レビー小体型認知症当事者の立場から 樋口直美
さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~
【意思決定】「何もわからない人」というとても大きな間違い
テーマ:「意思決定 誰がどのように決めるのか」
「認知症になった時、最後の医療を誰が決めるのか?」
私の答えは、<本人>です。「いつ決めるのか?」<本人が、決められるうちに>です。
大切な人と医療者を含めた周囲の人をとことん悩ませ、死後も長い間苦しめることを避けるには、それ以外にないと思っています。
大切な人の死に方を客観的に考えられる人はいません。どんなに冷静な人でも悲しみに押し潰され、悩み、揺らぎ、惑います。何を選択しても「これで良かったのか」という思いは残ると思います。医療が発展すればするほど、それは増していくでしょう。どこからが過剰で、どこまでなら足りないのか、その線は、誰にも引けません。引けるとしたら、本人だけです。
認知症の終末期医療には、「何もわからないまま、ただ生かされる」という強い負のイメージがあります。本当にそうでしょうか? 最初からわからないと決めつけて、本人の意思を聞くという発想すらないというのが真実ではないでしょうか?
祖母の教え 人が老い、死んでいくことは自然なこと
私の祖母は、長い間、自分の家で寝たきりの状態でした。「もう家族も分からない」と言われていた時にも、私が訪ねると「あぁ、直ちゃん……」と笑顔を見せてくれました。でもそんな反応も徐々に減り、祖母は、言葉も表情も完全に失い、石のようになりました。祖母に感情があるのかすら、誰にもわかりませんでした。死別と同じ悲しみを既に私は抱いていました。そんなある日、祖母は、突然母に言ったのです。
「迷惑をかけてごめんね。でも、もうそう長いことではないと思うから、頼むね」
反応しないことが、わかっていないということではないのです。
私は、祖母を訪ねる度に、私の幼かった子どもたちに祖母の手を握らせ、普通に語りかけさせました。祖母に反応は見えませんでしたが、何かを感じてくれていると私は信じていました。人が老い、病み、少しずつ弱っていく人間本来の姿を身をもって子どもたちに教えてくれた祖母に心から感謝しています。
祖母は、自宅で、身内に囲まれ、ゆっくりと静かに亡くなりました。痛みも苦しみも恐怖もなく穏やかにそっと逝きました。祖母は、時間も空間も超えた、どこか大きな所に 還 っていくのだと感じました。すべての人が、生き物が、そしても私も、そこへ還っていくんだなと思うと、不思議な安心感がありました。死ぬということは、自然なことなのだ、悲劇でも、敗北でも 惨 いことでもない、命あるもの、自然、宇宙の営みのひとつなのだとあたたかい気持ちで思いました。
認知症とつく病気を診断されたからといって、いきなり考える力を失うわけではありません。病気は、生き方を真剣に考える機会を与えてくれます。残りの時間で、何ができるのか、何をしたいのか、何をするべきなのか、何をすれば満足して死ねるのか、私は真剣に考えました。来年はないのかも知れないと思った時、迷いや多くの悩みは消えました。
命を削ってでもやるべきことをやろうと思って活動してきましたが、ふと気づくとすり減るはずだった命は、案外そのままでいました。充実感のある生活は、どうも脳や全身の細胞を元気にするようです。
認知症があっても人間らしく 実践する人々との出会い
そんな活動の中で、理想的な医療やケアを実践している方々とも出会いました。彼らのお話を伺った今、「認知症になると何もわからなくなる」なんて、完全に間違っていると断言できます。
周囲からは、かなり進行していると思われていたレビー小体型認知症の82歳の男性が、食べられなくなった時、選択肢の説明を受け、「また元気になれるなら胃ろうにしたい」とはっきりと言われたと、そのご家族から直接伺いました。
フランスの介護術「ユマニチュード(相手の人間らしさを尊重し続ける哲学と多数の実践技術から成るケア技法)」を考案されたイヴ・ジネスト先生(ジネスト・マレスコッティ研究所所長/静岡大学客員教授)からは、パーキンソン病だったお父様が、亡くなる前日まで歩かれていたと直接伺いました。凶暴と言われる方もユマニチュードで接すると普通の人になります。固まって動かないはずの体が動き、寝たきりのはずの高齢者が、両脇を支えられて歩き出します。
