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小児の緩和ケア医として子どもを診る立場から 多田羅竜平

さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

【意思決定】子どもへの医療の意思決定(1)子どもに真実を話すべきなのだろうか

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テーマ:意思決定 誰がどのように決めるのか

「パターナリズム」と「自律尊重」の葛藤

子どもへの医療の意思決定(1)子どもに真実を話すべきなのだろうか

 子どもへの医療について「誰がどのように決めるのか」を考えるとき、第一に「子どもに真実をどこまで話すべきなのか」という問題が生じます。

 「子どもの権利条約」の第13条には表現の自由及び知る権利について規定されており、原則として子どもには自分自身に関わることについて知る権利があるとみなされています。ただ、生命に関わるような重い病気の子どもに「深刻な真実(生命に関わる悪いニュース)を伝えるべきか」ということになるとしばしば意見が分かれます。

 古くから支持されてきたのは、「か弱く未熟な子どもを過酷な困難から守ってあげるべきだ」というパターナリズム(父親的温情主義、父権主義)の考え方です。深刻な真実を伝えることは、死の恐怖に直面させたり希望を失わせたりと、子どもに大きな困難を背負わせることが懸念されます。そして、未熟な子どもが生命に関わる重大な選択をすることは容易ではありません。このような困難から子どもを守ってあげるのは大人の責務であるとみなすのがパターナリズムです。

 一方、このパターナリズムと対極に位置するのが、「子どもは一人の独立した人間として尊重されるべきであり、最大限、子どもの権利は守られなければならない」、つまり、子どもを可能な限り大人と同様の権利を持つ主体として扱おうという「自律尊重」の考え方です。もちろん、自分のことを自分で決めるためには、真実を伝えることが欠かせません。

 この二つの立場から生じる葛藤を踏まえて、子どもに深刻な真実を伝えるべきか否かという問題は、これまで国際的に広く議論されてきました。歴史的にみると、かつてはパターナリズムが優勢で、子どもには本当の病気のことを伏せて治療を行うのが一般的でした。

 その後、子どもに真実を伝えることのメリット・デメリットについて多くの調査・研究が行われる中で、子どもに真実を伝えるほうがメリットの大きいことがわかってきました。そして、子どもは自分の病気について偽りのない正しい説明を受けることによって、自分自身の治療に主体的に関わり、医療者との間に信頼関係を築くことにつながることが理解されるようになってきました。逆に、これまでの調査・研究の中で「子どもに真実を伝えないほうがいい」という考え方を支持するエビデンスはほとんど存在していません。

 こうして国際的には欧米を中心に、子どもに真実を伝えることが医療現場の中で普及してきました。2006年に報告された小児がんの子どもへの告知の実態に関する日米の比較調査によると、米国では96%の小児がん治療医は「全ての」あるいは「ほとんどの」子どもに告知すると回答しています。つまり、原則として子どもの自律を尊重する立場が選択されていると理解できます。

 一方で、我が国の小児がん治療医の回答をみると、「全ての」あるいは「ほとんどの」子どもに病名を正確に伝えているのは36%でした。米国に比べるとパターナリズムの立場が優勢な状況が見て取れます。ただ、この調査は10年以上前に行われたものであり、その後、わが国においても子どもへの病気の告知に対する関心は大きく高まってきていますので、以前に比べると正確な告知を受けている子どもはずいぶん増えていると思われます。

 当院の場合、原則として小児がんと診断された子どもは、本人が理解できる範囲で、「小児がんであること」「計画している治療とその副作用」、そして「小児がんは治療をしなければ死が避けられない病気であること」などを伝えています。実際に厳しい真実を伝えられた子どもが一時的に大きなショックを受けることはあるとしても、長い目で見ると、つらい治療や長い入院生活を自分なりにきちんと納得しながら乗り越えるために不可欠な情報であることを実感します。

