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医療・健康・介護のコラム
腰痛は付き合うものではない!痛みの原因を特定しよう(5)
今回のカフェは、前回の体験記の続きを書きたいと思います。
アテネオリンピックに出場した2004年。何年もかけてたどり着いた夢の舞台。そして、この年はハンマー投げで自己記録や日本記録の更新が続きました。「世界で戦うためのスタートラインにようやくたどり着いた……本当の戦いはこれから!」。そう前途に胸を躍らせていました( 4年に1度のチャンスをどうつかむか?オリンピックに魅せられて(後) )。
前回のカフェでも紹介しましたが、私は04年の年末にアクシデントに見舞われます。 投擲 練習の真っただ中、投擲器具が破損し、転倒して右肩を強打します。右手の握力が一時的に落ち、日常生活も苦労しました。そんな 最中 、肩をかばいつつ練習を再開します。肩をかばった分の代償は腰などが受けていたのだと、後になり腰痛につながる要因が思い出されます。
腰部や体幹などへの負荷が急激に増した途端、05年の初旬からギックリ腰(急性腰痛症)を頻発するようになりました。しかし、当時は頻発する腰痛の具体的な痛みの原因が特定できなかったことから、私は「かつて診断された椎間板ヘルニアがこんなにも災いするものなのか……」と頭を抱えていました。
投擲競技をスタートしたのが15歳、高校1年生のときでした。強いひねり運動を伴うこの競技を始めたことで、10代後半からしばしば腰痛に見舞われていました。長年繰り返し腰部などに負荷をかけてきたことを思うと、04年のアテネオリンピックに出場した時点でも、既に何かしらの問題が潜んでいたのだと想像します。
「痛まないようにスポーツをする」ことへの限界
腰痛と「付き合いながら」競技活動を続ける中、03年の秋から04年のアテネオリンピックの年は、唯一急性腰痛症が全く発症しない期間でした。時折、突発的に引き起こす腰痛は、質の良いトレーニングを行ったことで、「腰痛は克服したも同然」と思っていました。順調な競技成績。腰に痛みがないことは「当たり前」と感じていました。
05年1月から毎月2回程度急性腰痛症を引き起こしていたものの、競技活動はなんとか継続していました。「痛みさえ取れれば、投げられる。我慢しよう」。そうポジティブに捉えていました。
しかし、どんなことをしても痛める頻度は変わりませんでした。しかも、痛みを引きずってトレーニング活動を再開してしまい、急性腰痛症の上塗りをしていく状態でした。「痛い部分に力を入れないようにして練習しよう」。そう抜け道を探してトレーニングをしていましたが、かばっているつもりでも、それが痛めないための対策とはなりませんでした。痛みへの予防、そして、痛い時にでも少しでも骨盤や体幹の固定をしようと、徐々にコルセットが手放せなくなっていったのを覚えています(写真)。
そうしているうちに、トレーニングも計画通り実施できなくなっていきます。私は、「良いトレーニングができれば、きっとオリンピックの時のように投げられる」と思っていました。しかし、それはとんだ見当違いでした。
そして、自身へのそうした期待感に変化が出たのは05年6月に行われた世界選手権ヘルシンキ大会の選考会でした( 腰痛は付き合うものではない! 痛みの原因を特定しよう(1) )。
このとき、いつの間にか私は慢性的な腰痛症に陥っていました。本来目指したいトレーニングや、投擲技術の追求など、気が付けばほとんどのことができなくなってしまいました。そして、自分自身の歩む方向が少しずつ、確実に狂っていくのが分かりました。
この続きは、また次のカフェで! 腰痛体験記最終章になります。それでは、皆さん、風邪などひきませんように温かくして過ごしてくださいね。
(引用・参考文献)
西良浩一, 室伏由佳『腰痛完治の最短プロセス : セルフチェックでわかる7つの原因と治し方』(2014)KADOKAWA.
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