、近年は通常、10月から施行します。中央、地方の審議会は、労使交渉の場のような性格も持っています。

生活保護の水準を下回らないように、最低賃金を決める

 地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費、労働者の賃金、通常の事業の賃金支払能力の3点を考慮して定めるとされてきました(最低賃金法9条2項)。絶対的な物差しはなかったのです。

 しかし、社会のセーフティーネットの役割を重視した07年11月の法改正で「労働者の生計費を考慮するに当たっては、労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮するものとする」という規定(9条3項)が追加されました。

 この法改正以降、最低賃金は、生活保護の水準以上にしないといけなくなったわけです。生活保護の水準を踏まえて最低賃金を決めるのであって、逆方向はありません。生活保護は、健康で文化的な最低限度の生活ができる水準を設定するもので、最低賃金の動向によって上下させるのは筋違いです。生活保護の給付水準を抑え込むと、最低賃金は上がりにくくなります。

最低賃金が低くて済む計算方法が、比較に用いられている

 最低賃金の額は個人単位、時間単位、都道府県単位なのに対し、生活保護の額は世帯単位、月単位、市町村ごとに定めた級地単位です。そのままでは比べられません。そこで08年度に中央最低賃金審議会の「目安に関する小委員会」が、比較のための計算方法を決め、現在も同じ方法が用いられています。

 この小委員会では労働者側の委員と使用者側の委員の意見が対立したのですが、公益委員がほぼ使用者側委員の意見に沿った計算方法を示し、それが採用されました。基本的な計算式は、次の通りです。

最低賃金による月収=最低賃金額×1か月の労働時間×可処分所得比率

生活保護による月収=生活扶助+住宅扶助

 この両者を比べ、最低賃金による月収が生活保護より少なくならない最低賃金額を逆算するわけです。式の形を変えると、生活保護並みの月収を得るのに必要な最低賃金(時給)は、次の計算になります。

少なくとも必要な最低賃金=(生活扶助+住宅扶助)÷1か月の労働時間÷可処分所得比率

 問題は、それぞれの項目の具体的な数値をどこから持ってくるかです。結論から言うと、最低賃金ができるだけ低くて済むような計算方法になっています。

<労働時間数>

 最低賃金を算出する時に用いる1か月の労働時間は173.8時間。これは週40時間×年間の週の数(365日/7日)÷12か月という計算です。週の法定労働時間の上限で、祝日も夏休みも年末年始の休みもない場合の労働時間数です。たくさんの時間を働けば、一定の月収を得るのに必要な時給は低くなります。厚労省「毎月勤労統計調査」の15年分確報によると、フルタイム労働者の所定内労働時間は平均月154.3時間です。かりに、そちらの時間数で計算すれば、生活保護並みの収入を得るための最低賃金は12.6%高くなります。

<可処分所得比率>

 通常の労働者の賃金からは所得税・住民税・社会保険料が天引きされますが、生活保護なら原則かかりません。そこで勤労収入のうち何%が手取りになるかを想定するのが「可処分所得比率」です。中央最低賃金審議会は、前々年度に最低賃金がいちばん低かった地域での試算を用いています。今年(16年10月施行)の改定で用いたのは、14年度の沖縄県の83.3%。可処分所得比率が最も高くなる地域です。これより最低賃金の高い地域では税・社会保険料が増え、可処分所得比率が下がります(手取り割合が減る)。したがって、この方式で計算した最低賃金だと、多くの都道府県で生活保護の水準を下回ります。税・社会保険料の負担は次第に上がっているので、新しい最低賃金が適用される時点では計算した時より可処分所得比率が下がり、手取りが減るというタイムラグの問題もあります。

<生活扶助>

 生活扶助の基準額は、6段階ある級地区分と世帯構成員の年齢層によって違ってきます。中央最低賃金審議会は、若年の単身者(12~19歳)を想定し、冬季加算、期末一時扶助を加えた月額を級地ごとに算出します。それを各都道府県内の級地別の総人口で加重平均したものを、その都道府県の生活扶助額としています。郡部まで含めた人口加重平均なので、県庁所在地など都市部の保護基準より低い額になります。裏返すと、この方式で計算した最低賃金だと、県庁所在地では生活保護の水準を下回ります。また12~19歳はかつて、生活扶助のうち1類(個人需要分)の額がいちばん高かったのですが、現在の保護基準では41~59歳の層のほうがやや高くなっています。

<住宅扶助>

 その都道府県で支出された住宅扶助の実績総額を、保護世帯の総数で割った数字を用いています。複数人数の世帯の住宅扶助額も加味される一方、持ち家や長期の入院・施設入所中で住宅扶助ゼロの世帯や、低家賃の公営住宅で暮らす世帯もカウントされます。県庁所在地などの都市部で民間賃貸住宅に入居している時の住宅扶助限度額は、実績平均値より大幅に高いので、この方式で計算した最低賃金だと、都市部で生活保護並みの賃貸住宅には住むのは難しくなります。

