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医療・健康・介護のコラム
腰痛は付き合うものではない!痛みの原因を特定しよう(4)
みなさん、こんにちは! 11月になり、秋もだいぶ深まってきましたね。前回までのカフェでは腰痛症の際に撮る画像の種類や、腰痛分類について少しずつ触れてみました。今回のコラムは、腰痛第4弾です。私自身の体験記を中心に進めていきます。
崩れ落ちるような痛み、ギックリ腰(急性腰痛症)
前回までのカフェで繰り返しお伝えしてきました。アスリート時代、私は、トレーニングなど競技活動中にギックリ腰(急性腰痛症)をしばしば引き起こし、とても苦しみました。初めての腰痛診断は高校2年生のとき、椎間板ヘルニアという診断でした。その時の画像は残念ながら手元にありませんが、たしかに、椎間板が少し飛び出していたことを覚えています。
その後、大学1年生ではじめて急性腰痛症を体験しました。重りを持ち上げるウェートトレーニングなどを積極的に始めた年代でした。コルセットを腰に巻いて授業時間を過ごし、夕方の陸上部のクラブ活動に参加するために集合時刻に集まります。とてもじゃないけど、ウォーミングアップで行うジョギングすらできないレベルの痛みだということが自分自身でもわかりました。集合時間に顔を出し、ひとまず帰宅して休むことにしました。
この時のことを、私はいまでもよく覚えています。そして、この痛みは、高校2年生の時に診断された椎間板ヘルニアが何かしらの影響を及ぼしていると考えました。それが悪化しつつあるのかしら……と思っていました。
ただそこで、病院にかかるのではなく、「この痛みは、トレーニングを休んで取り除くものだろう」と思い込みました。初めて診断された時から年月が 経 っていますから、本来なら再度病院を受診し、確定診断が必要になるはずです。私は、痛みが引くのを待ってトレーニングを何となく再開していました。
ギックリ腰は、初日を入れて丸4日間は痛みが強く、歩くことも困難です。4日を過ぎると、少しずつ痛みが和らぎ、そのタイミングを見計らってジョギングや少ない重さでのウェートトレーニングなど行っていました。
「強いひねりを腰などに加えているし、腰の捻挫だろう……」と思い、「休めば回復するだろう」という自己診断をしていました。こうした急な激痛は大学生時代、年に1~2回あるかどうかでした。
競技スポーツの代償、身体にかかる張力(引っ張り合う力)による負荷の連続からくる腰痛
社会人1年目の1999年、私は円盤投げに加え、ハンマー投げもスタートし、2種目の異なる競技でオリンピック出場を目指すことにしました。トレーニング負荷や強度は増します。競技の性質は全く異なるのですが、2種目とも、左脚を軸に回転して投げるという共通点がありました。遠心力を生み出して 投擲 をする競技、大きな力を生み出せば、相当な張力が身体にかかります。
そうした身体への負荷が急激に増し、そしてその繰り返しによってか、2000年ぐらいからは急性腰痛症の頻度が年に2~3回になります。1回の急性腰痛症でだいたい全治2週間から3週間かかっていました。もちろん、まるまる3週間お休みするのではなく、トレーニングに徐々に復帰していき、満足にトレーニングができるまでにはそれぐらいかかったということです。
2004年アテネオリンピック出場の前年までは、そのような調子で「たまに」地震のような痛みに見舞われる状況で、痛みが発生すると腰を中心に力を込められず、 庇 った動き方をして身体の他の部位に大きな負担をかけていました。幸い、2003年の冬から2004年の春まで行ったトレーニング方法がとても良かったようで、この期間は急性腰痛症を引き起こすことが一度もありませんでした。身体の中心部分(体幹)の安定性が高く、とても安定したフォームと力の発揮の仕方を身に付け、アテネオリンピック出場に 辿 り着きました。今になって振り返ると、おそらく腰痛の根本的な原因は残っていたものの、「痛みが発生しなかった奇跡の期間」だったと思えます。
秋季国体第3日 陸上・成年女子ハンマー投げ 室伏由佳が大会新V
秋季国体(彩の国まごころ国体)第3日(25日・埼玉熊谷スポーツ文化公園陸上競技場ほか)――陸上は、成年女子ハンマー投げでアテネ五輪代表の室伏由佳(愛知・ミズノ)が65メートル03の大会新で初優勝。
(2004年10月26日 読売新聞)
アクシデント、ハンマーのワイヤーが切れて転倒