 長期にわたる治療を行わなければならない子どもが、自分の病気や治療について理解し、 (うそ) のない正直なコミュニケーションを図れるということは、医療者や親との関係、さらには子ども同士の交流においても大切な要素になっていといえるでしょう。

真実の告知を拒む親

 しかし、中には「子どもに本当の病気のことを伝えたくない」と希望する親・家族も (まれ) ではありません。子どもへの病気の説明について家族が拒否している場合には、なぜ伝えることに抵抗を感じているのかを丁寧に探りながら、慎重に家族と話し合う必要があります。

 例を挙げると、肉腫を患っている中学生の患者さんへの病気の告知を、親が強く拒否していることがありました。家族は真実を伝えることのデメリットに強く目が向いており「うちの子は気が弱いので、悪い病気と知ったら気持ちが落ち込んで闘病の意欲を失うのではないか」と心配していました。

 そこで、病気のことをきちんと伝えることのメリットとして、「自分の病気のことを知ることで本人が納得してこれからの長期の治療や入院生活に励めること」「医療者や親との信頼関係が構築しやすくなること」などを説明しました。逆に、子どもとの間に「正直な対話」が制限されると、「なんでいつまでも入院しないといけないのだろう」「いつまでつらい治療を受けなければならないのだろう」といった形で病気の治療や入院の見通しが分からず不安が増す子もいますし、病気について話すことがタブーなのだと敏感に感じ取る子どもは「病気のことは親や医療者に話さないほうがいいみたい」と、周囲の大人への気遣いから孤立を余儀なくされてしまいます。

 その結果、子どもが病気に対する勝手な想像を働かせて「みんなが内緒にするということは、私は死んでしまうのかな」などと考えるようになり、より大きな不安やストレスを 惹起(じゃっき) することもあります。このような「伝えないことのデメリット」にも目を向けてもらうように心がけました。そしてしばしば経験することとして、たとえ伝えなかったとしても、結局のところ、多くの子どもは周囲の状況から事実に気付いてしまうこと(たとえば、周りの子どもたちはみんな自分の病気を知っているので、周囲の様子や会話から自分もがんなのではないかと勘づくことは少なくありませんし、年長児なら自分で薬などの情報をインターネットで検索して知識を得る子もいること)などを説明すると、最終的には家族も子どもに病気を告知することに納得されました。

 このように、もはやわが国においても、「子どもに真実を伝えるべきか」という問題は論点ではなくなりつつあり、むしろ「どのように真実を伝えるべきか」が課題であるといえるでしょう。

どのように真実を伝えるべきか

 病気の子どもに深刻な真実を伝えるということは、ただ単に子どもに正確な情報を伝えればいいというわけではありません。「真実を伝えることは薬と同じである」という言葉もあるように、とりわけ「深刻な真実」の扱い方には適切な知識と技術が求められます。用いる言葉、伝える内容などについては、発達レベルや本人の希望を十分配慮します。

 そして、特に重要と感じているのは告知後のフォローです。医療者側が丁寧な説明を尽くしても、告知の場面は極度の不安と緊張と混乱で十分理解できていなかったり、頭が真っ白になって何も覚えていなかったりということもあります。

 当院では、私たち小児緩和ケアチームもプライマリ・チーム(治療を担当する主治医や担当看護師)と協働して、告知の同席に加えて告知後のフォローを可能な限り行うようにしています。具体的には、本人がどのように病状を理解しているのか、疑問を持っていないのか、置かれている状況に納得しているのか、方針の決定に積極的に関わりたいと思っているのか、心理的なストレスが過度に生じていないか、といったことに注意深く気を配りながら、正しい理解と主体的な意思決定ができるように援助しています。

 興味深いのは、自分で治療方針(正確に言うと治療方針への同意)を決めたいという子どもばかりではなく、「できれば親に決めてほしい」と思っている子も少なくありません。欧米の調査では、子どもたちは「自分のことは自分で決めたい」と答えることが多いようですが、わが国では欧米に比べて、親の意向が子どもの意思決定において大切な要素になっているようにも感じます。

