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仏像から学ぶ講座…自分と向き合い癒やし

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歴史秘話や内面の話も

 東京・新宿の 経王きょうおう 寺で開かれている人気講座「仏像でナイト」(年8回)の最終回を訪ねた。仏像の歴史や姿かたち、仏教の教えを 互井観章たがいかんしょう 住職(56)に教わる2時間。話は、軽快かつズシリと重い。仏像が内包するものを学ぶ場が、そこにあった。

仏像から学ぶ講座…自分と向き合い癒やし

寺の仏像を示しつつ解説する互井住職(10日、東京都新宿区の経王寺で)=関口寛人撮影

 本堂のスクリーンに、飛鳥寺(奈良県明日香村)が映る。596年、時の権力者、蘇我 馬子うまこ の発願で創建された日本最古の寺だ。仏教伝来の歴史をひもときながら、互井住職が、本尊の飛鳥大仏に画面を替えた。

 大仏といっても、像高は2メートル75。鋳造当初の部分は、顔や右の手のひらと指の一部だけ。傷が多く、その姿は痛々しい。東大寺の大仏より表情がきつく、人を魅了し、話しかけてくるような「美仏」ではない。だが、蘇我一族が滅び、寺が数十分の一の規模になっても、1400年間一度もこの寺から出なかった。

 歴史秘話から文化論、寺へのアクセス、参拝のポイントまで流れるように語りつつ、住職は時に、仏像との対面で「揺らぐ」自分のことをさらけ出す。

 「この傷だらけの大仏の『オレはここを動かないよ』という気概を感じ、ありがたいと思えなくなったら、人に語る資格はなくなると思う」

 「寺の西側に、馬子の孫の蘇我 入鹿いるか の首塚があります。どんな思いで、この大仏を見ているのだろう」

 「いずれの仏像も、人の悲しみから生まれているんじゃないか」

 これらは「仏像の向こうにある仏の慈悲や 智慧ちえ を道案内する役割」を担う僧侶の自問の言葉だ。中高年が主体の参加者は、情報だけではないそうした言葉に共鳴し、自分も仏像と出会ってみようと考える。

 多くの人が、全国の仏像を訪ね歩くようになった。「京都の東寺の大日如来さん、本当に泣いてました」「永観堂の見返り 阿弥陀あみだ さんが『生きていけ』と言っていた」。本堂では、そんな会話が交わされる。

 「仏像は本当は何も答えない。でも、前に立った時、自分の答えは自然とわきあがる。そのプロセスが大事では」と、住職は言う。

 2009年、東京国立博物館で「国宝  阿修羅あしゅら 展」が開催され、94万人が来場した。若い女性客が多く、仏像ブームを印象づけた。同時期、各寺単独や宗派を超えた企画も普及した。経王寺は、6年前に始めた「仏像でナイト」のほか、仏像巡りの旅、お経の講義、一日修行、法話会など「生身で人とつながる」活動を主軸とする。

 11年の東日本大震災以降、危機感が強まった。「誰かとつながっていないと生きていけない」という強迫観念にも近い感覚。苦しみの解決や癒やしに即効性を求め過ぎる風潮。生老病死の現場で、人々は、医療者や介護者の努力でもどうにもならない「 スピリチュアルペイン 」(生きる希望を失う霊的な痛み)に苦しんでいる。僧侶として、それを取り除く手助けができないか――と考えた。

 住職を触媒に、仏像を通して自分に向きあう。その先にある癒やしこそ本物かもしれない。仏像が内包するものとは、自分自身の姿でもある。

  スピリチュアルペイン  肉体的、精神的、社会的な痛みに加え、近年、医療分野で注目されている。人生の意味や罪悪感、死生観の悩みに伴う苦痛をいい、「魂の痛み」とも訳される。経王寺の各講座は有料で、原則、予約が必要。問い合わせはホームページ( http://www.kyoouji.gr.jp/ )へ。(鈴木敦秋)

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