2004年の年末、私はトレーニング中にアクシデントに見舞われていました。ハンマー投げの練習をしている時でした。鉄球と取っ手の部分をつなぐワイヤー部分(ピアノ線)がありますが、劣化すると回転中に張力がかかり、プツンと切れてしまうことがあります。念入りに手入れをし、時期をみて危険回避のために取り換えます。
そろそろ変えないといけない、そう思っていた矢先でした。回転をし始めた途端、ワイヤーがプツンと切れ、かかっていた張力によって私は右肩から地面に叩きつけられてしまいました。一瞬何が起きたのかわからない驚きがあり、何とか立ち上がりましたが、右肩の痛みが何か深刻な状態なのではないかと感じられました。時間が経っても痛みが治まらないのではないかと、瞬間的に思いました。ひとまず、切れたワイヤーと至近距離に飛んで行ったハンマーを拾いにいこうとしたのですが、全く握力が入りません。これは……、右肩を痛めてしまったのか? そう思い、何とか左手で片づけをして帰宅しました。
ここで悔やまれるのが、病院へ行く選択をしなかったことです。痛みの終息には3か月ほど時間を要しました。円盤はしばらく投げられませんでしたが、ハンマーは前方に手を構えて両手で持ちますので、1週間もしないうちに投擲トレーニングを再開しました。
ここから、私は急性腰痛症を頻発するようになります。はじめは、1月上旬。崩れ落ちるような痛み――。
「やってしまった……」
2004年に出場したアテネオリンピックをきっかけに、私の競技力はますます向上の道を進んでいました。それが寸断されてしまう、ということにとても焦り、右肩の痛みや腰の痛みがあっても、何とかトレーニングをしようと必死になりました。
痛みがあるうちにトレーニング復帰をすることの繰り返しにより、2005年は1か月に2回程度、急性腰痛症に陥りました。記録は右肩下がりに低下、「今までの私は一体何だったのか……」。落胆の日々が続きました。
ここから実に7年間。度重なる腰痛は原因の特定ができず、改善の兆しもありませんでした。2011年5月に確定診断がつきますが、この続きはまた次に書きたいと思います。それでは、また次のカフェでお会いしましょう!
(引用・参考文献)
西良浩一, 室伏由佳 (2014)『腰痛完治の最短プロセス : セルフチェックでわかる7つの原因と治し方』KADOKAWA.
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某所のアメフト部員が急性硬膜下血腫でなくなったそうです。 2日前に頭痛を訴えていたこともあり、関連性を疑われていますが、もし仮に血液の検査やMR...
某所のアメフト部員が急性硬膜下血腫でなくなったそうです。
2日前に頭痛を訴えていたこともあり、関連性を疑われていますが、もし仮に血液の検査やMRIを行っていれば、既往や素因を確認できていたか、というと難しいとは思います。
また、確率的に低い疾患素因や確認困難な軽症のために全例MRIを確認というのも、医療経済として非現実的でしょう。
ただ、いずれにせよ、先天的な要因に、種々の習慣を積み重ねて、健康や疾患の状況は形作られていきます。
記憶に残るようなイベントだけではなく小さな症状、症状とは逆に、ちょっとした成功体験が中長期的にマイナスに作用することがあります。
例えば、サッカーにおいて、競り合いの多い密集地でのプレーやショートパス、ミドルパスの多いサッカー選手は猫背の選手が多いです。
(有名な選手でも多いです。)
理由はそちらの方が短期の結果には都合がいいからです。
しかし、一方で、猫背はマイナスの側面もあり、腰痛の大きな原因です。
何らかの疾患がなくても、そういう静的な姿勢や動作のような動的姿勢によるメカニカルストレスの問題が複雑に絡み合って、損傷や痛みはできていきます。
ただ、高度な検査手法にしても、その結果にしても、まだ日が浅いので、多くの人に浸透していくのには時間がかかると思います。
また、長い時間をかけて、ある程度以上固まった姿勢の人を変えるのは逆にリスクもありますので、そういう意味でも、専門医の方のみならず、協力者になる職種は大事になってくると思います。
先天的素因や局所や全身の現状のチェックとそれに基づいた適切な維持あるいは回復のプラン。
腰痛のみならず、多くの疾患のリハビリテーションに繋がってくると思います。
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