科学
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近代医学の歴史はせいぜい100年程度…診断、治療にも限界が
多くの人は、病院に行けば正しく診断され、適切に治療が行われるはずと考えているでしょう。
「正しく診断され、適切に治療」されるためには、当然、その症状や、病気について十分解明されている必要があります。
広げて言えば、現代医学が人間の健康と疾病に関し、どれだけ解明され知識を蓄積しているかが重要です。
ところで、「診断」とは、文字通り診察の結果を医学的判断することです。
適切な診断治療が受けられると思って医療機関に行っても、「わからない」「様子を見ましょう」「重大な病気ではなさそうです」などと曖昧な対応をされることがあります。それが科学的根拠に基づいた医学的判断だからです。
確実な病因はわからなくても、医者は仮の診断をつけることがあります。この場合、診断の確度は示されないことが多く、患者は医者の言に従うしかありません。
私の外来では、診断の確度を示すかわりに、何故診断の答えが出にくいのかをなるべく正確に説明しています。
例えば、緑内障という病気は、はじめての診察で明確になることもありますが、生まれつきの個人差や、強度近視などによる網膜視神経の異常が混在していることなどが原因で、さらなる検査をしたり、何年か経過を診たりしないと断定できないこともあります。
そうした場合、多少時間はかかりますが、その通り説明します。
こういう説明に対しては、納得する人が大半ですが、診断に自信がないとみられたり、曖昧さを嫌う潔癖な患者さんも時に見受けられたりします。
多くの眼科医は、こういう場合、とりあえず緑内障と仮診断して治療を開始します。「とりあえず」の診断だということは、その医師の頭の中にはあっても、患者にはおそらく説明しないでしょう。
私のように結論を待つやり方は、医師からみれば説明に時間はかかるし、もしいずれ緑内障と判明した時、はじめから治療してくれればよかったのにと言われかねないリスクもあるので嫌われます
また、緑内障という病名がついて、治療を始めてもその反応はまちまちです。それは緑内障という病気のうちよくわかっている部分の治療はできても、病気の成因や、進行に影響する未知の因子については治療ができていないからだと思われます。
そもそも、病名をつけるに至らない異変も、人間には起こります。重大なことにならなければ病名がつかなくても支障はありませんが、進行性だったり、重大な機能障害に至ったりする場合は、医師も患者も大いに苦しむことになります。
現在の医学は随分進歩しているとはいえ、人間に生ずる心身の異変に十分対応できる力はまだ持っていないのです。
近代医学の歴史はせいぜい100年を過ぎたくらいのところです。何百年、一部は千年を超える近代科学の歴史の中では、まだ子供にすぎないよちよち歩きの状態だといっても、言い過ぎではないと思います。
次回はそのことを痛感させられている実際の症例を、話題にします。(井上眼科病院名誉院長 若倉雅登)
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