 このように考えると、医療者や親など周囲の大人に求められるスタンスは、「パターナリズム」か「自律尊重」かの二択というより、その中間的なポジションが重要だと思います。つまり、「発達に合わせたタスクを子どもに与えながら、理解力や対処能力の成長を促していく」という、いわば「教師」のような役割を果たすことが求められているといえるでしょう。

子どもたちはいつ死の概念を理解するのだろうか

 しかし、「深刻な真実」を子どもに伝えることが大切だとしても、果たして、子どもたちはいつ死の概念を理解するのでしょうか。多くの研究からはっきりしていることは、死の理解を示す三つの概念(生き返ることはできないこと、すべての機能を失うこと、生きとし生けるものは全て死ぬこと)について、子どもたちは7歳の段階でその理解に到達しているということです。

 また、同じく子どもは通常7歳までには意思決定に参加することができるようになるといわれています。そのため、例えば米国では7歳以上の子どもは、自身の臨床試験への参加を承諾する権利が(親の承諾に加えて)与えられています。

最終的な意思決定のボタンは誰が押すのか

 これまで述べてきたように、子どもに真実を伝えて、治療に主体的に関わることが重視されつつあるとはいえ、そしてたとえ7歳までに意思決定に参加できるようになるとしても、意思決定に参加することと、最終的に子どもが治療に同意する権限を有するかどうかはまた別の話です。そもそも、「自分のことは自分で決めたい」という強い意思を持つ子どもばかりでもありません。

 果たして、子どもへの医療について、最終的な意思決定(同意)のボタンを押すのは、子ども本人なのか、親なのか、その時、医療チームはどのようなスタンスで関わるべきなのか。

 この問題については回を改めてお話ししたいと思います。

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【略歴】

 多田羅 竜平(たたら・りょうへい) 大阪市立総合医療センター緩和医療科部長兼緩和ケアセンター長

 1996年、滋賀医大医学部卒。大阪府立母子保健総合医療センター新生児科、りんくう総合医療センター市立泉佐野病院小児科などを経て、2006年から約1年間英国に留学。ロンドン、リバプールの子ども病院の小児緩和ケアチームで研修。同時にカーディフ大学緩和ケア・ディプロマコースを履修。07年に帰国し、09年より大阪市立総合医療センターへ。14年から同院緩和医療科部長、15年から同院緩和ケアセンター長兼務。13年から大阪市立大医学部臨床准教授。日本小児科学会専門医、日本緩和医療学会暫定指導医。カーディフ大学緩和ケア認定医。

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さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~

 終末期医療やケアに日々、関わっている当事者や専門家の方々に、現場から見える課題を問いかけて頂き、読者が自由に意見を投稿できるコーナーです。10人近い執筆者は、患者、家族、医師、看護師、ケアの担い手ら立場も様々。その対象も、高齢者、がん患者、難病患者、小児がん患者、救急搬送された患者と様々です。コーディネーターを務めるヨミドクター編集長の岩永直子が、毎回、執筆者に共通の執筆テーマを提示します。ぜひ、周囲の大事な人たちと、終末期をどう過ごしたいか語り合うきっかけにしてください。

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1件 のコメント

老人に対しても

ロマンス

私の両親は80を超えてそれぞれ脳梗塞で入院しました。 その際の担当医が子である私を呼んで治療方針や状況を説明してくれるのはいいとして、本人たる親...

私の両親は80を超えてそれぞれ脳梗塞で入院しました。
その際の担当医が子である私を呼んで治療方針や状況を説明してくれるのはいいとして、本人たる親が半身不自由とは言えいまだに頭はしっかりしているのにこれを同席させようとしない。どの病院も同じでした。
老い先短い者へのいたわりなのか、それともどうせ理解できないと病人の人格を軽視したのか、はたまた説明の手間を家族に丸投げしようとしたのか。本人が理解した上での治療のはず、いずれにしても医師が患者に真正面から向き合っていない印象を受けました。

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