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HIVと共に生きる不死身の活動家 長谷川博史さん

編集長インタビュー

長谷川博史さん(1)自分探しの旅 迷い続けたセクシュアリティー

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新宿2丁目のメインストリートで。ここにあこがれて故郷の長崎から上京した

 その後もSMなど様々な手法を試し、渋谷、新宿、上野と様々な場所を渡り歩いた。一方で、20代の頃は自分がゲイであるということを完全に受け入れられたわけではなかった。

 「友達に自分がゲイであることを隠さなくちゃいけないとか、伝えたいけれども伝えられないということには悩みました。自分がゲイであることを責めるような悩みではありません。例えば就職の時、慶応の法学部卒だったら、弁護士がだめでも銀行マンや証券会社だのエリートを目指すわけです。ある有名銀行に勤める先輩から就職のお誘いを頂いた時、『先輩、もし僕が結婚しなかったらどこまで行けますか?』と聞いたら、『ああ、せいぜい支店長代理までだろうな』とはっきり答えが返ってきた。そこで僕はいわゆる堅い仕事に就くのは無理なんだと思い知った。その頃のことを思うと、今、銀行や堅い企業がこれほどLGBTが働く環境について積極的に対応してくれるようになったのは、まぶしくて仕方ないですね」

 それでも、親しい友達や兄にはゲイであることを伝えていた。兄に伝えたのは20歳の時。上京して東京の下宿に泊まっていた兄が、雑誌の女性グラビアを指さしながら、「どんな女が好みだ?」と聞いてきたのに対して、「こういうの」と渡哲也の写真を指さした。

 「兄は、受け入れなくちゃいけないという思いが強かったのだと思います。『なんでそんなことを悩んでいたのに言わなかったんだ。兄弟なのに』と言いましたが、それ以降、それまで僕の前で平気で使っていたオカマという言葉を使わなくなった。気を使われるのが面倒くさいと思いました。ゲイは若い頃から 揶揄(やゆ) されることが多くて、そういう反応に対してとても敏感。いい意味では繊細なんですが、悪い意味では神経過敏なんです。兄は僕の前でオカマというのに10年かかりましたね」

 大学卒業後、就職した広告会社を3年で辞め、その後、学習系の出版社に就職。そこで広告から営業、編集まで雑誌作りの一通りを学んだことが後に生かされることになる。

 「女性社員にはバレバレで給湯室の仲のいい子たちにはみんなにゲイであることは伝えていたんだけど、オヤジたちは『長谷川は本当にスケベだな。給湯室で女とばかり遊んで』と言われていましたね。女同士の会話をしていただけなのにね(笑)」

 30歳になって初めて男性と恋愛し、心も体も満たされるという経験を初めてした。その彼とは、しばらく半 同棲(どうせい) 生活も送った。

 「それまで恋愛をしないように、僕は抑制をかけていた気がする。その頃までは自分もいつか結婚するものだという思いこみがあったからです。当時は、ゲイバーに来ているにもかかわらず、『男は結婚してこそ一人前だ』と説教をたれるバカなオヤジさえいた時代で、僕も、ゲイであることを隠して結婚しなくてはいけないと思いこまされていたんです。それが、彼とゲイバーで出会って、セックスと恋愛が合致すると、これはこれですてきなのだと思ったんです。そこから一生懸命、両者を合致させようと無駄な努力をする時期が続くのだけど、それが別物だと思い至るには、そこからさらに10年かかりました」

 長谷川さんは、様々な恋愛、性体験を経て、今、恋愛とセックスとパートナーシップは別物として存在していると考えている。

 「合致すればベターだけど、必ずしもシンクロするものではない。僕の中では、パートナーシップや結婚は上半身、恋愛は中半身、セックスは下半身に分かれる。本当はすべてを串刺しにしたいし、世間のロマンチックラブイデオロギー(恋愛結婚の思想)は上半身、中半身、下半身が串刺しになっていますよね。恋愛して、セックスして、結婚して、2人は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしと。でも、2人が結婚して一緒になったからと言って、めでたしめでたしになるばかりじゃないでしょう? そこからけんかもあるし、波乱万丈になるし、人生の半分はそこから始まるのに」

 そんな諦念を持ち始めた1983年頃から、新宿2丁目のバーや知り合いのゲイ雑誌の編集者から、「アメリカでゲイだけがかかる怖い病気があるらしい」という (うわさ) を聞くようになる。アメリカから始まったその「エイズパニック」は、やせ衰えた患者の恐ろしい画像とともに日本人にも知れ渡るようになり、日本でも85年、初のエイズ患者が認定された。

 「ものすごい怖い情報がばんばん流れるようになってきて、ああ自分も検査を受けなくてはと思い始めていました。それでも怖くてずるずる先送りしていたのですが、その頃また久しぶりに男性とお付き合いが始まりました。この人と付き合っていくのだから検査ぐらい受けておかなければと、近所の病院に行ったのが1991年の年末のことでした」

 92年の正月初めに出た結果は、長谷川さんのその後の人生を大きく変えていくことになった。

  〈HIV〉  細菌などの病原体から体を守る免疫細胞を破壊する「ヒト免疫不全ウイルス(エイズウイルス)」のこと。感染ルートの9割は男性同性間の性的接触といわれ、ウイルスを増殖させないために、抗ウイルス薬を生涯飲み続ける必要がある。エイズとは、HIVが増殖した結果、免疫力が下がり、肺炎や悪性腫瘍など国に指定された23の病気を発症した状態を指す。毎年1500人前後の新規HIV感染者・エイズ患者が報告される。感染力は、HCV(C型肝炎ウイルス)やHBV(B型肝炎ウイルス)よりも低く、感染者と一緒に風呂に入ったり、軽いキスをしたりしても感染しない。

 (続く)

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岩永直子(いわなが・なおこ)

1973年、山口県生まれ。1998年読売新聞入社。社会部、医療部を経て、2015年5月からヨミドクター担当(医療部兼務)。同年6月から2017年3月まで編集長。

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