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小児の緩和ケア医として子どもを診る立場から 多田羅竜平

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

【意思決定】子どもへの医療の意思決定(2)最終的な同意のボタンは誰が押すのか

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テーマ:意思決定 誰がどのように決めるのか

子どもへの医療の意思決定(2)最終的な同意のボタンは誰が押すのか

 ご存じのように、成人に対する医療については基本的に患者本人からインフォームド・コンセント(十分な説明による同意)を得ることが法的、倫理的に求められています。つまり、治療を受けるかどうかは、(判断能力がある限り)患者さんの自由だということです。

 しかし、判断能力を有すると思われる子どもにその自由があるのかどうかは定かではありません。「子どもの権利条約」では第12条において子どもの意見表明権が規定されており、原則として、子どもは自分の意見を表明する権利があるとみなされています。

 ただ、子どもが(親に優先して)治療に同意する権限まで定めているわけではありません。一般論としては、子ども本人も含めた関係者でしっかりと話し合って決めましょうということになるのでしょうが、たとえば親の意見と子どもの意見が一致せず、しかも子どもの意見にも十分な合理性がある場合、最終的に親と子のどちらが同意権者として治療の可否を決定するのかという問題が残ります。

 この問題について、国際的に大きな影響を与えた出来事の一つが、英国のギリック裁判(1985年)です。この裁判は、 敬虔(けいけん) なカトリック信者のギリック夫人が親権者である自分の同意なく14歳の子どもに避妊のための処置・処方をしないよう医療機関に求めた訴訟です。この訴訟は最終的に医療機関側が勝訴し、医療行為に同意するための判断能力があるとみなされる場合は、子どもが単独で医師の治療に同意することを認める判決が下されました。

 英国ではこの判例にちなんで、子どもが医療に同意する能力のことを「ギリック能力”Gillick Competence”」と呼びます。この裁判も一つの契機となり、国際的に子どもの自己決定権への関心が高まり、理解が広がってきました。1998年に世界医師会(WMA)で採択された「ヘルスケアに対する子どもの権利に関するWMAオタワ宣言」では、「小児患者およびその両親あるいは法定代理人は、子どものヘルスケアに関するあらゆる決定に、積極的に情報を持って参加する権利を有する。子どもの要望は、そのような意思決定の際に考慮されるべきであり、また、子どもの理解力に応じて重視すべきである。成熟した子どもは、医師の判断によりヘルスケアに関する自己決定を行う権利を有する。(日本医師会訳)」と記載されており、成熟した子どもが医療上の意思決定の権利を有する旨を明示しています(WMAは各国の医師会を会員とする国際的な組織であり、日本医師会も加盟しています)。

 このように子どもの自己決定権への関心が高まってきた背景には、10代の妊娠、中絶、出産という社会的な問題が、若者に禁欲を求めるだけでは解決し難いという現状が背景にあったと思われます。今では10代の女性のバース・コントロールに関して、無料でのカウンセリング、避妊処置、避妊薬の入手などが行いやすいよう制度的にサポートしている国も少なくありません。

 一方、わが国では、子どもが単独で治療に同意する権利についてコンセンサス(社会的合意)が得られているとは言えないのが現状でしょう。子どもの意見を尊重することに賛成する人は多いとしても、14歳の子どもに対して親の了解なく避妊の処置を行う医師はそう多くないのではないかと思います。とはいうものの、我が国では1年あたり、15歳以下の人工妊娠中絶数は1323件に上り(出産数235件)、19歳以下の人工妊娠中絶数は2万件近くに及びます(人口動態統計2013年より)。

 また、生後1か月未満の生まれたての赤ちゃんの虐待死亡の加害者のうち、約3割が10代の母親です。10代女性の望まない妊娠の問題は、子どもたちに啓蒙や禁欲を押しつけるだけでは解決しないことは明らかなようです。このあたりの問題に関しまして、子どもの自己決定権がどうあるべきなのか、あいにく筆者は門外漢ですので、代わりにyomiDr.のコラムでもおなじみの産婦人科医の宋美玄先生からご高説を賜れませんでしょうか。

 ということで、ここでは子どもが自分の病気と治療の選択肢について理解した上で、治療を受けるかどうかの判断を自分で納得して決めることの是非について考えたいと思います。つまり、最終的な同意権が子どもにあるか否かということです。