<勤労控除>

 働いていても収入が足りなくて生活保護を利用している場合、勤労収入の月額に応じて、その一部が収入認定から除外される「勤労控除」があります。仕事用の服、身だしなみ、外食、つきあい、資料など、仕事をするためにかかる必要経費を認めているわけです。月10万円稼げば、2万3600円が控除されます。ところが最低賃金の比較計算では、これをまったく考慮していません。

<医療扶助など>

 生活保護では、ほかに医療扶助、介護扶助、教育扶助、生業扶助、出産扶助、葬祭扶助があります。これらは比較計算に入っていません。生活扶助と別枠で医療費が全額公費負担になる生活保護と違い、最低賃金だけで暮らすなら医療費がかかるのに、無視しているわけです。歯科を含めて医療をまったく受けないという空想の上に立った最低賃金の設定になります。

<家族は考慮せず>

 最低賃金の比較計算は、単身者を想定しています。家族を養う場合は、税金の扶養控除があるとしても、生活するのに足りない金額になります。たとえばシングルマザーの場合、子どもの生活費、教育費などがかかります。最低賃金の仕事だと。児童手当・児童扶養手当を受けても保護基準を下回る暮らしになるでしょう。もちろん、最低賃金はそこまでの生活保障を担う制度ではないという考え方もあります。

逆転現象は解消したと言うけれど……

 最低賃金法改正の後、先の比較計算式で厚労省が検証したところ、08年夏の時点で、最低賃金と生活保護の逆転現象が12都道府県にありました。そこで最低賃金が毎年、少しずつ引き上げられたのですが、翌年にはまた逆転現象が生まれました。その間、生活保護基準は据え置きだったのに、奇妙な事態でした。原因は比較計算式、とりわけ可処分所得比率と住宅扶助実績値の変動でした。14年夏の時点でも5都府県で逆転現象が残っており、同年秋の最低賃金アップでようやく解消されたと厚労省は説明しました。

 その後、政府の意向を受けて15年秋、16年秋と、従来より大幅な最低賃金引き上げが行われました。16年10月に施行された 地域別最低賃金の一覧 を見ると、最高が東京の932円、最低が宮崎・沖縄の714円。全国加重平均で823円(前年798円)となっています。

 一方で生活保護は、13年8月から15年4月にかけて生活扶助本体と期末一時扶助、15年7月から住宅扶助限度額、15年10月から冬季加算と、立て続けに基準の引き下げが行われました。

 であれば、さすがに最低賃金は、生活保護よりだいぶ高くなったんだろう、と思うでしょう。ところが、けっしてそうとは言えないのです。

今でも生活保護のほうが手取りが多くなるケース

 例として、現在の東京都の最低賃金932円でどれぐらいの手取り収入になるか、若者の場合で試算してみます。最低賃金以外の手当、ボーナス、公的給付はゼロとしています。

◆東京都の最低賃金労働者の手取りの試算(手当・ボーナス・介護保険料なし)

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 一方、生活保護の場合は、20代の単身者で月平均額を計算すると、こうなります。

◆生活保護の基準額(東京23区内、20代単身)

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 最低賃金だけでは、普通に働いて手取りは11万円台、目いっぱい働いても13万円台で、生活保護より少ないのです。厚生年金保険料の徴収は将来に役立ちますが、医療にかかれば、手取りの中から医療費の自己負担をしないといけません。この賃金水準では、これまで生活保護だった人が就職して生活保護を脱却しても、生活はかえって苦しくなります。実は、この収入額だと、勤労控除を考慮すれば、働きながら生活保護を受けて、不足を補ってもらってよいレベルなのです。

日本の最低賃金はかなり低い

 最低賃金と生活保護の比較に、もっと生活実態に合った計算方法を用いれば、たいていの都道府県で今も逆転現象が存在するでしょう。最低賃金が全国加重平均で749円だった12年時点で、保護の要否判定がギリギリの水準には1159円、就労自立に足りる水準には1233円の最低賃金が必要になったという試算もあります(桜井啓太氏)。

 若者を中心にした労働運動グループは最近、最低賃金として時給1500円を求めています。それもあながち乱暴な主張とは言えないわけです。日本の最低賃金は先進国ではかなり低いほうです。欧州では日本円にして1000円以上の国が多く、米国でも今年に入ってカリフォルニア州、ニューヨーク州、ワシントンDCなどが時給15ドルへの引き上げを決めています。

 *参考文献:「最低賃金と生活保護の逆転現象発生のメカニズムとその効果」(桜井啓太、大原社会問題研究所雑誌663号、2014年)、『最低所得保障』(駒村康平編、岩波書店、2010年)

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原昌平(はら・しょうへい)

読売新聞大阪本社編集委員。
1982年、京都大学理学部卒、読売新聞大阪本社に入社。京都支局、社会部、 科学部デスクを経て2010年から編集委員。1996年以降、医療と社会保障を中心に取材。精神保健福祉士。社会福祉学修士。大阪府立大学大学院客員研究員。大阪に生まれ、ずっと関西に住んでいる。好きなものは山歩き、温泉、料理、SFなど。編集した本に「大事典 これでわかる!医療のしくみ」(中公新書ラクレ)など。

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