こころ元気塾
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仏像から学ぶ講座…自分と向き合い癒やし
歴史秘話や内面の話も
東京・新宿の
本堂のスクリーンに、飛鳥寺(奈良県明日香村)が映る。596年、時の権力者、蘇我
大仏といっても、像高は2メートル75。鋳造当初の部分は、顔や右の手のひらと指の一部だけ。傷が多く、その姿は痛々しい。東大寺の大仏より表情がきつく、人を魅了し、話しかけてくるような「美仏」ではない。だが、蘇我一族が滅び、寺が数十分の一の規模になっても、1400年間一度もこの寺から出なかった。
歴史秘話から文化論、寺へのアクセス、参拝のポイントまで流れるように語りつつ、住職は時に、仏像との対面で「揺らぐ」自分のことをさらけ出す。
「この傷だらけの大仏の『オレはここを動かないよ』という気概を感じ、ありがたいと思えなくなったら、人に語る資格はなくなると思う」
「寺の西側に、馬子の孫の蘇我
「いずれの仏像も、人の悲しみから生まれているんじゃないか」
これらは「仏像の向こうにある仏の慈悲や
多くの人が、全国の仏像を訪ね歩くようになった。「京都の東寺の大日如来さん、本当に泣いてました」「永観堂の見返り
「仏像は本当は何も答えない。でも、前に立った時、自分の答えは自然とわきあがる。そのプロセスが大事では」と、住職は言う。
2009年、東京国立博物館で「国宝
11年の東日本大震災以降、危機感が強まった。「誰かとつながっていないと生きていけない」という強迫観念にも近い感覚。苦しみの解決や癒やしに即効性を求め過ぎる風潮。生老病死の現場で、人々は、医療者や介護者の努力でもどうにもならない「 スピリチュアルペイン 」(生きる希望を失う霊的な痛み)に苦しんでいる。僧侶として、それを取り除く手助けができないか――と考えた。
住職を触媒に、仏像を通して自分に向きあう。その先にある癒やしこそ本物かもしれない。仏像が内包するものとは、自分自身の姿でもある。
スピリチュアルペイン 肉体的、精神的、社会的な痛みに加え、近年、医療分野で注目されている。人生の意味や罪悪感、死生観の悩みに伴う苦痛をいい、「魂の痛み」とも訳される。経王寺の各講座は有料で、原則、予約が必要。問い合わせはホームページ( http://www.kyoouji.gr.jp/ )へ。(鈴木敦秋)
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