 おそらくわが国では、未成年の患者への医療に関する同意は親権を有する親の責任であると理解され、子どもの同意はあるに越したことはないものの、あくまでも付加的な位置づけとみなされるのが臨床現場における一般的な判断のように思います。特に、わが国の子どもは欧米の子どもに比べて、「自分のことは自分で決める」ということが文化として根付いておらず、親のみならず子ども自身も「親の意向に従うこと」を好む傾向が強いことも指摘されており、そのような文化的背景も医療現場に影響していることでしょう。

 一方、先述のように国際的には子どもの権利条約やWMAの宣言に見られるように、子どもは発達と判断能力に応じて治療に同意する権利を持つと理解されるようになってきています。もちろん、子どもの判断能力は年齢によって一律に決められるものではなく、これまでの経験や病気の状況などによっても判断の難しさも異なります。また、人生経験が未熟なため、時として無謀なことを考えたり、刹那的な判断をしたりすることもあるでしょう。

 そのため、子どもの意見を絶対視することには問題があるとしても、原則的には子どもが自分の病状や置かれている状況を適切に理解し受け止め、自らの価値判断に基づいた意見を伝え、親や医療者と協議を交わし、合理的な意思決定ができるように支援し尊重する価値観が国際的なコンセンサスとして普及してきているように思います。

 ある思春期の小児がん(固形肉腫)の患者さんの話です。彼は手術や化学療法を繰り返してきましたが、治療の 甲斐(かい) なく治癒が見込めない状態に進行していました。そして、もはや抗がん剤治療の効果が乏しいことを自覚し、つらい治療をやめて好きなことをして暮らしたいと希望しました。もちろん、治療を中止すれば死が避けられないこと、さらに言うと、治療したとしても、それは限られた延命に過ぎないことを理解していました。

 一方、両親はまだ治療をあきらめきれず、「少しでもチャンスがあるのなら頑張って治療を受けてほしい。可能な限り長く生きていてほしい」と願っていました。医療チームも治癒は目指せないまでも、治療を続ければ、ある程度の延命効果は得られるだろうと判断していました。ただ、治療の効果は限られており、副作用も無視できるものではないため、患者さん自身が治療を頑張りたいという意向がなければ無理強いすべき治療とまではいえないと考えていました。

 当初は、本人に治療を頑張ってみようと働きかけたところ、拒否反応を示したものの、親の希望を受け入れて(親を悲しませたくない気持ちもあったのでしょう)、治療を頑張ってきました。しかし、治療に伴う吐き気や 倦怠(けんたい) 感などの苦痛が続く中で、患者さん自身は「治療はしんどいのでやめたい。好きなことをして暮らしたい」といった希望を口にすることが増え、だんだんと治療に対する拒否的な態度を強めるようになってきました。最終的に、親の説得を押し切って本人は抗がん剤治療を拒否して残された時間を緩和ケアに専念して過ごすことになりました。

 果たして、医療チームは子どもの同意に基づいて当初から治療を中止すべきだったのでしょうか。それとも、患者さんの考えを未熟な判断と受け止めて、親権者たる親の要望に応じて治療を強行するべきだったのでしょうか。もっと言うと、「避妊の処置に同意する権利」と「抗がん剤治療を拒否する権利」は同じように扱うべきなのでしょうか。

 皆さんは、未成年の(判断能力を有する)子どもの治療方針を決定する最終的な同意のボタンは誰が押すべきだと思いますか? 子どもですか、それとも親ですか?

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【略歴】

 多田羅 竜平(たたら・りょうへい) 大阪市立総合医療センター緩和医療科部長兼緩和ケアセンター長

 1996年、滋賀医大医学部卒。大阪府立母子保健総合医療センター新生児科、りんくう総合医療センター市立泉佐野病院小児科などを経て、2006年から約1年間英国に留学。ロンドン、リバプールの子ども病院の小児緩和ケアチームで研修。同時にカーディフ大学緩和ケア・ディプロマコースを履修。07年に帰国し、09年より大阪市立総合医療センターへ。14年から同院緩和医療科部長、15年から同院緩和ケアセンター長兼務。13年から大阪市立大医学部臨床准教授。日本小児科学会専門医、日本緩和医療学会暫定指導医。カーディフ大学緩和ケア認定医。

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 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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