難病患者の家族、支援者の立場から 川口有美子
さよならを言う前に~終末期の医療とケアを語りあう~
【意思決定】決められない人の傍らに佇んで
テーマ:意思決定、誰がどのように決めるのか
若い頃に 頸椎 を損傷し、半身 麻痺 になったけれど施設入所はせず、地域で暮らしてきたSさん(58)。そのSさんが先月、自宅での介助入浴中に心肺停止し、救急搬送されるということがありました。
障害があっても自分のことは自分で決める。しかも家族に頼らず公的介助サービスを利用して地域で暮らすという「障害者自立生活運動」。Sさんはそのリーダーの一人です。そのSさんが、今まさに意思決定できないという事態になり、自立生活運動の仲間とご家族の間で意見が食い違ってしまっています。
今もまだ意識がはっきりしないSさんの従前の意思を知るのは私たち!と仲間たちは主張しますが、病院が尊重するのは親族の意向。高齢の母親は判断できず、親戚がいったん、「呼吸器は装着しない。延命をしない」と決めました。それを知った仲間たちは驚き、急ぎ母親を説得し、気管切開手術をして呼吸器をつけてもらいました。
ところが、今度は療養施設への入所を強く望む親族との間で、再び争議が始まっています。Sさんの意識が戻らなくとも、これまで通り、自分たちが介助をするので、自立生活運動のリーダーとして地域で人生を全うしてほしいという仲間らと、療養施設で静かに 看取 りたいという家族との間で、引っ張り合いが続いています。
治療に関すること? そりゃあ本人が決めるのが一番ですが、本人の意識がはっきりしない時、関係者の間で価値観のぶつかり合いが生じたりします。また、認知症の人のお金の管理や、精神疾患を持つ人の入院、がん末期の緩和ケア等では、本人の意思確認はできても、治療方針をめぐって本人・家族・医師の間で合意形成できず、第三者が本人の権利を擁護しつつ、本人または家族を説得しなければならない、ということもあります。患者と家族、場合によっては専門職の間にも入って、第三者が調整することもあり、「意思決定支援」と呼ばれています。
ALSにおける意思決定
ALS(筋萎縮性側索硬化症)では、 胃瘻 や呼吸器装着の手術のたびに、どうするか決定しなくてはいけない。これらの処置は命に関わるから、手術をしないということは、死を意味します。究極の自己決定と言われる 所以 です。
自分で治療を選び、決められるように、主治医は事実を伝えることが推奨されていますが、「のんびり生きていけばいいじゃないですか」と言った同じ口で、「家族は介護で大変苦労するんだけど」などと言ってしまうおかしなことになったりします。すると、患者はもう、「この人は一体何を言いたいんだろう?」と不信感でいっぱいになります。
これ、よくある話で、医師の説明だけでは、意思決定はできないのが普通。圧倒的に足りないんです。何が足りないかというと、生きていくための情報です。四肢麻痺になり、全介助が必要、しかも家族も仕事を辞めて、常時介護しなければならないなんて。この先、どうやって生きていけばいいのか、想像さえできないので決められないのです。
当事者による意思決定支援
私が所属している NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会 では、毎月1回午後のひとときを使って、相談会(通称「ぽんとナッツのおしゃべりサロン」)を開催しています。
さくら会の面々は、お菓子やペットを持参してやってきます。来場者は聞きたいことだけを聞き、聞きたくないことは聞かなくていいし、話したくなければ話さなくていい。ただ、おしゃべりをするだけなんですが、帰る頃には「生きていくのに必要な知識は自分で積極的に仕入れていく」という鉄則が自然に伝わっています。
長くこの病気と歩んできた当事者は、経験の浅い患者家族の揺れる気持ちを理解しています。だから、強引に何かを勧めたりはしませんが、制度の利用については熱心に説明します。それも細部にわたって、自分はどういう風に国や市町村に働きかけたかとか、ヘルパーとはこんな風に付き合うといいよとか。同病者の交流の場で、生活に必要不可欠な情報を得ることができるのです。
だから、「意思決定」のためのもっとも有効な方策は、「同病者に会う、会わせること」と言ってもいいくらいです。そのあと私たちにできる手伝いは、制度利用の手続きやヘルパーを探すことくらいです(とは言っても、これが大変ではありますが)。
私を大切に
かく言う私も、意識がなくなったり、判断できなくなったりした時のために、「今から準備しておかなければ」と思ったりもします。Sさんは備えがなかったので、命に必要な治療を断られそうになり、自宅で暮らせないという事態になりかけている。なので、このケースから学んで、「『尊厳ある生のための希望』ノート」を作成し、そこに意思疎通が難しくなってからの生活に関する希望を書いておけるようにしようと考えました。難病や障害者の団体、認知症の団体に配布しようということになり、相談を始めています。
最期まで、私の意思を読み取る努力をすること、私を人として尊重すること、私の命を奪わないことをノート作成の条件とします。病気や障害が進行しようとも、自分を大切にすれば、良い生を生きられることは、多くの当事者が証明していますから、その日が来たら私も頑張ろうと思っています。
さくら会の同僚、若くしてALSを発症した酒井ひとみさん(36)は「ALSでもできること、ALSだからこそできることがたくさんあります」などと言います。発症以来、胃瘻造設、気管切開、呼吸器装着、全身性麻痺など、過酷な体験をくぐり抜けるうちに、すっかり 逞 しくなり、他の人の役に立とうと考える人も出てきます。自分が育てたヘルパーを他の患者さんに紹介したり、遠くで泣いている人がいれば、出かけて行って「大丈夫だよ」と励ましたりするようになるんです。
病人の胸中では、病気の進行に反して確実に成長していく部分があり、時折、それが語られたりすると、未熟な私は震えるほどの感動を覚えます。だから、発症間もない人にも、いつかこの崇高な化学反応が始まることを信じて、周囲はただ待つしかない。「意思決定」を急がせてはならないと考えます。
ただし、決められない人の傍らに 佇 んで、ただ待つということは、口で言うほど 容易 くない、けっこう難しいことなのです。
注: 難病患者の手記やブログには、苦境を生きるヒントが満載。
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【略歴】
川口 有美子(かわぐち・ゆみこ) 日本ALS協会理事、訪問介護事業所「ケアサポート モモ」代表取締役、NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会副理事長
1995年に母がALSを発症。96年から在宅人工呼吸療法を開始。家族介護の辛酸を舐めつくし、一大決心して03年訪問介護事業を開始。介護のアウトソーシングを始めました。翌年にはNPO法人も立ち上げて現在に至っています。自らの体験からALSの家族の選択と葛藤を描いた『逝かない身体』(医学書院)で2010年第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2013年2月立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了。2014年1月博士論文(改稿)「生存の技法 ALSの人工呼吸療法をめぐる葛藤」で河上肇賞奨励賞受賞。
座右の銘は「信じる者は救われる」。趣味は終末期および人工呼吸器ユーザーで全身麻痺の人の独り暮らしコンサルタント。この人たちが働ける限り働いて燃え尽きるように亡くなっていくのを観戦しつつ、都会の片隅でワインと3匹の猫と暮らしています。
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