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でも紹介された加藤 忠相 さん(あおいけあ社長。神奈川県藤沢市)が運営する介護施設では、アルツハイマー病と消化器系の病気のある方を病院から退院させ、一人暮らしを最期まで支えたそうです。「(神様)もう本を閉じてください」と言って施設職員に囲まれて息を引き取られたと伺いました。
ジネスト先生も加藤さんも「認知症があっても最期まで人間らしい心のやりとり、コミュニケーションは可能だ」と言われます。それは決して彼らだけが起こせる「奇跡」などではなく、認知症のある人と、本気で、人として接するかどうかなのだと私は、考えています。
ただ、もちろん自分の終末期について考え、書いておくのに早過ぎることはありません。その時、イメージだけで決めるのではなく、例えば胃ろうであれば、どんな利点や欠点があるのかを正しく知った上で選択したいです。

胃ろうの様子
私は、胃ろうにとても悪いイメージを持っていました。ある施設で胃ろうの方の食事風景を見たからです。看護師が無言で部屋に入り、不自然で苦しそうな姿勢のまま固まった6人の方の胃ろうに点滴のような大きな袋を次々とつなぎ、最後まで一言も発することなく部屋を出て行きました。それは身が凍るほど非人間的な扱いに私には思えました。
でも今、もしレビー小体病のパーキンソン症状が出て、早期から飲み込みが困難になったとしたら、私は迷わず胃ろうを選び、栄養と水分と薬をしっかり取りながら、外出もし、活動を続けたいと考えています(歩ける段階からそうなる方もいるそうです)。量は少なくても、好物も口から食べ続けられるでしょう。同じ胃ろうでも時期や状態によって意味は大きく変わってきます。そうしたことも学び、理解した上で決められたら、悔やむことは少ないでしょう。
誰もが終末期の希望を定期的に書く習慣を
交通事故や脳出血などによって、ある日突然話せなくなる可能性は誰にでもあります。健康なうちからどんな終末期を望むのかを、全員が定期的に書く習慣を作れば良いと思っています。例えば運転免許証の更新時、健康診断の時、お薬手帳に、病院を受診する時の問診票に。あちこちで常に書くことが習慣化すれば、家族や親戚が選択を迫られて、悩み苦しまずに済むようになります。
自治体によっては医療情報を書いた紙を筒に入れて冷蔵庫に保管すると決めているところがあります。そこに入れるのも理想的です。
死について考えることは、残りの時間をより豊かで濃いものにします。
私は、坂の下り方という人生最大の宿題にこれから取り組んでいきます。人の世話になる新しい生き方を学び、最後に「もう本を閉じてください」と自分の意思で次の扉を開けて未知の世界へ踏み出せたら 素敵 だなと思っています。
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【略歴】

樋口直美(ひぐち・なおみ) レビー小体型認知症当事者
1962年生まれ。50歳でレビー小体型認知症と診断された。その9年前にうつ病と誤診され、誤った薬物治療による副作用に6年間苦しんだ。2015年、『私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活』(ブックマン社)を上梓。同年、日本医学ジャーナリスト協会賞書籍部門優秀賞受賞。診断前後の2年余りの日記の書籍化で、ライターや編集者の手は入っていない。日本認知症学会や大学などでの講演、コラムの執筆などを続けている。 2016年10月現在、空間認知機能障害など様々な脳機能障害、幻視、自律神経障害などがあるが、思考力は保たれている。
根はシャイで、最初の登壇(「レビーフォーラム2015」)の時に照れ隠しにかぶったベレー帽をさかなクンに習ってそのままトレードマークにしている。認知症の啓蒙色であるオレンジのスカーフも。
小中高校時代の一番好きな科目は、体育。納得する言葉は、「塞翁が馬」。
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